おざわようこの後遺症と伴走する日々のつぶやき-多剤併用大量処方された向精神薬の山から再生しつつあるひとの視座から-

大学時代の難治性うつ病診断から這い上がり、減薬に取り組み、元気になろうとしつつあるひと(硝子の??30代)のつぶやきです

ソウル・アリンスキーの『過激派のルール』(1971)が教えてくれること-私たちが直面していることについて考える⑲-

2024-02-21 06:35:16 | 日記
人柄や戦略の点で、ソウル・アリンスキーとマーティン・ルーサー・キングほど、かけ離れて見えるリーダーも珍しいかもしれない。

アリンスキーはどちらかというと強引で、人を苛立たせるような対決姿勢をとり、
一方、キングは、何でも受け入れるような包容力があった。

しかし、2人とも、不利な状況でも勝利を収め、真実によって権力を打ち破るユニークな才能に恵まれていた。

また、2人とも、自分の民衆運動に幅広く人々を迎え入れようとした。

キングは、黒人の公民権を要求する運動家として活動を始めたが、最終的にはあらゆる人々の人権を求める運動家として活躍した。

一方、アリンスキーは、白人のコミュニティから活動を始めたが、人生のかなりの部分を黒人のコミュニティでの運動に費やした。

2人とも弱者を守り最前線で汗を流した。

また、2人とも、個人的・政治的危機に恐れることなく立ち向かいながらも、状況を多角的に捉え、短期的な戦術と長期的戦略のどちらを考えることも同じくらい得意であった。

アリンスキーもキングも、モーセのように遠くから約束の地を見ることは出来たが、
そこに辿り着くことはできなかった。

そして、2人は多くの小さな闘争には勝ったが、なかなか大きな戦いでは勝てなかった。

2人に共通の悲劇とは、
アメリカの様相を一変させ、偽のポピュリズムの支配を防ぐことが出来る幅広い連合を打ち立てる前に亡くなってしまったという事実である。

キングは、雄弁な人格者で、広い心を持ち、名声を得ていた。

しかし、暗殺によって未来の時間が奪われてしまった。

アリンスキーが及ぼした影響は、彼の生存中もその後も大きかったが、より限られた状況と狭い領域にとどまり、その手法は、アリンスキー自身が1番嫌っていた有力者たちに最も活用されたのである。

ところで、
ソウル・アリンスキーは、マーティン・ルーサー・キングより、ずっと知名度は低かったが、もっと広範囲にわたって、現在の政界に(ただし、アリンスキーの心を挫くような歪んだかたちで)影響を及ぼしてきた。

アリンスキーによるコミュニティ組織化の素晴らしい手法は、弱者が強者から公平な扱いを受けられるように考えられたものだったのたが、
実際は、強者によって、弱者の位置を現状のままに留めておくために取り入れられたのである。

私は、アリンスキーの手法が正しい理由で正しい人々に確りと用いられたとき、非常に効果的だと思っている。(→コミュニティにおける精神保健プログラムなどは良い例である。)

アリンスキーは

「マキャベリの『君主論』は、いかに権力を保つかについて、「持てる者」に向けて書かれている。
だが、『過激派のルール』はいかに「持てる者」の権力を奪うかについて、「持たざる者」に向けて書かれている」
と述べた。

1971年、アリンスキーは亡くなる直前に、『過激派のルール』と題した書籍を出版した。

これは、コミュニティを組織する者に向けた10章から成る手引き書で、彼の30年にわたるコミュニティの組織作りの手法、つまり、ボトムアップで少しずつ世界を変える方法、の詳細を凝縮したものである。

アリンスキーの非凡さは、人々に自分の運命は自分で決めるよう後押しをしたことにある。

そのために必要な前提条件について、アリンスキーは、

「戦術がいくら独創的であっても、また戦略がどれほど抜け目のないものであっても、人々の信頼と尊敬を勝ち取らなければ、戦いを始める前に負けが決まってしまう。
それらを勝ち取る唯一の方法のは、
あなた自身が人々を信頼し、尊敬することである。」
という明確で説得力のあるアドバイスをしている。

コミュニティに力を与えるアリンスキーの取り組みは、暴力は用いなかったものの、きわめて対決的な姿勢をとっていて、多くの点において、キングの取り組みとは正反対だったともいえる。

アリンスキーは、集団意識によって、コミュニティを団結させ、メンバー間の類似点と、敵対するものとの大きな違いを強調した。

一方キングは、敵との共通点を見つけようとした。

アリンスキーは、共通の敵に対する敵意を通じて、コミュニティの団結力を強めるような争いを引き起こす方法を模索していた。

それに対して、キングは、そうした挑発を認めず、争いを減らす方法を求めていた。

アリンスキーは敵を倒すことを目指していた。

一方、キングは敵と協力したいと思っていた。

アリンスキーはコミュニティの意識をひとつにするために悪者を必要とした。

しかし、キングは、悪者はいないとし、彼らは一時的に間違った方向に導かれただけで、今後友人になれるかもしれない人々である、と考えた。

2人とも広く周知された非暴力のデモを展開し、デモに対する暴力的な過剰反応を利用した。

しかし、キングの目的が敵に羞恥を覚えさせ、善良な仲間に引き込むことであったのに対して、
アリンスキーの目的は、敵に屈辱を与えて降参させることであった。

アリンスキーの『過激派のルール』は、確かにマキャベリの説に似た雰囲気もある。

しかし、アリンスキーのアドバイスは、君主ではなく一般市民のためになるように書かれたものである。
以下は、アリンスキーのアドバイスをまとめたものである。

1.あなたは、実際に持っている力だけではなく、敵が想定するだけの力をも持っている。

2.人々の力は、金の力と戦える。

3.あなたの得意分野で敵と戦え、敵の得意分野で、敵を戦わせるな。

4.嘲りによって敵を小さくすることができる。

5.楽しんで実行できる戦術なら皆が従い、うまくいく可能性が高い。

6.敵に圧力をかけろ

7.敵は、防御の方法を変え、戦略を変えてくるものであるから、敵より一歩先を行け。

8.敵の暴力によってあなたには友人が出来る。

9.ターゲットを選び、孤立させて戦いを挑め。

10.人は組織より喪速く倒れる。

アリンスキーは、力の無い者が、力を持つ者の略奪から、身を守れるようにするという正義に人生を捧げた。

力を持つ者が、力の無い者に対する支配をさらに強めるために、アリンスキーの方法を組織的に採用してきたことは、実に、悲しい皮肉である、と、私は、思うのである。

ここまで、読んで下さり、ありがとうございます。

なんだか、またまた、暑苦しくい長文になってしまいました......すみませんm(_ _)m

昨日は、異様なまでに暑かったのに、今日は冬に戻るようです、なんて最近の気候変動はおそろしく、気温変動はいそがしいのでしょうね^_^;

体調管理に気をつけたいですね( ^_^)

今日も、頑張りすぎず、頑張りたいですね。

では、また、次回。


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