誰にも、私のような体験はしてほしくはない。
「人生も進めば、枝葉を切り落とすように、諦められて、選択肢が減るからあなたは楽になるはずだ」
と、かつて私の主治医のひとりは、言った。
現に、私が捨ててきたものは、たくさんある、ゆっくりとそれは描いてみるつもりだ。
本当に、誰にも、私のような、体験はしてほしくはない、それだけは言えるし、それしか言えない。
精神的な病と闘うだけでは、なかった。
その病を利用する人たちや、それらに負けないようにしていても、どうしても頑張れなくなる自分自身も闘う対象だった。
むしろ、病そのものより、それに伴う減薬や、弱ってゆくほどに増える他人の冷たい目線や刃物のように蔑んだことばや扱いたち、さらにその他人の行為に負けそうになる自分自身との闘いだった。
本当に、長い長い闘病生活のように感じる。
人生の半分近くを闘病とそれに関わる減薬に費やしてきたように思うが、ほぼ事実なので、仕方ないのであろう。
どれほど自分や記憶、そして人間としての尊厳を喪ったのか、私にもわからない。
はじまりは、高校生のある日だった。
おとなしく模試を受けていた私の目の前が、昔の、 今や見ることもない分厚いテレビによくあるような、ざーっ、というの感じの、白黒の砂嵐のような世界に支配される恐怖と大量の冷や汗とも脂汗とも分からない汗が模試など緊張する場面に出るようになった。
このときも症状はもちろんのこと、また、症状が出ることを私は、恐れた。
日々がその闘いだった。
精神的に卑しく、他人に対して偉そうにしたい、過去もやはり愚かな私は、どうにか世間さまが良い学校と呼ぶところに入り、「先生」と呼ばれる職業に就こうとしていたのである。
(→結構、キツいので
言ってみた、言ってみよう②に回します)
喪った時間を考えても虚しいだけであるが、それを描いてやれ、と、やっと決意できた。
誰にも、私のあとに、悲惨な体験なんてして欲しくはない。