パウロ・コエーリョは、
「幸福とは、私たちの遺伝システムが、その唯一の役割である種の存続を果たすために、私たちに仕掛けるひとつのトリックに過ぎない」
と述べている。
そのことばの根拠となるような、ふたつのことを1838年に、ダーウィンは「大」発見したのである。
つまり、彼は、「進化の仕組みを突き止める」のとほぼ同時に、「進化が人間の心理に与える影響」を発見したのである。
これらは、素晴らしく単純明快な理論であり、また、驚くべきことに、ダーウィンより前に誰ひとりとして、これらをつなぎ合わせた者はいなかったのである。
多様性豊かな生命の姿は、「自然選択」と「性選択」の相互作用によってもたらされるものである。
つまり、人間の存在は、神の介入を受けてすでに予定されていたものでも、目的を持ったものでも、導きを受けたものでもない。
だからこそ、人間の身体と心にもともと備わっている仕組みを理解するためには厳しい自然を息抜き、生命力のある子孫を育てるための戦いに勝つためにどのような利点が身体と心に与えられているのかを理解しなければならないようである。
自然選択が進化を促す仕組みは、今や多くの人に知られている。
ひとつの種に存在する変異体の中で、最も環境に適応したものが最終的に繁殖の競争に勝ち、その子孫が、地球上での小さな居場所受け継ぐ。
彼ら/彼女らが生きられるのは、少なくともさらにうまく環境に適合した変異体に居場所を奪われるまでの間である。
不完全な形態や機能を持つ個体もまた生き残れず、残す子孫の数も少ない。
さらに、環境によく適応した遺伝子は何世代にもわたって増えることが出来る。
また、自然選択では、一様であることが好まれる。
例えば、あるひとつの種に属する鳥はすべて、ほぼ同じ長さの翼を持つ傾向にある。
それは、その鳥の飛び方に丁度合った長さだからである。
また嘴が同じ形をしているのは、その鳥特有の獲物を食べるにあたって最も効率が良いからである。
一方、性選択が、ひとつの種の中で、いかに幅広く変化に富んだ違いを生み出しているかについては、あまり知られていない。
このことを、最も美しく詩的なことばで説明した人は、ダーウィンが初めてではないだろうか。
ダーウィンは
「性選択の原則を認める者は、神経系が身体の既存の機能の多くを整えるだけではなく、さまざまな身体構造と、ある種の精神的気質の漸進的発達に間接的な影響を及ぼしてきたという、注目すべき結論に達するだろう。
勇気、好戦性、忍耐力、体力、体格、あらゆる種類の武器、発声および器楽的な音楽器官、明るい体色、装飾的な付属器はすべて、雌雄のどちらか一方が相手を選ぶことによって、愛情や嫉妬の影響を受けることによって、また、音や色、形の美しさに魅せられることによって、その相手が間接的に獲得することになったものだ。
そして、そうした心の能力は、明らかに脳の発達に依存している」
と述べている。
ダーウィンの洞察の見事な点は、動物の心が進化の産物であるのみならず、進化の最も重要な原動力のひとつであるという点にある。
自然選択では、環境に拠って、勝者と敗者が分かれる。
一方、性選択では、繁殖相手の選択に拠って、次世代に受け継がれる形質が選ばれるのである。
人間の心は、ときにバランスが不安定となる自然選択と性選択によって形成されてきた。
自然選択において、相手の見た目は関係ないと言える。
言い換えれば、その日なんとか生きるのに最も適した生き物を選択する以外の目的はないのである。
一方、性選択では、相手の美しさが問われると言える。
......もちろん美しさの本質は常に見る者次第ではあるのだが......。
通常、雌が、将来の進化の道筋を決めるのに何らかの決定権を持っているとされる。
例えば、雌の孔雀は、長い魅力的な尾を持つ雄の孔雀を好む。
自然選択の観点からすると、そうした尾はエネルギーを消耗する邪魔な存在ではあるが、それを好むのである。
(→雌の孔雀が、扱いにくくとも豪華な尾を持つ雄を好むのは、雄がそうした理屈に合わない、余分なものを持っているからにほかならないだろう......。
)
つまり、派手な尾だけを見れば、自然選択の過程で生き残るにはマイナス要因となるが、そうした尾を持つということは、繁殖、採食、寄生動物との戦い、捕食者の回避、その他子孫が生き残れるようにするために必要なことすべてに対する、素晴らしい遺伝子を持っているという証になるはずである。
また、人間の精神的特質のある部分は、環境上の問題に対処する自然選択という戦いを私たちが競えるようになるために進化した。
その他の精神的特質は、繁殖を巡る戦いの方に役立つものであり、確実に個人が生き残れるためと言うよりは、子孫繁栄を促すものである。
人間が、言語や喜劇、音楽、芸術的能力を進化させてきたのは、それらが贅沢な健全さの指標だったからであろう。
そのような遺伝子は、生き残るための良い遺伝子があることを示すため、魅力的に映るのであろう。
今も昔も、多くの人々にとって、ダーウィンの実証論的な心理学を受け入れることは、難しいであろう。
確かに、全生命の受難激励でステージ中央の座を失い、生きることと繁殖に苦労する霊長類の一種としてつまらない役に甘んじることは面白いことではないし、自由意志があるという幻想や行為すべてを意識がコントロールしているという幻想を失うことも不愉快である。
しかし、ダーウィンは、生命の木の言いようのない複雑な進化に万物に宿る神の崇高さを見出してもいたのである。
私は、急速に変化し、さまざまな問題を抱える現代の世界の中で、人間が持っている動物の心を理解することは、人類の生存に今、まさに必要とされるものへと向かうための潜在的な力になる、と、考えている。
進化の驚くべき点は、変化に対する愛情と多様性に対する寛容さである。
驚くべきことだが、何兆回も進化のサイコロを転がした結果、アインシュタインが生まれるとともに、ヒトラーも生まれたことは事実である。(→また「ヒトラー論証」のようになってしまった......)
あるひとつの種の生存期間やその種が避けられない消滅を迎えるタイミングと原因は、予め厳密に決められたものではなく、むしろ極めて多くの変異の間に生じる複数で偶発的な相互作用によって生まれてくるのであろう。
さて、これから人類はどうなるのだろうか、そして、どうするのだろうか。
ここまで、読んで下さり、ありがとうございます。
明日からまた数日間、不定期更新になります( ^_^)
またよろしくお願い致します(*^^*)
今日も、頑張りすぎず、頑張りたいですね。
では、また、次回。