おざわようこの後遺症と伴走する日々のつぶやき-多剤併用大量処方された向精神薬の山から再生しつつあるひとの視座から-

大学時代の難治性うつ病診断から這い上がり、減薬に取り組み、元気になろうとしつつあるひと(硝子の??30代)のつぶやきです

肯定できる人生へのヒント

2023-08-18 06:29:09 | 日記
甲子園も明日から準々決勝だ。

準々決勝への切符をかけての勝負をしているくらいだから、野球に詳しくない私が観ても、ものすごいプレーが続出する。
ここまで、どれほどの努力を積んできたのか……想像を絶する、というより、想像することも私などには不遜なことかもしれない。
驚いたのは、苦しいはずの場面で、楽しそうにプレーをしている選手(チーム)が多いように、私には、見えたことだ。
ますます驚いた、頭が下がった、そして、感動した。
彼らはキツかったとしても、その体験を否定せずに成長に繋げていける素敵な人たちなのだなあ、と、思った。
そんなことを考えているとき、ふと、ある人の肖像が心をよぎった。
70代後半の私の叔父の肖像である。
もうこの時間なら、電車に乗って暑さを避け、通勤をしているだろうか。
「俺、死ぬまで仕事していたいなあ。」
と楽しそうに妹(=母親)に電話がかかってきたことを聞いたのは、1ヶ月ほど前である。
暑くなる&混む時間帯の前に起きているらしい、と母はケロッとして言っていたが、私は自分よりかなり早起きの心身タフな叔父に畏怖にも近い念を感じた。
でも、甲子園で笑顔をみせている選手たちを見て、この夏のうだるような暑さにふれて、そんなとき、叔父の肖像浮かぶのだから、苦しいと外的な視点からは規定されそうな状況でも、内的な視点から自らを規定し直そうとする叔父の胆力には長らく圧倒されっぱなしである。
「小難しいこというなよ。好きでやってるんだ」
「小難しいこといわないの。好きでやってるのよ」と叔父と母には一笑に付されそうである。

甲子園の選手たち、楽しんで働く人たち、そして人生を楽しんで生きようとする人たちに
「汗水垂らして誰のためにやっていると思うんだ!」
と言う幼稚なマインドの人はいないし、それは、どの行動も考えも突き詰めれば「自分のため」であると知っているからであろう。

今日(も)、自分なりに「自分のため」に精一杯生きた、といえるように、頑張りすぎず頑張ろうと思う。

ここまで読んでくださりありがとうございます。いろいろあり、心身ともにきつかったのでせめて日記は、と今回は普通な感じにしてみてしまいました。タイトルとずれているような……うまくいえません……軌道修正していきたいと思います。では、また、次回。


最新の画像もっと見る