現在見られる政治の二極化や政治的憎悪が無ければ、トランプ大統領の誕生はあり得なかっただろう。
また、党派的な増悪を煽り、政治の二極化につけ込まなければ、トランプの選挙戦そのものは成り立たなかったのかもしれない。
一般得票数が少なかった中での当選ではあったが、トランプ大統領は独裁的な動きを推し進めることで、自分の支持層がより自分についてくると確信して、今日まで行動しているように見える。
なぜなら、政治の二極化により、トランプの支持層にもまた中道の選択肢がなくなっているからである。
政治の二極化は、いつでも、独裁者を目指す者が是非とも埋めたいと思うような政治の空白を生むもののようである。
初代大統領のジョージ・ワシントンは退任時に不安を覚え、建国間もないアメリカが、不確かな未来を生き抜く上で、政治の二極化が深刻なリスクとなることを真剣に考え、
「政治の二極化は、根拠のない嫉妬や間違った警告によって共同体を動揺させ、他者に対する敵意を煽り、時には暴動や反乱を誘発する。
外国からの干渉や腐敗への扉を開き、党派的情熱という経路を通じて、悪影響が容易に政府そのものに及ぶようになる」
と警告したのである。
ワシントンが警告した内容は、トランプ政権下でアメリカが抱えた問題そのもののようにもみえる。
確かにこれまでにも、アメリカには、政治的に二極化したデマゴーグが常に相当数存在はしていた。
しかし、トランプのような大統領は選ばれてきたことはなかった。
1960年代までは、民主党と共和党の2党には、重なり合う部分がきわめて多かったため、当選する者が、一時的に変わったことで多少の問題が生じても、政策が劇的に変化することは、なかったのである。
ところが、今はもうそのような状況ではなく、もはや政治を軽視しても良い理由はなくなっている。
今、政党を隔てる違いは、明確で不変で妥協できないようにも思える。
アメリカの民主主義と世界の持続可能性の両方をかけた選挙は、一か八かの博打のようになってしまっているのだ。
「政党内のふるい分け」は過去50年のアメリカ政治を支配し、二極化してきた。
それが始まったのは、南部テキサス州出身の民主党大統領リンドン・ジョンソンが積極的に取り組み、1964年に公民権法を可決させたときだった。
つまり、南部出身の民主党議員の激しく執拗な反対を押し切って可決させたのである。
南北戦争以降、南部は民主党の強固な支持基盤であった。
社会、経済、人種、宗教、軍隊に関しても、南部は一貫して保守的な価値観を保っていた。
共和党は、1964年に、バリー・ゴールドウォーターが大統領選に出馬したときに初めて掲げられ、1968年と1972年の大統領選を制したニクソンによって完成された「南部戦略」によって、民主党の強固な基盤である南部を突如、共和党支配の南部へと確実に変えることに成功したのである。
こうして、共和党全体はさらに保守寄りに、民主党はリベラル寄りの政党となった。
そして、ついに、両党が重なり合う部分はほとんどなくなったのである。
南北戦争後の南部再建時以来、アメリカの政党における二極化の度合は、今が最大となっている。
また、政治の二極化が進むにつれて、党派的嫌悪の感情が強まってきた。
2014年にピュー研究所が行った、1万人の成人を対象とする調査では、対立する政党に対して強い嫌悪を感じる人の割合が増えていることが(共和党員では17%→43%、民主党員では16%→38%)判明した。
また、対立する政党が国の安定の脅威であると心配する人も増えていた(民主党員の70%、共和党員の62%)。
両党とも極端に党派心の強い人ほど政治プロセスに深く関わり、中道の穏健な人々を納得させるよりも党の極性化を進めることに熱心である。
そして穏健派は消えつつある(49%→39%に減少)。
政治に関心を持つ人々は、自らと同じ政治的思考持つ人々ばかりで集まる傾向もみられる(共和党員の63%、民主党員の49%)。
そして、この調査の最も恐ろしい結果は、半分以上のアメリカ人が、現在の「民主主義のあり方」について不満を抱いているということである。
トランプ大統領はかつてこのような状況の中から登場し、再び彼が大統領になるときに世界が備えているようですらある。
しかし、今、私たちが考えるべきは、トランプ大統領という表面化した「症状」ではなく、その深部に在る「症状」の「原因」というべきもの、なのかもしれない。
ここまで、読んで下さり、ありがとうございます。
暑くなるこのシーズン、私は、毎年ながら、体調を崩しがちです^_^;
体調管理には気を付けたいですね。
今日も、頑張りすぎず、頑張りたいですね。
では、また、次回。