地方自治は民主主義の学校

2010-03-10 19:21:30 | 政治
「地方自治は民主主義の学校」という表現がある。

 地方はいま、ほんとに民主主義の活力を持っているだろうか?
何度選挙をやっても同じ名前しか書かない有権者の無批判ぶりが「多選」を許してはいないだろうか!
また、対抗馬のいない「無戦」状況など、まさに民主主義の墓場だ。
「長居は無用」
「長いは無能」
 知事も代議士・議員も長くて3期。10数年経過しても実現達成できない有権者との公約はもう要らない。まして人も世の中も変わっている。新たな感性と交代するという潔(いさぎよ)さこそが求められている。

  
   不気味です、国民の諦めムード

 ついに日本の国民も政治にそっぽを向いてしまった。
景気が悪化し、株価が下がり、雇用が減り、政治腐敗が続発、この4条件がそろう時、先進国では政権を交代させる。 

※10年前に、こんなコメントがありました。

 日本でも政権が交代しそうになったことがある。2000年6月の総選挙で大きな怒りの風が巻き起こり、自民党が戦後初めて2位に転落した。首都東京の選挙区25のうち、民主党13に対して自民党8。小選挙区の過半数を民主党が制した。
 政党票で民主3割に対して自民は2割。自民が全国の得票率3割で単独政権をとった時代を考えると、野党が首都で3割を取った意味は大きい。
 「首都決戦、民主制す」「自民敗北、民主躍進」。東京だけを取り上げれば民主党の圧勝、自民党の惨敗といえるのだが、他の46道府県の選挙区では、民主ゼロという惨敗県が21県にも達している。ここに日本の悲劇がある。日本全国から平均して期待され、信頼される政党を持たないからである。片や都市党と呼ばれ、一方は田舎型政党とか地方党と呼ばれている。日本の国は二つの国に分裂したまま21世紀を迎えている。
 

※いずれにしても、
 国民の間に諦めムードが定着しつつあるのはいかにも不気味である。

孟子は「上(かみ)礼無く、下(しも)学無ければ、賊民興(おこ)りて、喪(ほろ)ぶこと日(ひ)無けん」
=政治家に節操が無く、国民に批判力がなければ、賊議員のためにたちまちに国が滅ぶ=

プラトンもまた「憤激なき国民は滅びる」と言っている。




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