やすいちの家

2008年1月に新居が完成。完成までの記録と以後の生活を細々更新中です。

土地を決めます。

2007年07月10日 | 土地探し
ベガスから帰ってきた営業Yさんに3/17会いました。
会う前の数日、セキスイさんから土地の情報をもらって検討中であることなどをメールで伝えていたので、焦ったそうです。
ベガスのお土産をもらったのち、おもむろに新しい土地でプランを考えてほしい。
その土地で、妻と息子がプランを考えてくれたことを伝えました。
一気に表情が明るくなり、その後は、早く土地を押さえましょう、更に良いプランを考えていきましょうなど、明るい話題で持ちきりでした。
“あー、この土地に家を建てることになるんだろうなー”って感慨もありました。
その晩に作った我が家の手作り間取り案を記念に貼り付けます。

力作です。

正面像のスケッチです。これまた、懐かしい。

再び土地探し(妻と息子の提案)3

2007年07月10日 | 土地探し
比較するものがあると、評価が変わることがあるのは世の常です。
セキスイさんから提案のあった土地と比べ、以前、候補からはずしていた土地が候補として順位を上げてきたのです。
そこは60坪弱で現在使われていない古いラーメン屋さんが建っていました。
はじめに紹介されたのは、半年くらい前でしょう。(不動産屋さんが出している土地でした。まだ一条さんに出会ってない頃で、情報をくれたのは、セキスイさんだったと思います。
古い建物が建っており印象が悪く、当時考えていた土地の広さ基準に入っていませんでので私的には却下物件でした。
ただ、“建物がなくなったらイメージはそんなに悪くない”と妻は少し前から言ってました。
立地は妻の希望の基準内で、実家から歩こうと思えば歩ける。直線距離でおそらく5-600mでしょう。小学2年の息子の通学路のちょうど中間地点にあたり、息子の仲の良い友達の家も近くにあるようで、息子も乗り気になっていました。
ただ、私はなぜかなかなかその土地が好きにはなれませんでした。
ところが、ある日、妻が、その土地の図面を書いて、間取りを乗せてみたものを見せてくれました。
それは、3/4に気に入った間取りを分解してパズルのように組み合わせて、なんとかはめ込んだものでした。
あの家を建てても意外と回りに土地が残ることを提示したかったようです。
更にその案は、私にその土地が気に入ってくれるように、息子と二人で考えたそうです。(下の次男が寝てる間に)
その案は実際に良く出来ていて、これならいいかもと思いました。
また、そう思ってみると、歩道のある広めの道路に対して南に面し、北に3m程度の細い道(その後、二項道路かどうかで問題になる。)の二面に面し、南北に長い長方形~台形の土地でした。
にわかに、その土地が輝いてきました。
その後、ベガスから帰ってきた営業さんに我が家のプランを提示することになります。

今週末は地鎮祭なのですが、なかなか回顧録が追いつきません。

再び土地探し(セキスイからの提案)2

2007年07月09日 | 土地探し
土地探しに一生懸命だった3月が懐かしく思われます。
土地を探しているとき、積水ハウスさんから“新築計画はどうですか?”と連絡がありました。この時点で一条工務店にかなり決めていましたので、正直に気持ちを伝えました。“木造ハウスメーカーに気持ちを固めつつあります。ただ土地が見つからず、なかなか進みません。土地は探したいのですが、セキスイさんに土地探しをお願いするのは心苦しいので、失礼します”と。
しばらくして、“希望の校区で土地が出ましたので、見てみてください。”とセキスイさんから連絡がありました。それも2箇所。それもプラン付で。
ちょうど一条の営業さんはラスベガスに研修中でしたので、土地を見に行ったりしました。
確かに広さはありました。でも、“ここだ!!”ってところではありませんでした。
もしも、土地が“ここだ!!”ってところだったら、今頃どうなってたかは正直分かりません。
ここで数箇所見終わって、ふと以前から売りに出ていた土地が再浮上してきたのです。

再び土地探し(真剣に)1

2007年07月08日 | 土地探し
3/4の案を見せてもらって以降、一条工務店で家をなんとか建てなければという思いが強くなり、一時はプランを立ててもらった土地で良いじゃないと思ってました。
しかしながら、ここでも妻より、“もう一回じっくり検討を”とアドバイス。
HMを決めるときもそうでしたが、最終的に決める前にもう一度距離を置いて冷静に検討することを賢い我が妻は提案してくれます。
ただ、妻と私の土地に対する考え方は重要視する点が異なります。
(私)田舎育ちで広大な敷地に大きな平屋建てで生まれ、同じような広さは地方都市では無理でも、“広い土地でゆったりと”を希望。多少、不便でも良いじゃない。
(妻)地方都市の真ん真ん中の商店街育ちで、小学校もかさを差さずに登校。“便利じゃなきゃ。庭は狭くても良いじゃない。隣とくっついてない家に住んだことが無いんだもん。”
これでは、話しも合わないのが当然です。
一時は、“それじゃあマンションで良いじゃない。”なんてケンカになったときもありましたが、ここはお互い冷却期間を置き、再び、土地探しをはじめました。

