旧約聖書は、過酷な運命を課せられたユダヤ民族が、その悲惨極まる運命こそが、神の恩寵の証であると読み換えた、人類思想史上の一大冒険の記録とも言える。
特に、神への讃歌がまとめられた「詩篇」は、この世で苦しみを味わえば味わうほどますます神への感謝と敬愛が強まるという、後のキリスト教の原形とも言える、重大な思想転換が示されている。
レナード・バーンスタイン(1918~1990年)はアメリカ生まれ、アメリカ育ちのスター的な指揮者であり、作曲家でもあった。
作曲家バーンスタインの名声が世界に広くとどろいたのは、彼が、1957年に、シェークスピアの『ロミオとジュリエット』の物語を当時のアメリカ社会に移植したミュージカル『ウエスト・サイド・ストーリー』によってである。
モンタギュー家とキャピュレット家の争いは、白人青年とプエルトリコ移民の娘の道ならぬ恋に読みかえられ、このミュージカルは、移民国家が宿命的に抱えざるを得ない社会的問題を鋭く描き出した......のであるが、アメリカは分断されるどころか、その音楽があまりにも素晴らしかったためひとつになって熱狂したほどである。
どれほど、全米が熱狂していたかというと、当時、アメリカに留学していた小澤征爾氏が自伝に、
「タクシーに乗ると、いつも『ウエスト・サイド』の『トゥナイト』が流れていて、アメリカ中が本当に熱狂していた」
と、記しているほどであった。
『ウエスト・サイド・ストーリー』の成功は、伝統的クラシック音楽の作曲技法と、ジャズ、ロック、マンボのリズムなど南米由来の民族音楽を化合して、誰もが聞いたことがなかった音楽空間を切り拓いたことにある。
バーンスタイン本人は、
「うん、あそこの旋律はバレないように、チャイコフスキーの『ロミオとジュリエット』をパクったんだよ」
などと磊落に笑って語っているのだが、磊落と繊細とはほとんど同じかもしれない。
人は、自らの繊細さを恥じるからこそ、それを隠すために不必要に磊落を演じるのであろう。
バーンスタインの磊落な笑いの後ろにはいつもそのような羞恥があるように思う。
アメリカ生まれ、アメリカ育ち、アメリカ的にジャズとロックとクラシックを化合させて、とにかく売れる曲を作る作曲家バーンスタイン、それもひとつの精神であろう。
しかし、バーンスタインには、もうひとつの精神があった。
「~スタイン」という名前からも解るように、ユダヤ人としてのバーンスタインの精神である。
バーンスタインは、アメリカという国家で生まれ育ったからこそ、自分の出自、自分の祖先に対して、思いを馳せずにはいられないのである。
そして、バーンスタインは、歴史も国体も在るようには感じられない「アメリカ」から離れ、ユダヤ人である自分、あるいは、ユダヤ人が、本当の意味で未だ持たざる国家の国体を見つめる。
そして、それは『詩篇』にすべて書かれているはずだ、と思い至る。
「なにゆえに、国々は騒ぎ立ち、人々はむなしく声を上げるのか。
なにゆえ、地上の王は構え、支配者は結束して主に逆らい、主の油が注がれた方に逆らうのか」(詩篇第2章)
『ウエスト・サイド・ストーリー』や『キャンディード』といった商業的なミュージカルの作曲経験を活かし、バーンスタインはついに、積極的にイディッシュ語(≒ユダヤ語、古ヘブライ語)を用いた、ユダヤ教をモチーフとする音楽を作曲するようになる。
そして、成立したのが、旧約聖書の予言者エレミアを名に冠した交響曲第3番『エレミア』であり、イギリスのチチェスター聖堂から委嘱された、『チチェスター詩篇』である。
『詩篇』は、「人生は苦しみの連続であり、人は何故生まれて、何故苦しまねばならないのか」という問いに対して、「その苦しみこそ、神の恩寵のあらわれではないか」と思想転換を行う。
その思想転換の過程をバーンスタインは、音楽を用いて語るのである。
『詩篇』の中心人物は少年ダビデだが、バーンスタインはダビデの言葉に、繊細にして美の極みの音楽をつける。
人生は苦しみの連続かもしれないが、ふと出会う、美というもの、そのようなものに出会うと、「にもかかわらず」生きたい、と、やはり思わざるを得なくなるものである。
バーンスタインが示すのは、そのような心の動きなのかもしれない。
ここまで、読んで下さり、ありがとうございます。
今日も、頑張りすぎず、頑張りたいですね。
では、また、次回。