夏目漱石は『草枕』のなかで、
「住みにくき世から、住みにくき煩いを引き抜いて、ありがたい世界を目の当たりに写すのが、詩である、画である。
あるいは音楽と彫刻である」
と述べている。
漱石は、英国留学後、うつ病を患ったようであるが、これは、日本人が西洋個人主義というものに初めて衝突した副反応であったのではないかと、思う。
漱石は、帰国後、日本における個人の問題を考えながら小説を書いたのだが、その多くは、
「ありがたい世界」ではなく、「住みにくき世」の極みのようなどろどろの愛憎劇である。
漱石は、特に不倫が得意テーマだったようで、
不倫≒日本的家制度を超越する現象≒個人の問題の表出の端的な例
と、捉えていたフシさえある。
......。
確かに、不倫でなくとも、個人の存在というものが切実に問題となるのは、愛と死においてなのかもしれない。
私たちは、西洋個人主義ということばを用いるが、西洋社会も、はじめから、個人主義であったわけではない。
農耕牧畜社会は、必然的に共同体的であり、産業構造の変化、近代都市の誕生、旧来型の秩序の崩壊、国民国家の形成を経て、時間をかけながら、西洋個人主義は、醸成されてきたのである。
当然、その過渡期には、漱石と似たような苦しみも西洋社会はは経験した。
その発露として、ゲーテの『若きウェルテルの悩み』が在るが、この小説は、近代社会が生み出す孤独と、居場所の無さを、そして自らの存在を肯定してくれるシステムを恋愛に求めた青年の苦悩と絶望の物語であった。
もしも、ウェルテルが歌う歌を聴くことが出来るならば、それはシューベルトの『美しき水車小屋の娘』ではないかと、私は、思う。
歌曲集『美しき水車小屋の娘』は、旅をする快活な青年が、水車小屋の娘に出会い、恋をし、失恋し、失意のうちに自殺するまでが描かれる。
主人公の青年は、水車職人で、修行の旅に出ているのであるが、それはまさに
「住みにくき世から、住みにくき煩いを引き抜い」て、自らの足で自由に世界へと、踏み出してゆく喜びに満ちている。
そうして、小川に沿って旅を続けるうちに、水車小屋に行き当たる。
青年はそこで働き始め、その小屋の娘に恋をするのである。
原詩は、ミュラーによるものであり、舞台も中世が想定されているのだが、中世ドイツでは、職人は比較的自由な存在であったようである。
特に建築職人や主人公の職業である水車職人は、定住する必要もなく、己の手腕だけで都市から都市へ、村から村へと渡り歩くことが出来た。
しかし、ミュラーと、そしてシューベルトが水車職人に託しているのは、極めて近代的な意識である。
何にも縛り付けられない自由の謳歌は、拠り所を持たない孤絶の不安と表裏一体である。
だからこそ、主人公は、さすらいつつ寄る辺を探し求めている。
そして、美しい娘がいる水車小屋に仕事を見つける。
このあたりまで、シューベルトのメロディーは、瑞々しく、優美極まりない。
シューベルト自身が、この青年に十分に心を共鳴させている表情を窺うことが出来るかのようである。
しかし、シューベルトは、その表情を仕舞い込み、芸術家特有のあの冷たい表情をしながら、物語を暗転させてゆくのである。
恋の喜びの弾むような音楽から、荒々しい音が現れる。
そう、狩人が現れ、青年から娘を奪っていくのである。
第18曲「枯れた花」で、青年は、
「ああ、涙は5月の緑を育てはしない、死んでしまった愛を再び花咲かせたりはしない。
それでも春はやって来て、冬は去って行くだろう、そしてはなが草の中に育つだろう」
と、嘆き、
「僕の墓の中に置かれている花々、その花々はみな、彼女が僕にくれた花だ。
そして彼女がこの丘を通りかかった時、心の中で思ってくれたなら、『あの人は誠実だった』と!
その時には、すべての花々よ、咲き出せ、咲き出せ!
5月が来たんだ、冬が、去ったんだ」
と、いうようにして死を選ぶのだが、シューベルトは、嘆きの縁にある青年の歌、そして、青年の霊を慰める最終曲「小川の子守歌」に、最も繊細で、最も優しく、最も美しい音楽を付けるのである。
シューベルトの共感は、恋に弾む青年の心ではなく、死を見つめる青年の暗い心にこそ、向かっていたのであろう。
シューベルトのそのような眼差しの背景には、ロマン主義において、死が、
「住みにくき世から、住みにくき煩いを引き抜いて」、個人を解放する最後のよすがとなっていたことが関係しているのかも、しれない。
ここまで、読んで下さり、ありがとうございます。
着地点に迷っていたら、今日は、何だか暗い日記になってしまったかもしれません^_^;
まだまだ、暑いですね。
体調管理には、気を付けたいですね( ^_^)
今日も、頑張りすぎず、頑張りたいですね。
では、また、次回。