「われわれは敵に会った。
それはわれわれである。」
(ウォルト・ケリー)
私たちは、コンピューターが、私たちの問題を解決することが出来る
と
考えがちであるが、
「なぜ、
コンピューターが人間を問題のひとつである
と
どうして考えないことがあろうか?」
、と、考えないのだろうか??
人工知能の熱狂的な支持者は、コンピュータの能力の想像を絶する成長を予測したムーアの法則(1985年)がおそらく将来にわたって限りなく続き、コンピューターが数十年以内に人間の知能を追い越すと予測した。
人工知能の最も初期の先駆者である、アラン・チューリングとジョン・フォン・ノイマンは、
60年以上前に、やがてコンピューターが、一部の「力任せの計算力に頼った知性の勝負」で、ことごとく人間に勝つ、とは考えていたが、こうしたことをさまざまな局面でこのような勝負のつけ方をするほどチップ技術が進歩するとは、まったく想像はしていなかった。
人間は、賢くなるにしても、
そのスピードはコンピューターに比べてとてもゆっくりである。
なぜなら、ずば抜けて賢いと今思われているコンピューターが、さらにもっと賢いコンピューターを開発することができ、さらにそれがまた賢いコンピューターを開発するというプロセスが繰り返されるため、私たち人間は学習スピードの点で大きく引き離されるようになってしまうからである。
「シンギュラリティ」ということばがある。
「シンギュラリティ」ということばは、人工知能が人間の知能を追い越すという進化の転換点を表すのに使われるためことばである。
そのときに、何が起きるのかは、誰にも、わからない。
ただ、「シンギュラリティ」が来れば、コンピューターは人間に完全に取って代わる可能性がある、ということだけは、確かである。
人工知能の業界は、極めて深刻な結果をもたらす可能性を考えず、
期待と成果を限界まで高め続けている熱狂的な人々であふれている。
彼ら/彼女らは、
政府や企業、億万長者の素人に近い愛好家にも多額の資金援助を受け、
新たな人工生命体を作る力の虜となった、
現代のフランケンシュタイン博士である。
彼ら/彼女らの仕事は、技術発展やその概念の進歩に私たちの考えや規制が追いつかないために、
ほとんど規制されておらず、
その危険性に関わる貴重な議論はほとんど行われていない。
これは、現代における問題のひとつではないだろうか。
ここまで、読んでくださり、ありがとうございます。
数日ぶりですが、日記に復帰しました。
これからもまたよろしくお願いいたします。
では、また、次回。