民族というものは、「新しくて新しい」問題である。
「古くて新しい」わけでもないし、「新しくて古い」問題でもない。
19世紀以降、すべての差異を塗りつぶして普遍化していくような近代主義が出現してから、それに抵抗して
「そうではない、私たちには、普遍化から守るべき独自性があるのだ」
という形で見出されたもの、それが「民族」という神話なのではないだろうか。
「そうではない」という否定から始まっているから、積極的に、肯定的に「民族」を定義することはなかなかに難しい。
確かに、私たち日本人が『荒城の月』を聴くとき、曰く言い難い心境にとらわれる。
それを、日本にゆかりのない人たちに説明することは、ほとんど不可能であろう。
音楽は、言語を超えた言語である。
『荒城の月』という言語には、日本人が自覚・無自覚を問わず受け継いできた、「平家物語的な無常観」が語られている。
かつて、ここには人が生きて、喜び、哀しみ、怒り、笑っていたが、その人々は、もう地上にはいない、という感傷というより、世界観が語られているのである。
そして、そのような、明示不可能な世界観というもの、どうやらこれが「民族」の概念の中心にあるようでる。
このような近代に生まれた「民族」の概念に、1番困ったのは、今はなきソビエト連邦であろう。
巨大な版面を擁するソ連は、必然的に多くの「民族」を抱えることになった。
本来、様々な差異を持つ人間を「労働者」と「資本家」に強引に区分けしようとするのが、共産主義の根本思想である。
そのような区分け、あるいは普遍化への抵抗は、民族運動として表出してくるのだが、そもそも、「民族」というものが捉えがたい概念のため、なかなか有効な対応策は無いのである。
民族概念の根本は、地縁や血縁ではないか、と思い付いたスターリンは、地域部族の強制移住などを試している。
そのような、ムチ政策に対しては、同時にアメ政策も採られた。
つまり、
「民族性を強調するな」と厳しく排除の原理で当たるのではなくて、
「あたなたちも私たちソビエト国民の一員なのですよ」
と抱擁して、国家に抵抗する民族の独立性の概念を、日本でいえば、関東弁と関西弁の違い程度に、矮小化しようとするのである。
しかも、このスターリンの抱擁は、
「強く強く強すぎるほど抱き締めて、相手を窒息死させようとする抱擁」であり、いわば抱きつくフリをして、民族概念を絞め殺す恐ろしい政策なのである。
アルメニア生まれの作曲家アラム・ハチャトゥリアン(1930~1978年)は、政治にも思想にもあまり興味はなかったのであるが、ハチャトゥリアンの卓越した才能を時代は見逃してはくれなかった。
ハチャトゥリアンに期待されたことは、西洋音楽の語法の中にアルメニアをはじめとする辺境の民族の音楽を取り込んでしまうことであった。
しかし、ハチャトゥリアンはあまり政治的に敏感ではなかったようである......。
ハチャトゥリアンは「純粋に」故郷アルメニアをちゅうしんとして民族音楽を採集し、研究をした。
そして、その結果、政府当局者が予想だにしなかった、極めてアルメニア的な、決して「労働者の勝利」などという普遍的イデオロギーとは結びつくはずもない、民族の魂や郷愁に訴えるような素晴らしい曲を作ってしまったのである。
その曲こそ、ハチャトゥリアンのヴァイオリン協奏曲なのである。
曲は、冒頭から西洋的ではない。
荒々しき激しいリズムに始まり、西洋でも東洋でもない、コーカサス地方特有の感性に満ちている。
約30分の音楽のなかで、騎馬民族特有の激しいリズムも民族の嘆きや哀しみのような哀切極まるメロディーも出てくる。
実に素晴らしいので、私は、聴くことをオススメする。
このような素晴らしい音楽を聴いた暁には、誰でも政治などという、どうで死ぬ身の人間の愚かな喜悲劇など忘れてしまうこと請合である。
実際、そのようなつもりで作曲させたわけではなかったソ連の当局者は大いに困り、この民族色溢れる音楽に、1941年、「スターリン賞」を与えざるを得なかったのである。
ちなみに、アルメニアと近いグルジア出身のスターリンがこの音楽をどう思っていたのかは、伝えられては、いない。
しかし、スターリンの言葉や著書は時が流れれば流れるほど、忘れられていくが、ハチャトゥリアンのヴァイオリン協奏曲は時が流れた今でも愛聴されている。
やはり、政治はひとつ時代が終われば終わるのかもしれないが、芸術は終わりがなく、永遠あるようにすら、私は、思われるのである。
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週末は暑くなるところが多いようですね。
体調管理に気をつけたいですね(*^^*)
今日も、頑張りすぎず、頑張りたいですね。
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