「シークレット・ガーデン」という北欧の音楽ユニットがいる。日本ではあまり知られていないが、欧米、日本以外のアジア諸国では、ファンの多いユニットである。
昨年、東京でその来日初公演があるというのでチケットを購入した。彼らの音楽を聞き始めたのは、アメリカに住むある恩人の家にお邪魔した際、彼に頂いたCDがきっかけである。 彼は、以前僕の勤めていた企業の日本法人社長であった。彼が初めて日本に来たのは、もう今から12年ほど前になる。彼には、随分とかわいがられ、様々なことを学ぶ機会を与えてもらった。そのお陰で現在の自分があると強く信じている。
僕も当時は20代後半で随分と血の気も多かった。仕事には打ち込んだし、それに信頼を寄せてくれる人もいた。しかし、その反面、相手が誰であろうとストレートな物の言いかたで、嫌われる部分も多かったのではないかと思う。 その彼の言った言葉で今でも忘れえぬものがある。
当時、何かのプロジェクトで大きな壁にぶちあたっていた時だった。僕に限らず同僚達は先の見えぬ迷路にはまり込んでいた時だった。 ある日、彼と偶然、昼食の席で一緒になった。食事の席ということもあり、とりとめもない会話が続いた後、彼は僕に訊いた。
「○○さんは、スキーをしますか?」
僕は、それはあくまで趣味の会話であると思い、
「しますよ。学生時代にはよく長野県に行ったものです。でも、今では昔ほどは行かなくなりました。」そういう僕の答えの後に、彼は続けて訊いた。
「木立の中をスキーで滑ったことはありますか?」
「ええあります。あまり上手くはありませんが・・・」僕は、変な質問だなあとは思ったがそう答えた。
「木立の中を滑る時に、木々にばかり注意してそこを見ていると、木にあったてしまいます。でも、木と木の間にある空間だけ見ながら滑ると、木々は気にならなくなり、上手く林を抜けて滑ることができます。」彼は、ただそう言った。
そして食事を続けた。 僕は、彼が何をいきなり言おうとしているのかよくわからなかった。そんな僕に気づいたのか、彼はまた話を始めた。・・・私は思うのです。苦しい状況の中で、問題点にばかり囚われそこに自分の神経を集中させていると、その問題が視界の中心になり向こうが見えなくなってしまい、上手く通りぬけることができないものです。でも、自分の意識をその空いた空間に向けていると、やがてその問題を通りぬけてゆけるものです。これはスキーと同じですね・・・。 時の流れともにわかる彼の伝えたかったこと。自分の前にある障害、困難といったことばかりに囚われるのではなく、真に自分が自由になろうとするならば、自分がもっているもの、自分が今できることに精神を集中しなさい、と。
もうすぐ、僕も当時の彼と同じ年齢になろうとしているが、彼のようになれない。ずっと、僕にはなれないだろう。彼と同じといえば、「シークレット・ガーデン」を聴いていることぐらいである。
良い出会いを沢山なさっていますね。
うらやましいです。
でも、あなたのその経験が 今ここで私の中にも響いている。。
考えてみると、すごいことですね。