おざわようこの後遺症と伴走する日々のつぶやき-多剤併用大量処方された向精神薬の山から再生しつつあるひとの視座から-

大学時代の難治性うつ病診断から這い上がり、減薬に取り組み、元気になろうとしつつあるひと(硝子の??30代)のつぶやきです

仮面、じゃない告白-言ってみよう、言ってみた②-

2023-12-16 06:36:50 | 日記
「人はその心で考えるごときものとなる」
(ダビデ)

もしも、ゴール自体がないマラソンが在ったならば、参加できる人はどれほどいるのだろう、そして、走り切れたとか、ゴールだと思える人がどれほどいるのだろう。

走れるところまで全速力で走れと言われても、ゴール自体がないマラソンに完走者はほぼいない、と、私は思う。

マラソンランナーは、ゴールが在るから、全力疾走で、かつ、計算しながら走れるのである。

事前にゴールが示されていなかったのならば.......人生の目的を喪いながら、戦略を立てたつもりで、戦術に拘泥したのが私である。

高校生のあたりから、なにかおかしいのは、解っていた。
しかし、直視はしたくなかったので、しなかったのである。

相談は、しなかった。
単に、私が、格好をつけたかっただけである。
あとは、親に「こいつはダメだ」と思われたくなかった。
ちなみに、父は男尊女卑観念が強く(→いまだに、自分ではテレビのリモコンの音量調節や、エアコンの温度調節もしないので悩ましい......。)、なんとなく幼少期から反発心を覚えていたため、
「父よりいい所に行くぞ。少しばかり、私だって、やれば出来るんだぞ」
と示したかった。

ただ、そこで、私は頑張りきれず、後々、それに罪悪感を覚えることになる。

馬鹿のひとつ覚えで、高校3年生のときには、ノーベル賞が格好良くて、
なんとなく模試を信用し、私立は受けずに、京都大学の理学部を受けて、綺麗に前期も後期も落ちた。

浪人を余儀なくしてしまったので、あっさりとノーベル賞の格好良さは捨てて、地方の医学部に活路を求めた。
そのくせ、私は自信がないので、予備校の方々の云う、防衛医科大学校や産業医科大学を受けずに(→国立前に落ちるのが怖かったので)、そのまま地方医学部を受けた、そして落ちる。

また、センター試験が終わるまで、懲りない我が家は私立大学を出していなく、焦った。

えっ、2浪はムリだなあ......そんなとき早稲田は、センター試験後の出願がOKだった。

おお、神様ありがとう、と、感謝した。

しかし、国立医学部の欲を捨てきれない当時の我が家は、
「1日だけ、私立を受けよう」
と、考えた。
そして、田中康夫(『なんとなくクリスタル』)もびっくり、しないかもしれないが、日程的に
(センター試験+小論文入試ならまあいいか、と)
「なんとなく商学部」
にしてしまったのである。
なんとなくなので、緊張してパニック障害が出てしまう国立と違い、パニック障害が出ずにすんでホッ、と、したことを覚えている。
ちなみに、某地方国立医学部の際は、パニック障害どころか、お昼ご飯正露丸作戦も飲んでも効かないムダな感じで、綺麗に
落ちた。
お守りは、持っているだけでは効かないことを痛感した。
限りなく不安は広がった。
しかし、大学付近の医療機関に私は一縷の望みを託していたのである。
あの頃は、若かった。
たぶん、何も、怖くなかった、
のかもしれない......。


最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (ナビィ)
2023-12-16 09:53:48
こんにちは🌞
興味深く拝読させていただきました。
うん、とってもよくわかるわ〜と思いながら
私も昔のことを思い出していました。
大学受験は私だけでなく兄も家族もみんなが振り回されました。
私も色んな感情に支配されながら受験を終えましたが、全ての感情を認めていると寝る時間さえなくなってしまうので、ある意味鈍感に見逃すことをしていました。
ようこさまも思い出すことで整理出来てるのかもしれませんね✨
思い出は苦いものもありますが、自分だけの大切な記憶かもしれませんね。
書いていただいてありがとうございました。
私も記憶の旅に出ることが出来ました✨
返信する
Unknown (yoko-2-1)
2023-12-16 09:59:05
ナビィさん
こんにちは。
えーっ、そんなにありがたいことを言ってもらって良いんですか?!?!^_^;
こちらこそありがとうございます( ^_^)
返信する