おざわようこの後遺症と伴走する日々のつぶやき-多剤併用大量処方された向精神薬の山から再生しつつあるひとの視座から-

大学時代の難治性うつ病診断から這い上がり、減薬に取り組み、元気になろうとしつつあるひと(硝子の??30代)のつぶやきです

樂羊の方が、なぜかしら、なせだろう-ある恩師の着火点より -

2023-11-18 08:04:26 | 日記
電話で、恩師に
たまたま、君が朗読していた
「七歩の詩」が
興味深い、と、言われて考えた。

「七歩詩」、弟の哀しさを曹植(192~232?)
が、兄の曹丕(魏の文王)に文武などの才能を妬まれ、困った話を詩にしたらしい。

兄「お前が、7歩歩くうちに詩を作れ!作れたら死罪にしないぞ!!」

弟「そっ、そ、そんなあぁ--。」

たぶん私が弟なら、ゆっくりムダな時間稼ぎをするところだが、
火事場の馬鹿力なのか
曹植(→曹操の正嫡の三男というややこしい位置)が幼い頃より詩など数十万言を諳んじた結句なのか。

兄「......。」
弟「豆を煮て濃いスープを作る

そんなとき豆で作った調味料を濾こして味を調える

豆がらは釜の下で燃え

豆は釜の中で泣く

豆も豆がらも(同じ兄弟なのに)
同じ根から育ったものなのに

豆がらは豆を煮るのにどうしてそんなに激しく煮るのか
(→僕はわからないぞ、なんてこった兄さん!!)。
と、原文では、
「煮豆持作羹
漉鼓以為汁
萁在釜下燃
豆在釜中泣
本是同根生
相煎何太急」

しかしなあ、樂羊の方が......。
......。こんな、怖いような、微笑ましいような話より怖い話が、漢文にはざらにある。
ただ、
やり過ぎは誰でも怖い。

樂羊は、
自分の子の羹を飲んだ。
功績を挙げたが、
人の命を軽んじているのか?
と、
君主に疑われた。

孟孫は
鹿の子供を放したため、一度は処分されたが、
情愛深いことを見込まれて主は子供の傅役にした。

七歩の詩で面白がって下さった恩師に感謝するとともに、
Amazon経由のある古書店の間のAmazonの対応が揺らぎすぎて不安だ。
私はただ、リチャード・ドーキンスの「利己的な遺伝子」が欲しいだけなのに。


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