おざわようこの後遺症と伴走する日々のつぶやき-多剤併用大量処方された向精神薬の山から再生しつつあるひとの視座から-

大学時代の難治性うつ病診断から這い上がり、減薬に取り組み、元気になろうとしつつあるひと(硝子の??30代)のつぶやきです

ダニエル・カーネマン氏の死去を知り、思うこと-私たちが直面していることについて考えるⅢ③-

2024-03-30 06:17:41 | 日記
進化はもっぱら、既存の組織の上に積み上げられ、古い組織に在った、役に立つ昨日は、何であれ、新たに進化した組織の中に維持されるようである。

爬虫類や哺乳類、霊長類の祖先の脳において、うまく機能した神経回路は、人間の脳に今も組み込まれていて、人間性を生み出す重要な役割を果たし続けている。

たとえば、人間の行動の一部(呼吸、食事、心拍数の調節など)は、もともと爬虫類時代に進化した脳の部位を使って行われ、今も爬虫類時代と同じ形で機能している。

また、その他の人間の行動(恋愛、子育て、体温調節など)は、哺乳類時代に進化した脳で行われて、哺乳類時代と同じように機能している。

さらに、人間の特徴をなすその他の要素(感情、家族、社会構造など)は、霊長類時代に進化した脳によるもので、これまた、当時と同様の働きをしているのである。

明らかに人間だけが持つとされる能力(言語、抽象的思考、将来の計画、自立した理性的な意思決定など)は、ごく最近進化し、大きく発達した大脳新皮質が関係している。

この発達した新皮質のために、人間の脳は身体の割に大きくなり、独特の能力が生み出された。

しかし、人類出現以前に進化した脳に由来する機能は、強い無意識の力を保ち続けていて、通常、私たちが気づかないうちに行動の多くをコントロールしているのである。

ところで、人間が置かれる状況下で起きる悲劇の多く(および僅かな栄光)は、もともと人間に備わっている理性よりも、情動に基づいた意思決定から生じている。

なぜなら、情動をつかさどる大脳辺縁系から理性をつかさどる皮質に向かって出ていく神経接続の数は、皮質から辺縁系に戻ってくる神経接続の数よりも多いからである。

そのため、情動に基づく意思決定と、理性に基づく意思決定の間で不公平な戦いが起きるのである。

皮質には情動の情報が高速で押し寄せるが、それらを仕分けしてコントロールする能力は限られていて、処理スピードも遅い。

プラトンの人間の魂に関する比喩は、極めて的確だったのである。
やはり、か弱い御者である皮質は、荒々しく無頓着な辺縁系を手なづけるのに苦労しているのである。

神経病理学と進化論に対する確かな知見を持っていたジークムント・フロイトは、人間の精神が、「動物の祖先の脳を基本とし、段階的に層を成す人間脳の構造を反映しているもの」だ、と、直感した。

無意識の脳の働きのほとんどは、原始的な本能を満たすように機能し、即座の満足を得ようとする「快感原則」に従う。

これに対して、意識的な脳の働きは「現実原則」に従う。
「現実原則」は、外界の要請や機会に対して、満足を遅らせ、合理的な理由付けを行い、適切に対応する能力である。

フロイトは
「こうして教育された自我は『理性的』になり、もはや、自らを快感原則にしはいさせることなく、現実原則に従う。
実は、現実原則も快感を得ることを求めては、いるが、快感は現実を考慮した上で確保され、延期されることもあれば、軽減されることもある」
と述べている。

たとえば、乳児は純粋に快感だけに従って生きているが、その精神は、健全な現実検討の経験とともに、快感原則を抑える能力が向上するにしたがって成熟する。

フロイトは、のちのダニエル・カーネマンによるシステム1とシステム2という思考モード区分に先駆けて、こうした区別をしていたのである。

現代の認知科学と神経画像処理の技術により、実験に基づく量的なエビデンスが得られ、人間の脳の異なる部位の働きを説明できるようになったことから、ダーウィンやフロイトの洞察が確りと裏付けられた。

2011年、ダニエル・カーネマンは『Thinking,Fast and Slow(ファスト&スロー)』を発表した。

これは、カーネマンが、ノーベル賞を受賞した研究をまとめたもので、層構造を持った人間の脳が日常的に行う認知と、それがもたらす結果について論じている。

フロイトと同様、カーネマンは意思決定の形態を2つに分類している。

システム1は、すばやく、自動的に動き、感情的かつ、直感的で、人間に本来備わっている思考形態に近い。

システム1は、使いやすい形に凝縮された古来の知恵に相当する。

たとえば、山の中で虎に襲われそうになったとき、私たちは、じっくり時間をかけて逃げるか、どうかを考えないように、である。

システム2は、もっと新皮質の機能に近い。
つまり、システム2の思考は遅く、理性的かつ慎重で、エビデンスに基づき、論理的法則に従った科学的なものである。

両システムとも、それぞれに相応しい場面においては、適切に機能する。

システム1の思考は、人類が進化の戦いの中で、
目立たない片隅からステージの中央の座を得るまでの長きにわたって生き延びるための支えとなった。

しかし、今では、私たちが作り上げた、以前とは大きく変化した新しいステージで、この後、生き残っていく上での、大きな障害になっている。

システム1の思考は、広く知られた新しい問題に対して迅速かつ柔軟に使うことができないために、私たちの自滅的な社会に対する幻想や願望的思考の源泉となってしまうのである。

自己中心的で攻撃的な、霊長類時代のような本能は、賢い新皮質に多いに助けられて、数百万人という人口のまばらな世界から、混み合った80億人の世界へと私たちを放り投げたのである。

しかし、80億人が共に平和に持続可能な形で、今の時代をどう生きることができるかを考えるうえで、そうした本能は、危険なほど時代遅れなものとなる。

システム1脳を最新の状態にするには、少なくとも数万年という進化の期間が必要となるであろう。

しかし、私たちにそのような時間はありそうにはない。

私たちは、今後、あらゆる点で、最近発達した人間脳のシステム2による理性的思考が、より原始的なシステム1の脳の構造に組み込まれた反射的行動をどうにかしてうまくコントロールできるようになる必要があるのではないか、と、私は、思う。

また、私たちは、強力なシステム1の思考による良識への攻撃に対しては抵抗し、システム2の思考で対抗しながら、次世代への責任として、理不尽な衝動や欲求実現の幻想を上回る、理性的な心の力を取り戻すよう、カーネマンに言われているのかもしれない、とも、思った。

ここまで、読んで下さり、ありがとうございます。

3月27日にダニエル・カーネマン氏が亡くなったことを知りました。

もう少し、この世界を見ていて欲しかったので、悲しいです。

ところで、気温の変化に身体がついていけず、昨日はいきなり日記をお休みさせていただきました^_^;

皆さまも体調に気をつけて、お元気でお過ごし下さいね( ^_^)

今日も頑張りすぎず、頑張りたいですね。

では、また、次回。


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