「原爆の父」として知られているJ・ロバート・オッペンハイマーは、原爆を作ったあとに後悔の念を
「物理学者たちは罪を知ってしまった。このことは消し去ることの出来ない知識である」
と表現した。
「PR(パブリック・リレーションズ、広報活動)の父」として知られているエドワード・バーネイズは、ヒトラーの代弁者であったヨーゼフ・ゲッベルスが自らの著書を根拠としながら、ナチスのプロパガンダを行っていたことを知ったとき
「ゲッベルスは、私の著書『世論の結晶化』(Crystallizing Public Opinion)を根拠として活用し、ドイツにいるユダヤ人に対して破壊的な運動を行った。それを知って私は衝撃を受けた」
と嘆いた。
物理学が罪を知ったとするならば、心理学もまた罪を知ってしまったのかもしれないと、私は最近よく思う。
心理学もまた、民主主義をひどく残酷に貶める政治プロパガンダのための有用な武器を作ることに、手を貸しているからである。
そもそも、広告とは、人々を騙して、もともとは欲しくもなく、必要のないものを買わせる技法である。
政治広告は、国民に考えを売り込み、国民のことをいちばんに思っていない政治家を支持するように仕向ける技法である。
また、広告は心理学の応用である。
扁桃体が司る無意識の感情を操作するために、大脳皮質による意識的で理性のある思考プロセスを回避することによって広告は機能する。
19世紀後半、心理学理論(精神分析学、行動主義、社会心理学)の急増が、そうした理論の消費財売り込みへの活用に繋がった。
さらに、この数十年、心理学は政治のでたらめを売り込むことに誤用されてきたのである。
エドワード・バーネイズは、先に述べたように「PR(広報活動)」の父として知られている。
彼が「PR」という言葉を作ったのは、それまで使われていた言葉であり(実体もそうであったのだが......)「プロパガンダ」よりも、ずっと洗練された響きがあったからである。
ジークムント・フロイトの甥であるバーネイズは、精神分析学、行動主義、集団心理学に由来するテクニックを組み合わせ、企業の経営状態を改善して大成功を収めた。
彼の基本的な着眼点は
「集団心理のメカニズムと動機を理解すれば、大衆に気づかれずに、私たちの意志に従って大衆を管理し、統制することが出来るのではないか」というものである。
これが独自の専門技術に繋がった。
つまり「同意の操縦」によって、消費者の行動に働きかけるのである。
バーネイズは、ファッション、食品、石けん、タバコ、書籍など数多くの消費財の大衆消費者向けのマーケティングのパイオニアであった。
(→例えば、彼の巧みな演出のもと、公共の場で女性がタバコを吸う姿は、不品行ではなくかえってファッショナブルに道徳的な正しく、適度にセクシーにすら見えた。それは、タバコのパッケージを毎年の流行色に合わせて作るように提案したことと、1929年のニューヨークのイースターパレードでラッキーストライクを持った美しいモデルを披露するように演出することだけで実現した)
また、バーネイズバーネイズは、有名人やオピニオンリーダーによる製品の推奨というコンセプトを考案した。
バーネイズは、
「意識的な協力の有無にかかわらず、リーダーたちに影響を与えることが出来れば、彼ら/彼女らが感化する集団にもおのずと影響を及ぼすことが出来る」
と述べている。
バーネイズと、ほぼ、同じ頃、ジョン・ワトソンも心理学理論を広告という金貨に変え、思わぬ大成功を収めた。
彼の立身出世の物語は、アメリカだからこそ実現した。
貧しいながらも、大きな希望を持った少年は、優れた教育を受け、アメリカで最も有名な心理学者にまで上り詰めたが、その後突然、すべてを投げ打ち、新たに急成長を遂げる広告業界に入り会長として富を築いたのである。
ワトソンは、パブロフの研究である犬の条件づけを人間に拡大して解釈し、自覚した意識を人間に拡大して解釈し、自覚した意識を回避して潜在的意識に働きかける手法によって、人間の行動に大きな影響を及ぼすことができることに気づいた。
彼は、この手法を「行動主義」と呼んだ。
それは、行動主義が意識の複雑さや人間の心に「関心を向けない」、または、「評価しない」からである。
そして人間も犬も同じように操ることが、可能だというのである。
ワトソンは、行動をコントロールする自分の手法を用いて、人々に商品の購入を促した。
(→例えば、コーヒーブレイクというものを考案して、マックスウェル・ハウスのコーヒーを売り込んだ。)
ワトソンは行動心理学と現代広告の両方の父として、驚くべきふたつの顔を持っていた。
そして、彼は、大量消費主義に科学的な方法を取り入れることにも、見事に、成功したのである。
消費者向けの広告用に開発された手法は、政治プロパガンダという、もっと汚れた世界でも、きわめて大きな成果を発揮した。
冒頭に述べた、ゲッベルスのように心を操る武器は政治闘争に利用されていったのである。
ゲッベルスは述べている。
「四角いものが実は丸であると証明するのは、不可能なことではない。
関係する人々の心理を理解し、そうであることを十分に繰り返し言い聞かせればよいのだ。
それは単なる言葉であり、言葉は偽りの概念をまとうように形作ることができる」
と。
そして、
「多くの一般市民にとって、議論は単純明快で説得力があり、知性ではなく、感情や本能に訴えかけるものでなければならない。
真実は重要ではなく、駆け引きと心理作戦に完全に従属している」
と。
ここまで、読んで下さり、ありがとうございました。
今日も、頑張りすぎず、頑張りたいですね。
では、また、次回。
*いつものことながら、見出し画像は今、手元にある関心のある本で、内容と「直接」の関わりはありません( ^_^)