きちがいにっちゅうちゃんりょうしきじつげんとうぶんどっぷりかんじょうは。
へたれやくざちゃんりょうしきじつげんとうぶんどっぷりかんじょうは。
おやまぁうつわときりょうがあるじゃん。
おやまぁのうつわときりょうはそこなしちゃん。
だらしないにっちゅうちゃんは、きちがいをきちんとしていればかけもちで、だらしないきちがいじつげんまるだしぜんたいうんどうかいきちがいほこりかんかくちゃん。
せっかくのほもさぴえんすはっぴようかいのにっちゅうちゃん最大の儀式を蔑ろにも疎かにも恰もしないという、コペルニクス的おやまぁよくようさながらでも、ほぼじゅうどうしゅうねんどうで有終の美を終えた後の祭りのだせぇきかんとしてのぴったりっしょうぜんたいしゅぅぎという、ふたつとむっつだが?という精神力と神経質、活動日と活動美。
おやまぁの美しさ、おやまぁの優しさ、おやまぁの尊さをじっかん、じつえん、じっしょうしつつも、そのだんかいのせだいとぼうりよくだんという、だんかいのせだいであおうちゃんとぼうりよくだんであえるさちゃん。
どうころんでもどうでもいいかんじのしんこっちょうとしての、そのこしょうしょうしょう、しょうゆしようしよう、そうすしようしようちゃん。
それでも身にバブバブセダイは、こしょうがおむーどという、ひとつたりないか、ちじょうか、おやまぁこしょうがおという最大のトレンドづらをかまさないこともそれを最大のおやまぁちゃんというどうでもいいかんじちゃんとして、ふじょったれでも、それすらも滞るほどの
こしょうがおとれんどまちぐるめをいまかいまかときちがいは未だに、きちがいのためにきちがいだったのか、きちがいがよほどふじょったれすぎてってすぎちゃってたということでの、きちがいにっちゅうちゃんからきちがいにっちゅうちゃんの決別で、きちがいにっちゅうちゃんが、よくきちがいにっちゅうちゃんよくとしての、まぁおやかぶちゃん。
ふたつとむっつにゃちょいと漢字が多かったか?どうでもいいにっちゅうちゃん+どうでもいいやくざちゃん。
はなからおやまぁじゃぁおしめぇちゃん。
はなまでおやまぁでぇおしばなちゃん。
にっちゅうちゃん、ずっときちがいだっていいつづけてかつどうしてんだがちゃんわくの尊厳もあるがいあるだちゃん。
やくざちゃん、ずっとへたれだって、もっとへたれていくことに、やくざぜんたいのへたれかけもちで、やくざとやくざとやくざがへたれてんだからやくざまっとうしてるんだが、やくざちがいもやくざちがいも、やくざちあれちゃん。