おざわようこの後遺症と伴走する日々のつぶやき-多剤併用大量処方された向精神薬の山から再生しつつあるひとの視座から-

大学時代の難治性うつ病診断から這い上がり、減薬に取り組み、元気になろうとしつつあるひと(硝子の??30代)のつぶやきです

PLAN75を再考する-産業革命から全ては変わった-。

2023-06-11 11:22:20 | 日記


「生産性の向上」というお題目の下、「生病老死」の場が大きく変化している。その背景には「病気や老衰で人が死ぬことが誰かの責任になってしまう」という、ある種の風潮のような問題が横たわっている。

そのとき、QOLという発想や、人間の尊厳、そして「どう生きる」といった根本的な問題すら忘れ去られがちである。
「生病老死」を自然現象として受動的に受け入れることへの拒絶感は医療福祉技術の進展の肯定論に拍車をかけた事実が漫然と寝そべっている。
ミルクティーを目にすると、「残酷だなあ。」と思う。コーヒーより、紅茶の方がカフェイン含有率が高いとあまり思われていないようだが、産業革命の遺物とはあまりにも認識されていない。
私は、女性でうつから這い上がりつつあるが、このように「効率を下げ」る身体は、やはり産業革命以来、工場や企業、そして本当は社会から、高齢者と子どもと女性で精神疾患は「排除の対象」とされた。産業革命以降のこのような視点は生まれ出でて、育てられ、たまには病になりつつ、成長し、やがて老いて死んでゆく時の流れに抗うものである。時計に刻まれるだけが、時間でない、と、産業革命から忘れられた話である。No.2に続く。


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