本格的に土地探し

2007年07月03日 | 土地探し
一条に行って以来、本格的に土地を探し始めました。
不動産屋のHPを毎日のようにcheckしたり、希望の区域に新しい土地が出たらいち早く教えてほしいことも伝えたりしました。
数個の物件しかなく、完全に気に入った物件はありませんでしたが、可能性のある候補地はありました。
この間、一条一本にするのはまだ不安で、対抗としてまったく系統は違いますが、パナさんにも話しを聞きに行きました。
パナさんが一生懸命土地を探してくださり、一つの候補地があがってきました。
この土地は一条さんも候補地としてあげてもらってました。
土地の広さ、値段は問題なしでしたが、希望の区域のもっとも遠い場所であること、北道路で南側の土地ギリギリに隣の住宅が建っていることなどが問題でした。
ただ、場所も想定せずに家の提案も出来ない様子だったので、とりあえずここかもしれないとして、パナさんと一条さんに案を練ってもらいました。
70坪弱の土地でした。
パナさんには何度か案を出してもらいましたが、やはり一条を知ってから、何に関しても物足りなさを感じました。
また、一時期、積水ハウスさんが、土地探しをしてくれて接近してましたが、結局、他のメーカーに強く惹かれることはその後ありませんでした。
しばらく、この土地で話をすすめながら完成見学会に何件か通いました。
(2007.2月のことです。)

土地がない

2007年06月28日 | 土地探し
子供の校区内で土地を探し始めました。
散歩してると空き地が沢山あります。
沢山空き地があるので、沢山売りに出てるんだと思ってました。
(後から考えれば、かなり安易で楽天的でした。)
奥さんが不動産屋のHPで校区内(もしくはそれに準じた場所)の土地を探してリストアップしていました。
さて、リストにあがった土地を見て回りましたが、どこも“ここだー”と思える場所がない。正直、値段をさておいても“ここっ!!”て所がありませんでした。
ちょっとこれにはビックリしたのが正直なところでした。
でも、考えてみれば、使ってない土地があっても、お金に困らなければ手放しません。(そりゃそうだわ。)
さて、土地がなければ、家が建ちません。
このとき、相談していたHMのセキスイハウスさん、セキスイハイムさんに頑張って土地を探してもらうことにしました。
土地があったら連絡ください!!って。

息子の学区

2007年06月23日 | 土地探し
家を建てようと本気で思い出した2006年春に長男が小学校に入学しました。また、同時に次男出産後、妻が仕事復帰もしました。次男は2005年秋に6ヶ月で通い始めた保育園に引き続き通園でした。
長男が通い始めた小学校は妻の母校でもあり、妻実家の校区でもあり、家を新築するなら、この校区内でなるべく実家に近いところ。というのが妻の最大の希望でした。
子供を預かってもらうことがこれからも多くあることも考えると、その方針に私も異論はなし。
ただ、あまりに近いと近すぎて困ることもありそうだし、私の親にもなんか申し訳ない気がして、少し離れた同校区内に。
その条件に当てはまるところに家を建てよう、と決めました。
(希望の条件の土地はすぐ見つかると、思ってました。)

どの町で家を建てようか

2007年06月22日 | 土地探し
長男として生まれて、子供のころから後継ぎ的に育てられましたが、就職して実家に帰って生活するメドが立たなくなりました.または、現在の町でしばらく生活したくなりました.(現在住んでいる町は妻の出身地でもあり、子育ての補助をしてもらうのにも確かに都合が良い.)
この町に家を建てることは、実家の親に対して申し訳ない気持ちがありましたが、ここで家を建てなければ、自分の家を新築するのは、いつの事になるのか分からなくなります.(退職後??)
そう思ったら、この町(地方の小都市)に家を建てようという気持ちが強くなりました.(実家は同じ地方の小田舎)
気持ちが固まってくると、急に新築欲が高まり、本格的に考えだしました.それが、2006年の春頃でしょうか.
その頃、職場の皆さんの多くが家を持っていたこと、貯蓄が増えて生活が安定してきたこと、現在の生活に窮屈さが出てきたこともあったかもしれません.