1924年。
梶井基次郎の「檸檬」が発表された年は、アンドレ・ブルトンが「シュルレアリスム宣言」を発表した年でもある。
レディメイド(既成の物品をそのまま使って作品化する)やアッサンブラージュ(既成の物品の集積で作品を創る)は、シュルレアリストやダダイストが好んで用いた技法だ。
インスタレーション(特定の場所に一定期間仮設され、設置空間込みで鑑賞される作品)は1960年代あるいは1970年代以降に一般化する制作・展示方法だが、源流を求めれば、やはり、ダダに辿り着く。
1924年。
私は、梶井基次郎の『檸檬』を読む度に、梶井が、流行や時代の潮流、そしてどうしようもない世の中の流れによってこの小説を生み出したのではなく、
「いかにして外的に否定された生を肯定するか」
に対してひとつの答えを示すためにこの小説を生み出したのだと思う。
『檸檬』の主人公の(芸術)行為は、「自己の満足する美」としてのオブジェを「そのままの形でその場に放置する」ことからはじまる。
この放置されたオブジェに気付く人の心のなかで何が起こるだろうか。
自分が創ったもの(≒作品)が、自分の知らないところで、不特定多数の人たちと関わりを持ち、それが「他の生を肯定する」重大な関わりになる可能性を主人公とともに主人公の作者である梶井は考えたのかもしれない、と、私は、思う。
自己の内部が、外的な評価・圧力に拮抗するための手段として「自己の満足する美」を「創造する」ことを教えてくれた小説のひとつは『檸檬』だ、と、私は、考える。
そして、1924年に奇しくも同時に芽吹いた萌芽たちが、今、種類を増やし、場所を増やし、そして、理解される人たちを増やした花として咲いていることを、私は、感じる。
ここまで読んでくださりありがとうございます。修論+αの要素もあり、朝から固めの日記になってしまいました。
今日も頑張りすぎず頑張ろうと思います。見出し写真は昨日、銀座で撮りました。では、また、次回。
銀座の写真、
いいですね(*´∀`*)
お互い無理し過ぎないよう、
暑い日を
乗り切っていきましょうね💪
テル