ヒトラーとスターリンが独ソ不可侵条約を結んだとき、その記念式典で、この曲が演奏されたことは、歴史の神による皮肉であろうか。
戦いでも、救済でもない、人間が人間を愛することによって生まれる「歓喜に寄す」という人間讃歌が歌い出されるのであるが、この旋律に辿り着くまでに、一体、楽聖と呼ばれるひとは、どれほどの長い夜を過ごし、それでも生きたいと、涙とともにパンをかじる日々を経なければならなかったのであろうか。
その結論や歌詞が大事なのでは、ない。
かつて、自殺を決意し、困難と苦悩と戦い続けた人間が、ついに、生命を肯定するに至った、その魂の動きそのものが、聴く者の魂と共振するからこそ、ベートーヴェンの「交響曲第9番」は不滅の名曲なのであろう。
この曲を作る前から、楽聖は、耳が聴こえなくなっていた。
彼は、ピアノの脚を切り、地面に直接接地させて、脳髄に振動する波動で以て、ようやく和音を類推しながら、それでも曲を作り続けていた。
また、楽聖は、貧困にも悩まされていた。
彼が作る音楽は、あまりにも新し過ぎて、売れなかったのである。
なにしろ、楽聖が作り出そうとした音楽は、サロンで貴族たちがBGMとして楽しむ音楽ではなく、聴衆をコンサートホールに正座させて、音楽という言語を以て、楽聖の思想を開陳するという前代未聞の企みだったのである。
その試みは失敗続きであった。
「運命」に対峙する人間の姿を描いても、
「田園」のなかで安らぎを得る人間の姿を描いても、
心躍る舞曲を描いても、聴衆の反応は、いまひとつだったのである。
楽聖は、世界から拒絶され、自分ひとりの世界へとひきこもる。
どうせ世界が私の声に耳を傾けないのならば、私は、私の声が私自身を表しているかどうか、そこを突き詰めたい、というわけである。
ベートーヴェンの傑作かつ難解な作品として名高い後期ピアノソナタや、「大フーガ」を代表とする弦楽四重奏がこの時期の傑作である。
しかし、自分ひとりの世界にひきこもるベートーヴェンにも、お呼びの声が、かかる。
厳冬に閉ざされていた窓を、春の訪れを告げる燕が、コツコツ、と叩くのである。
それは、交響曲の作曲依頼であった。
楽聖は、自らの死期が近いことをうっすらと分かっていた。
この申し出を受けたとき、楽聖は自分の全人生を要約するような曲を作ることを考えた。
自分の人生はいつ始まったのか?
それは、生まれた時ではない、作曲家ベートーヴェンは、作曲家を志した時に始まったはずである。
では、何故、作曲を志したのか?
それは作曲をせずにはいられぬ程の衝動に身を突き動かされたからだ。
では、何に突き動かされたのか?
それは、14歳の頃、シラーの詩に出会った、あの時からではないか?
あの時に自分の人生は決定づけられており、あの瞬間を取り戻すため、私は、これまで、回り道を経てきたのではないだろうか。
「喜びよ、......全人類よ、ともに抱き合おう......」
かつて、発作のごとく若き日のベートーヴェンを襲ったシラーの熱情が、老いて聴力を失ってしまった楽聖の心を再び燃え上がらせる。
なるほど、若い頃には、生きていることが、そのまま、美しく素晴らしいことだと思っていた。
しかし、今になってわかる。
生きていることは、それがなんであれ、美しく素晴らしいことでならねばならないのである。
なぜならば、そうならねば、ならぬからである。
なぜ、このような単純なことをわかるのに、人間は人生を無駄に費やさねばならないのだろうか。
楽聖はしずかに楽譜を書き進める。
そこには、人類が到達し得る最高の、至福の喜びが歌われている。
「ああ、全人類よ、共に抱き合おう!」
それは、人類が初めて耳にする、悩み、苦しみ、のたうち回る生の姿そのもの、を称揚する志向の聖歌であり、いきているということの歓喜の爆発である。
無分別な愛の椀飯振舞である。
これほど無尽蔵に愛を謳歌することがかつて地上に存在したであろうか。
今や、歌が喜びを歌うのではない。
喜びが歌を謳うのである。
ここまで、読んで下さり、ありがとうございます。
昨日は、「読んでいただいている」日記であることを忘れ、自分勝手にヒートアップし過ぎてキツい日記になってしまったかもしれないなあ、と反省しています^_^;
ですから、今日は、話題を変えてみました( ^_^)
今日も、暑そうですね^_^;
体調管理には、気をつけたいですね(*^^*)
今日も、頑張りすぎず、頑張りたいですね。
では、また、次回。