今は、
「ゴドウィンの法則」
と名づけられ、そう呼ばれているようである。
1950年代に、
レオ・シュトラウスが
「ヒトラー論証」と呼び揶揄した現象は、インターネットの時代に「ゴドウィンの法則」と名づけられた。
「ゴドウィンの法則」
≒「オンライン上の議論が、
そのテーマや対象範囲にかかわらず長引くにつれて、
ヒトラーやナチスが引き合いに出される確立は1に近づいてゆく」である。
時代によって名前は変わるが、本質は変わらないようだ。
では、議論で引き合いに出すのには、安っぽい常套手段で禁じ手とされる、ヒトラーについて今回は、少し考察してみようと思う。
ヒトラーは、国民による一般投票で勝ったことがない。
最も良かったときでも、44%の得票率である。
そんなヒトラーが、単に憲法の形式主義を利用するだけで、彼の権力に対する憲法上の制約を全て無効にするという破壊行為を起こしてしまった。
着目すべきは、
この破壊行為は見かけ上が無害を装いながらも、突如として起きたことである。
さらに、着目すべきは、
1933年のドイツ国会議事堂放火事件という1件のテロ事件が、
ヒトラーのショック・ドクトリン的な手法をゆるし、
ヒトラーによる独裁政治をゆるし、
ヒトラーのための大義名分をゆるしてしまった事実である。
そして、1933年に制定されたワイマール憲法の修正事項である「全権委任法(機能付与法)」によりヒトラーは、議会や司法の承認なしに、法を制定し、公民権を廃止し、簡単に反対勢力を潰すことができるようになった。
しかし、ヒトラーのみの力でこのような現象が起きたわけではないであろう。
ヒトラーを生み出した社会にも病理はあるはずだ、と私は、思う。
歴史にifは無いというが、ヒトラーを選ばない社会は存在し得なかった、と言えるだろうか?
確かに、その時代の真っただ中に生きている人間には、今後の歴史の展開など正確にはわからない。
カオス理論よろしく、些細に思える出来事が、驚くほど大きな現象をおよぼすことだってある。
よく、ヒトラーが芸術学校で評価されていたら、世の中は違っていただろう、と私は空想する。
クレオパトラの鼻がもう少し低かった場合の世界を考えることと同様に無意味だとはわかっていても、である。
ヒトラーが、市民の不安や怒り、そして敵意を利用した理由のひとつは、
ヒトラー自身が、自分が軽蔑され、不当に扱われていると感じ、多くの恨みを抱えていたからだと推察する。
やがて、ヒトラーは、
「真実は変えることが可能なもの、大胆(かつあからさまな)嘘は効果的な武器、そして道徳は余計なもの」だ
と、見做した、見做し続けた。
その当時の社会もまた、その流れを断ち切ることは出来なかった。
その歴史は人類の記憶に、もう確りと刻まれている。
歴史はそのまま繰り返さずに、せめて、韻を踏むだけにしなければならない、と思う。
ここまで、読んでくださり、ありがとうございます。
今日は少し長文になってしまいました。
読んでくださり感謝です。
今日も、頑張りすぎず、頑張りたいですね。
では、また、次回。
*前にも描きましたが、見出し画像は、最近読んだ、読み直した、読み直そうとしている本の表紙などにしていることがよくあります。木村元さんのお父さんの木村敏さんの御本にも大学院時代は助けられました。