おざわようこの後遺症と伴走する日々のつぶやき-多剤併用大量処方された向精神薬の山から再生しつつあるひとの視座から-

大学時代の難治性うつ病診断から這い上がり、減薬に取り組み、元気になろうとしつつあるひと(硝子の??30代)のつぶやきです

内科疾患の見落としを生むリスクを内包する精神疾患の過剰診断-私たちに線など引けるのか?⑦-

2024-01-10 06:18:59 | 日記
19世紀半ばに行われた精神病患者に対する最初の調査には、6つの疾患しか載っていなかった。

しかし、現在では、約200の疾患が在る。

確かに社会が複雑化した点もあるであろう、しかし、私は、この増え方に、よく、
社会が、社会自身の新たな懸案を明示し、自身の都合良く役に立つ真新しい精神疾患を受け入れ、認めることに対して抱いている無尽とも思える渇望を見るように思うのである。

プロテウスは変身能力を備えたギリシャ神話の海神であり、運命に精通し、過去、現在、未来の秘密を知っていた。

だが、プロテウスは悪賢く、自らの知識をなかなか分け与えなかった上に、寝込みを襲っては、次々に恐ろしい姿に変身するその体を押さえ付けなければならなかった。

咆哮するライオンや流れる水や突進する雄牛など、
とにかくありとあらゆるものに変身するものを
しっかりとつかまえておくことは困難である。

プロテウスは、明確な定義が出来ない、定まらないもの、捉えどころのないもの、あいまいなもの、変わりやすいものの象徴になっている。

「精神疾患」と「精神疾患でない状態」はどちらも極めてプロテウス的な概念だ。

なぜなら、それらは、漠然、渾然としていて、姿を変えやすく、両者のあいだに確固たる境界線を設けることは決して出来ないからだ。

精神疾患の定義は概して、
distress(苦痛)、disability(能力障害)、disfunction(機能障害)、discontrol(抑制障害)、disadvantage(社会的不利)などがあることを条件にしているが、それらがどういった状態であるときを指すのかも不明瞭なままである。

この定義は実際の指針として有効ではなく、(dis~で揃えた)頭韻法としては上手なだけである。

精神疾患の有用な定義がないことは、精神医学における分類の中心に大きな穴を穿ち、答えの出ない2つの難問をもたらしている。
1つ目は、
診断のマニュアルにおさめる疾患をどうやって決めるのか?

2つ目は、
ある人物が精神疾患かどうやって決めるのか??
の2問である。

かつて過食は罪だと見做されていたが、現代で精神障害とすべきなのか。
お年寄りの物忘れは病気なのか、それともただの老化なのか、などこのシリーズで取り上げたものだけでなく、精神疾患の有用な定義がないことを表す具体例には枚挙にいとまがない。

DSM-5に記載されている精神疾患は、合理的な取捨選択というよりは、実際の必然性、歴史上における偶然、積み重ね、慣例、惰性からシステムに入り込み、記載され続けていることが多く、基準となる独立した抽象的、普遍的な定義を満たしたから記載されているというわけではない。
だからこそ、DSMの中に在る精神疾患たちが、ごちゃ混ぜ状態で、一貫性や独立性に欠けていても何ら不思議ではないのである。

精神疾患には、

短期間しか現れないものもあれば、生涯にわたるパーソナリティに現れるものもある。
心の苦しみを引き起こすものもあれば、適切でない行動を引き起こすものもある。
日常生活が困難になるほど悪化するものもあれば、日常生活がわずかに悪化するにすぎないものもある。
個人に特有のものもあれば、文化に左右されるものもある。
幼少期にはじまるものもあれば、かなり高齢になってから現れるものもある。
生物学的なものもあれば、心理学的、社会的なものもある。
何千もの研究で支えられているものもあれば、
一握りの研究でしか支えられていないものもある。
明らかにDSMに含まれていてもかまわないものもあれば、省かれてもおかしくはないどころか、除かれるべきものもある。
明確に定義されているものもあれば、そうでないものもある。

さらに、これらの考えられる相違のすべてについて、複雑な組み合わせが存在するのである。

ところで、実は内科の病気なのに精神科の病気だと誤ったレッテルを貼られていた患者や、実は精神科の病気なのに内科の病気だと誤ったレッテルを貼られていた患者が一定数いることは、よくあるようだ。
また、どちらの方向にも間違いが起こりやすいということも、同様である。

誤りの形は4つ在る。

第1に、
一部の内科の病気は重い身体症状を呈するにもかかわらず、明確な病変がない、炎症性腸疾患、慢性疲労、結合性組織炎、慢性疼痛、ライム病、間質性膀胱炎などで、
たいてい患者たちの「気のせい」にされ、衰弱の危険がある内科の慢性病で健康を害しているのにもかかわらず、「思い込みが激しい」という精神科の目で見られて(診られて)しまうケース。

第2に、
内科の病気で、症状が原因不明で、何年も経ってから根本病因が明らかになる、多発性硬化症、全身性エリテマトーデス、リウマチ性関節炎、末梢神経障害、結合組織病、脳腫瘍などで、
不確かな状態は受け容れがたいものなので、医師も患者も途中の過程で精神的なものだ、という誤った危険な結論に飛びつくケース。

第3に、
がんや心臓病や糖尿病など深刻な病気に対して、当然、人は極めて強い心理的反応を示すが、病気におびえたり動転しているからといって安易に精神疾患も患っているのだと医師が軽々に誤った精神疾患のレッテルを貼ってしまうケース。

第4に
第3と反対のケース。
つまり、精神障害の多くにみらられる、内科の病気と間違いやすい顕著な身体症状を伴う、パニック障害やうつ病が内科の病気と診断されてしまうケース
である。

DSM-5は「身体症状障害」という新しい診断を導入することにより、ゆるやかで該当しやすい定義を行うことで、ただでさえあいまいな内科と精神科の病気の境界線をさらに曖昧なものにしている。

私は、これが、精神疾患の過剰な診断の水門を開き、内科疾患の見落としを生みかねないことを、危惧している。

現代にも、こんなところにも、まだ、プロテウスはいるのだな、と私たちと現代のプロテウスとの、今までとこれからの、長い長い闘いを思った。

ここまで、読んでくださり、ありがとうございます。

昨日の夜、ニュースを見ていたら八代亜紀さんが亡くなったことを知りました。

......スゴくショックです、今でも私は暗いです。

私も、母も、八代亜紀さん大好きですし、特に祖母が大好きだったので、それぞれの曲にそれぞれの想い出も在ります。
また、去年の後半にお休みされていましたが、今年はまた、歌番組の司会に復帰されると思っていただけに未だに信じれません。
映画タイタニックのジャックの台詞(メッセージ)ではないですが、
「今日を大切に」
出来れば笑いながら、生きていきたいなあ、と思います。

今日も頑張り過ぎず、頑張りたいですね。

では、また、次回。


最新の画像もっと見る