おざわようこの後遺症と伴走する日々のつぶやき-多剤併用大量処方された向精神薬の山から再生しつつあるひとの視座から-

大学時代の難治性うつ病診断から這い上がり、減薬に取り組み、元気になろうとしつつあるひと(硝子の??30代)のつぶやきです

ダーウィンの肩に座るフロイト、フロイトの肩に座るカーネマン-私たちが直面していることについて考えるⅢ⑥-

2024-04-04 06:40:00 | 日記
チャールズ・ダーウインは、

「生き残るのは、最も強い種ではなく、最も知的な種でもない。
最も変化に適応した種である」

と述べ、また、

「人間も動物も、快楽や苦痛、幸福や不幸を感じる能力に、根本的な差異はない」

と述べた。

過ちは人間の常である。

その理由を突き止めることは、ときに不快なものである。

しかし、それが、人間が繰り返し同じ(ような)過ちを犯さないようにするための唯一の方法かもしれない。

賢明だと言われる人々でさえ、なぜ頻繁かつ愚かに間違うのか、という問いは、昔から哲学者を常に悩ませてきた。

最初に最も明確な喩えを用いて説明したのはプラトンであろう。

彼は、人間の魂を二頭の馬と、馬たちを制御するのに苦労する御者に見立てた。
二頭の馬は、気概と衝動を、御者は理性を表している。

以来、作家たちは、私たちが頻繁に過ちを犯す原因となる隠された動機を好んで作品に取り入れ、私たちの失敗を、喜劇にも悲劇にも仕立ててきたのである。

持って生まれた無意識の衝動が持つ力は、決して謎に包まれたものではなくなったが、そのような力の源泉が、チャールズ・ダーウィンやジークムントフロイトの著作で明確に説明されるまでには、2000年以上かかった。

そして、最近、人間が理性的な生き物でないという事実が、ノーベル賞を受賞した認知心理学者や3月27日に亡くなったカーネマンに代表されるような行動経済学者たちによって、さらにはっきりと説明されることとなった。

また、神経科学者たちは、どの神経回路がどのような衝動を司り、どのようにその衝動を制御しているのかを賢明に究明しているところである。

ところで、ダーウィンはそれまでいた心理学者から抜きん出た存在である。

プラトンにまで遡るすべての哲学者は心理学者でもあり、人間の本性に関する理論、つまり何が、人間の行動や考え方を引き起こしているのかを詳細に論じてきた。

主観的な自己観察や演繹的推論、イデオロギーを組み合わせて、それぞれの哲学者は、人間の心に関する独自のモデルを作り上げようとしたが、概してそれは、各自の心の輪郭や癖によって、形成されたものであったのである。

ダーウィンは、ビーグル号での航海からちょうど2年後の1838年に、彼の後にも先にも誰ひとり獲得できなかった、しかし、最も深い心理学上の洞察が含まれていることばを、ノートに走り書きをしている。

それは
「ヒヒを理解する者は、ロックよりも形而上学を極めるだろう」
というものである。

ここで、ダーウィンが言う形而上学とは心理学のことであり、彼が触れているのは、イギリスの偉大な哲学者ジョン・ロックのことである。

ロックの心理学では、人間は空白の石版のような心を持って生まれてくる。

その後、人間がどのように成長するかは、自身の感覚を通じて経験したことだけによって決まるというのである。

ダーウィンの洞察が、人間にとって衝撃的かつ屈辱的でもあったのは、人間が自由に生まれついていないという点にある。

つまり、私たち人間は、身体のみならず、心も、魂とされているものも含めて、動物だというのである。

そして、ダーウィンの洞察は、人間の身体の形態のみならず、人間の心理的形態も進化から生じたものであるとした。

人間は、経験の世界と作用し合う、一連の複雑なプログラムを持って生まれてくるのである。

つまり、ロックの心理学でいうところの石版は、真っ白ではなく、持って生まれた遺伝情報で埋め尽くされており、人間の動機付けや行動様式の多くは、自覚した意識や制御の外側にあり、感情、行動、思考の大部分を決定している、ということになる。

ダーウィンは、自分が唱える新たな進化心理学が、どれほど人間のプライドを傷つけるのか、十分に分かっていたようである。

だからこそ、彼は、自分が発見したことを、引き出しの中にしまい続けた。

気が進まないながらも、最終的に発表するに至るまでには、35年の月日がかかったのである。

その理由は、ダーウィンが理論を提示するまで事実の収集に細心の注意を払っており、人間に対するこの唯物論的な見方が世界ではまだ受け入れられないと認識し、さらに、彼の発見によって、人間の独自性を頑なに守ろうとする批判家たちとの対立が避けられなくなることを好まなかったからである。

心理学は、実験と観察という科学の標準的な手法を用いて研究することが可能であるし、私たち人間は、心理面と身体面両方の進化の段階を研究することによって、自分を最もよく理解することが出来るようになるのであろう。

ダーウィンは、心理学の新たな経験的手法の確立に着手した。

その後、それが心理学の分野における標準の手法となった。

例えば、子どもの観察、比較文化調査、(当時としては最新の発明である)写真を使った表情の研究などがある。

ダーウィンが亡くなったとき、フロイトは26歳で、2人は直接会ったことはなかった。

また、フロイトが亡くなったとき、カーネマンは5歳で、この2人も直接面識はなかった。

しかし、脳の層構造にみられる進化や心理学、それらに基づく意思決定の研究を通じて、彼らが、研究の遺伝子ともいうべきものを繋いでいくさまは、ニュートンの、先人である巨人の肩に座る人のたとえを借りるならば、
ダーウィンの肩に座っている人が、フロイトであり、フロイトの肩に座る人が、カーネマンである。

人間心理の理解における最も重要な前進は、人間の精神生活の大部分が、理性や意志でコントロールされず、自動的かつ無意識に営まれていると気づいたことである。

ダーウィンが登場する前後の時代に、多くの哲学者、科学者、そして作家が、無意識の領域の研究を行っている。

だが、やはりこの点でダーウィンは、最も重要な人物であり、すべての起点となる存在といっても過言ではないのではないだろう。

なぜなら、彼は、人間の心と霊長類の歴史を結びつけることによって、それまで説明されていなかった空白の部分の多くを埋めることができたからである。

現在の世界のなかで、私たちが、多くの誤った判断を下すのは、5000万年の哺乳類の進化の過程で、私たちの祖先が直面した状況に脳が適応するようになっているからである、と、ダーウィンとフロイトとカーネマンが、教えてくれているように私には、思えるのである。

ここまで、読んで下さり、ありがとうございます。

明日からまた数日間不定期更新になります( ^_^)
また、よろしくお願いいたします(*^^*)

今日も、頑張りすぎず、頑張りたいですね。

では、また、次回。


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