「自然保護の父」とも呼ばれ、作家で植物学者、そして自然保護運動家でもあるジョン・ミューアは、
「森羅万象に通じる最もはっきりとした道は、森林の自然にある」
と述べた。
私たちは、いざとなれば概ねどのような環境にも適応出来るのかもしれないが、自然に反した環境に適応する力は私たちの遺伝子には組み込まれていない。
人類の祖先は、何千世代にもわたって自然の中に生き、自然の糧を得て暮らしていた。
人類が、自然を支配するまでには数十万年かかったが、それを破壊するのに要した時間は、たったの数百年であった。
木を見て森を見る人ならば、森が燃えていることもわかるであろう。
喩えて言うなれば、今は世界全体が燃えている状態である。
自然界にとっての最大の脅威は、
「人口過剰、消費、経済的便宜」という致命的な組み合わせではないだろうか。
「人々を養い雇用を生むためには、この熱帯雨林を伐採しなければならない」
「このパイプラインは、私たちの経済にとって必要不可欠になる」
「これらの環境規制によって、私たちの仕事がなくなる」
といった、実は偽善的な発言が繰り返されていることは、周知の事実である。
なぜ偽善的かというと、必要に聞こえるかもしれないが、環境破壊を正当化するために用いられる経済計算は、ほんの数年間にごく僅かな人だけを利する短期間の収益性に、ほぼ常に、基づいており、何世紀にもわたって、それ以外の人々全員が負担する長期的コストを無視しているからである。
莫大な資金を持つ大企業や財界勢力は、毎年何百億ドルもの大金を投じて政治家を買収し、自分たちに刃向かう科学にはケチをつけ、私たちが責任ある環境政策に従えば、雇用が失われ、経済が崩壊すると脅して、一般市民を怯えさせている。
多くの先進国の中で、やはり、企業と超富裕層は、全人類にとって明らかに有益とみなされるべき場合でも、環境保護の課題を醜い党派的な政治問題に変えてしまった。
特にアメリカでは、宗教とは関係の無い大企業も、急進的な宗教右派と、不自然だが強い同盟関係を結んだようである。
しかも、宗教右派は、道徳を細かく管理し、規制することで頭が一杯であり、地球のよき保護者となるべきだという聖書の教えもほとんど無視しているのだが。
......。
環境保護運動もそれなりに活発ではあるものの、大資本や、少なくなりつつある時間との苦しい戦いを強いられているようである。
昆虫学者であり、社会生物学と生物多様性の研究者であるE・O・ウィルソンは、
「私たちは、妄想状態の中を生きている。
特にアメリカは、世界にとてつもない重荷を背負わせている。
私たちのこの贅沢な生活水準は、莫大な費用をかけて実現されている。
現在のテクノロジーを活用して、世界に住む70億の人々の生活水準を、平均的なアメリカ人の水準にまで引き上げるためには、あと4つ地球が必要になるだろう」
と、絶望の念を表している。
現在も将来も、さらに4つの地球を私たちが持つことはない。
私たちが、生き残るためには、たったひとつの孤独な地球を、もっと優しくかつ賢く活用しなくてはならないのである。
ウィルソンは、解決策として、
まず、世界中の生物多様性のホットスポットにある広大な自然保護区域を保存すること、
また、女性を教育し、自立を支援することによって人口を抑制すること、
エネルギー消費量を徹底的に削減し、環境に優しい、持続可能なエネルギー源の使用を劇的に増やすこと、
さらに、新たな緑の革命によって、より多くの食料を少ない土地で生産できるようにすること、
を挙げている。
その解決策は、驚くにはあたらないことであり、私たちはそれを真剣に考えるときにきているのである。
地質学的時間の尺度では、私たち人間が少しばかり手を出したところで、地球はびくともしないだろう。
例えば、マンハッタンから人間を追い出した場合、ほんの数世紀で美しい森林がよみがえると言われている。
また、12世紀頃、カンボジアは、世界でも極めて裕福で、人口が多い場所だったが、今は、非常に多くの都市が、再び生い茂ったジャングルで覆われたり、ジャングルの中に埋没しているものもあり、そのような場所であったとは、思えない。
一方で、人間の短い時間の尺度では、私たちは自然を大きく傷つけると同時に、自分もひどく傷つける可能性があるのである。
自然は洞窟のカナリアのようでもある。
自然を破壊すれば、次に破壊されるのは、私たち人間である。
自然を維持するためには、長期にわたる経済的投資と道徳的義務、そして何よりも私たちの自覚と努力が必要なことは明白であろう。
ただ間違いなく言えることは、私たちが持続可能性を達成できるし、また、達成しなければならないということである。
現在、まだ、多くの国々が向こう見ずな船長に舵取りを任せきりにしており、私たちの小さな船は、
「人口過剰、貪欲な消費、激しい競争」という最悪の嵐に向かって進んでいる。
ギリギリのところで、航路を修正することは、難しいが不可能ではない。
イギリスの批評家サミュエル・ジョンソンは、
「絞首刑になるとわかった者は......素晴らしい集中力を発揮する」と人間の本性について述べている。
必要に迫られることは、徹底した改革の最良のきっかけとなるはずである。
ひとたび、確りとした改革を実現できれば、持続可能社会を維持することは容易になるであろう。
私たちは、今、薄明かりの中、転機に迫られている。
この薄明かりを、新たな暗黒時代が始まる直前の夕暮れにするか、暗黒時代を抜け出す直前の夜明けにするか、物語を変えられるのは、私たち自身でもあることを、改めて認識したい。
ここまで、読んで下さり、ありがとうございます。
今日も、頑張りすぎず、頑張りたいですね。
では、また、次回。