「人はその心で考えるごときものとなる」
(ダビデ)
もしも、ゴール自体がないマラソンが在ったならば、参加できる人はどれほどいるのだろう、そして、走り切れたとか、ゴールだと思える人がどれほどいるのだろう。
走れるところまで全速力で走れと言われても、ゴール自体がないマラソンに完走者はほぼいない、と、私は思う。
マラソンランナーは、ゴールが在るから、全力疾走で、かつ、計算しながら走れるのである。
事前にゴールが示されていなかったのならば.......人生の目的を喪いながら、戦略を立てたつもりで、戦術に拘泥したのが私である。
高校生のあたりから、なにかおかしいのは、解っていた。
しかし、直視はしたくなかったので、しなかったのである。
相談は、しなかった。
単に、私が、格好をつけたかっただけである。
あとは、親に「こいつはダメだ」と思われたくなかった。
ちなみに、父は男尊女卑観念が強く(→いまだに、自分ではテレビのリモコンの音量調節や、エアコンの温度調節もしないので悩ましい......。)、なんとなく幼少期から反発心を覚えていたため、
「父よりいい所に行くぞ。少しばかり、私だって、やれば出来るんだぞ」
と示したかった。
ただ、そこで、私は頑張りきれず、後々、それに罪悪感を覚えることになる。
馬鹿のひとつ覚えで、高校3年生のときには、ノーベル賞が格好良くて、
なんとなく模試を信用し、私立は受けずに、京都大学の理学部を受けて、綺麗に前期も後期も落ちた。
浪人を余儀なくしてしまったので、あっさりとノーベル賞の格好良さは捨てて、地方の医学部に活路を求めた。
そのくせ、私は自信がないので、予備校の方々の云う、防衛医科大学校や産業医科大学を受けずに(→国立前に落ちるのが怖かったので)、そのまま地方医学部を受けた、そして落ちる。
また、センター試験が終わるまで、懲りない我が家は私立大学を出していなく、焦った。
えっ、2浪はムリだなあ......そんなとき早稲田は、センター試験後の出願がOKだった。
おお、神様ありがとう、と、感謝した。
しかし、国立医学部の欲を捨てきれない当時の我が家は、
「1日だけ、私立を受けよう」
と、考えた。
そして、田中康夫(『なんとなくクリスタル』)もびっくり、しないかもしれないが、日程的に
(センター試験+小論文入試ならまあいいか、と)
「なんとなく商学部」
にしてしまったのである。
なんとなくなので、緊張してパニック障害が出てしまう国立と違い、パニック障害が出ずにすんでホッ、と、したことを覚えている。
ちなみに、某地方国立医学部の際は、パニック障害どころか、お昼ご飯正露丸作戦も飲んでも効かないムダな感じで、綺麗に
落ちた。
お守りは、持っているだけでは効かないことを痛感した。
限りなく不安は広がった。
しかし、大学付近の医療機関に私は一縷の望みを託していたのである。
あの頃は、若かった。
たぶん、何も、怖くなかった、
のかもしれない......。
興味深く拝読させていただきました。
うん、とってもよくわかるわ〜と思いながら
私も昔のことを思い出していました。
大学受験は私だけでなく兄も家族もみんなが振り回されました。
私も色んな感情に支配されながら受験を終えましたが、全ての感情を認めていると寝る時間さえなくなってしまうので、ある意味鈍感に見逃すことをしていました。
ようこさまも思い出すことで整理出来てるのかもしれませんね✨
思い出は苦いものもありますが、自分だけの大切な記憶かもしれませんね。
書いていただいてありがとうございました。
私も記憶の旅に出ることが出来ました✨
こんにちは。
えーっ、そんなにありがたいことを言ってもらって良いんですか?!?!^_^;
こちらこそありがとうございます( ^_^)