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やさいの家

小さな日常・小さな風景

アボリジニの言葉

2011-04-05 07:15:52 | 日記
 「最後の木の一本が切り倒され、
  最後の川が汚染され、
  最後の魚が捕らえられた後、
  そうなってはじめて金銭は食べられないと気づくだろう」
 (アボリジニ族長のコトバ)~ミュータント・メッセージ~


大切な人が生きていてくれて、
願わくば健康でいてくれて…。

私たちの願いはそんなに多くはないのだと、
そう思うのです。

復興って、震災前と同じに戻すことでしょうか?
電気が溢れた贅沢な暮らしに戻ることでしょうか?

計画停電などがあって、大変かもしれないですが、
その中で工夫して「暮らし」を紡いでいくこと。

節電中、わずかな灯りのもとで、
大切な人と語らうことのできること。

それは、とてもとても大切で豊かな時間だと思えるのです。

煌々と眩しい電気の明りの部屋で、

でも大切な人がいなければ、
いったいそれが何の幸せであり、豊かさなのでしょうか?




以下、友人のblogの言葉です。

~TVがいっせいにチェルノブイリを紹介している。
 これは福島原発の末路も、
 チェルノブイリ型になる可能性があることを国民に 意識させるためだ。(と思う)

 すなわち半径何キロかが立ち入り禁止区域として設定されて、
 以降何十年も、
 なんらかの方法で封印し管理しつづけなければならない事を意味する。

 もしかすると放射性物質の漏れは完全には遮蔽できない可能性がある。
 その場合、僕たちは20年とか30年という単位で、
 放射能と付き合っていくことになる。
 原発から放射線は出続けるだろうが、
 なんとかして放射性物質の拡散は食い止めたい。

 それができないと、
 関東は子育てには適さない土地になるかもしれない・・・
 (って、さすがにそれは、ちょっと大げさか)

 僕たちはこれを「しかたがない」として受け入れるのか?
 それとも、未来は変更されるべきだととらえるのか?

 すでに「それでも原発は必要だから、こういう事故もしかたがないんだ。」
 という意見を言う人がいる。はたして本当にそうだろうか?

 こういった負の遺産を、未来の子供たちに増やし続けることはしかたがないのか?
 今の自分たちが安楽な暮らしをしたいからといって、
 そのつけを子供たちにおしつけていいのか?

 「日本経済が・・・」と言う人もいる。
 子供たちの未来を担保にして金儲けする事は正義か?
 原発において何が「正義」なのか。
 サンデル教授に聞いてみたいところだ・・・。

 (いや、教授は僕達が考える方法を教えてくれるだけで
  結論を教えてくれるわけではないのだが・・・)~


************************************************

原発を止めるための署名フォームです。
上はオンラインで署名が出来ます。
下は、署名用紙を印刷出来ます。
ご活用ください。

プラムフィールド 東海地震のまんなかに建つ浜岡原発を止めよう 賛同署名フォーム

原発震災を防ぐ全国署名連絡会







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2 コメント

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Unknown (ゆうママ)
2011-04-05 12:33:15
「まだ、まにあうのなら」という地湧社から出ている小冊子を知ってますか?チェルノブイリ事故の一年後に出された本ですが、その中に書かれている事が現実になってしまいました。

日本人は平和過ぎる。それは良い事でもあるけれど、いけない時もある。今はその特性がいけない方に出ている。

わかっているけど、自分も何も出来ないでいる。とっても悔しい。
返信する
Unknown (sara-sara)
2011-04-05 13:42:07
ゆうママさんへ
「日本人は平和すぎる」
本当にそうですね。考えていると、どんどん落ち込んでしまいそうですが…。
何も出来ない訳ではないはずだから、
出来ることを悔いなくやって、祈っていきたいですね。
愛しい子供たちに明るい未来があるように。
返信する

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