芸術は、救済の可能性を告げ知らせるかもしれないが、救済そのものでは、ない。
人間は、科学がどんなに発達しても、自分という存在がある理由を解明できない。
また、なぜ死なねばならないのか、なぜ生きねばならないのか、といった問いに科学は答えてはくれない。
それは、科学が不十分だという話ではなく、そもそも人間からのお門違いの問いかけなのだ。
科学は説明を与えてくれるが、人間が求めているのは「意味」だからである。
「意味」を求めるからこそ、人は宗教を必要とした。
宗教と言っても、既存の宗教だけではなく、あさま山荘の赤軍派も立派なカルト宗教であった。
もちろん、あさま山荘と宗教とのあいだには超えられない壁がある。
それは、人間のあらゆる力を超越した力、生きたくないときも生きよと命じる力、同時に、ずっと生きたいと願っても無慈悲に命を奪う力、である。
あさま山荘の人たちは
「君たちは革命のために生まれてきたんだ」程度のことばで納得できたのかもしれないが、まっとうな思考力があれば、
「なぜ、いま・ここに私は在るのか」と問い始め、
「革命を果たしても自分がなぜ存在するかについて答えは得られない」と気づいたはずである。
なぜなら、この世を良くしたからといって、なぜ自分が生まれ、生きて、死なねばならぬのか、という、問いへの、究極の答えなど、革命理論からは決して出てこないからである。
いや、革命理論だけではなく、右翼左翼問わずどんなイデオロギーも決して人の魂を救うことは出来ないのだろう。
それらは、やがて死ぬべき人間たちの喜劇を大いに盛り上げる程度なのかもしれない。
アントン・ブルックナー(1824~1896年)にとって、「意味」は明白であった。
教会のオルガニストを父に持ち、自らもオルガン奏者として活躍した彼は、幼い頃から熱心なカトリック教徒だった。
熱心というのは、正確な表現ではないかもしれない。
キリスト教は生まれてから死ぬまで、彼の周りに空気のように存在していたため、私たちが、自明の真理を「信じ」たりしないように、彼自らは、自分が「何かの宗教を信じている」などと感じたことはなかったのかもしれない。
残念ながら、私には、信仰がもたらす心境というのは、よく知らないがために、なかなか理解し難いものがある。
信仰の感覚をことばで記述することは、泳いだことのない人に、水と戯れることがどれほど楽しいかをことばで説明するようなもどかしさがあるのであろう。
「説明を聞いている暇があるならば、さっさと水に飛び込んでみれば良いではないか」と言われても、やはり泳いだことのない人が見ずに飛び込んでみるには勇気がいるのである。
ブルックナーの音楽は、自らが体験し、信ずる神の恩寵をそのまま素直に描き出したものである。
彼の音楽は、少なくとも言葉より雄弁に彼が体験したことを私たちに伝えてくれる。
ブルックナーの人生は、泥沼の愛憎劇や、自分の音楽が受け入れられない芸術家の煩悶などのドラマチックな要素で飾られるものではなかった。
彼の朴訥な人柄は愛されたものの、そもそも人間関係も淡泊で、世俗のことには超然としていたと伝えられている。
彼の熱意は作曲に集中しており、その音楽は全て、神の栄光のために向けられていた。
ただ、ブルックナーには、作曲するときに全裸になる癖があったが、あまりにも集中し過ぎていたので、訪問者を全裸のまま迎え、驚愕させたこともあったようである......。
そんな彼が、最後に作曲した未完の交響曲第9番は、完全に人間的な世界を超え出て、神の顕現、その峻厳さ、そしてその慈愛の限りない豊かさへの感謝が描かれているようである。
実際、譜面の表紙には、
「愛する神に」(Dem lieben Gott)と書かれている。
残念ながら、最終楽章である第4楽章は、病死によって未完で残されたが、現在残っている第3楽章までで、十分に圧倒される規模と内容を持っている。
この曲に対するとき、人は(少なくとも私は)、純朴に神の愛の世界のなかで生き、死ぬことができたブルックナーを羨ましく思いながら、世俗にまみれた人間たちの迷いの世界に立ち戻る自分を見つめ直すのかもしれない。
音楽は、救済の可能性を告げ知らせるかもしれないが、救済そのものではないからである。
また、展じて、芸術は、救済の可能性を告げ知らせるかもしれないが、救済そのものではないのである。
ここまで、読んで下さり、ありがとうございます。
昨日から、晴れが続いてなんだか嬉しいです( ^_^)
今日も、頑張りすぎず、頑張りたいですね。
では、また、次回。