国連事務総長のアントニオ・グテーレスは、精神分析者の妻から、心理学が持つ政治的な価値を学んだ。
グテーレスは
「妻は、私の政治活動すべてに、きわめて有益なことを教えてくれた。
2人の人間が一緒にいるとき、そこにいるのは、2人ではなく6人である。
おのおの自分に加え、おのおのが自分考える自分、そしておのおのが考える相手の6人である。
人間に当てはまることは、国や組織にも当てはまる。
それぞれのシナリオにおいて、鍵となるさまざまな関係者と関わる際、
事務総長が果たす役割のひとつは、こうした6人を2人にすることである。
すなわち、誤解と間違った認識が消えるようにすることだ。
認識は政治において核心を成している。
政治においては、6人を2人にするということにとどまらない。
難題に対処するためにひとまとまりとなって活動出来るように、何百人という人々を取りまとめる仕事が多いのである」
と述べている。
未来において決定的に重要な政治家の仕事は、
人々が国の問題を解決するためにひとまとまりとなって活動できるように各国内で人々を団結させること、
また、世界中の国々が、世界の問題を解決するために、ひとまとまりとなって活動出来るように国々を団結させることであるのではないだろうか。
ところで、精神療法家と政治家には、多くの共通点があり、
影響を及ぼす範囲は大きく違っていても、
目標や手法は、極めてよく似ている。
両者とも、明言されることも隠されることもある動機を理解し、それらに訴えかけることによって相手の態度や行動を変えようとするのである。
精神療法家が1度に1人の患者に働きかけるのに対して、政治家は何百万という人々に影響を与えるが、両者が持つスキルはよく似ている。
さまざまな問題が表面に現れ、悪化をしている現在の世界を治そうとする政治家には、精神療法的アプローチが有効かもしれない。
精神療法家が、妄想(→精神医学において「妄想」とは、「強固に維持された揺るぎない誤った信念であり、決定的な証拠や理性的議論による修正にも抵抗するもの」と定義されている)を抱く患者に対して、その患者の信じているものが間違いで自滅的であることを証明しようとして、事実に基づいた議論を行うことは、まず、ない。
いかにその妄想が荒唐無稽で、有害だとはたから見えたとしても、
その妄想は、患者がつらい現実の埋め合わせをする手助けをしてきたのである。
妄想が、間違いで、害を及ぼすものだからといって、患者は容易に妄想を捨て去ることができるものではない。
先走って患者に現実を押しつけようとすると、患者は怒りや不安、困惑を感じ、さらに強固に妄想を抱いて、精神療法家と共に治療に取り組む意欲を無くしてしまう可能性がある。
真実は、人を自由にすることもあるが、患者の側にそれを聞き入れられる準備ができていなくてはならないのである。
そしてその真実は、正しいタイミングと方々で伝えられなければならない。
良くない状態にある社会を、ゆっくりと穏やかに、世界の現実に直面させるために、政治家は精神療法家と同様の戦略が必要になる、と、私は、思う。
社会が抱く幻想や妄想(→先に挙げた、精神医学における「妄想」の意味で用いている)は、それを広め信じる者にとっては、有益な目的を果たすことがある。
そして、それが世界にとって誤ったものであるからという理由だけで、捨て去れるものではない。
社会が抱く幻想や妄想にも、原因や理由があるからである。
また、勇気を持って事実に向き合うように有権者(→社会∋有権者、有権者は社会に属する、または含まれる≒社会∋有権者と以下、用いる)
に素直に呼びかけたとき、政治家は選挙に負けることがある。
ジミー・カーターの「社会の沈滞(malaise)」と呼ばれたテレビ演説がその例だ。(→この演説の正式なタイトルは「A Crisis of confidence(信頼の危機)」である。)
1979年、カーターは、この演説の中で、
アメリカ国民は、エネルギー危機の中で、自信失い、共通の目的を失っていると指摘してしまったのである。(→もちろん、エネルギー問題の解決策も提示はしているのだが......やはりいつの時代も人間は誰しも、つらいときに、残酷な現実や真実ばかり突きつけられたくないものなのである。)
それに対し、トランプがかつて勝利した際の秘密兵器は、
現実や真実を見せることではなく、政治的に社会の幻想や妄想を訂正せず、むしろ育ててしまう手法だった。
トランプは不安や恐怖を巧みに利用し、さらに社会∋有権者の長年の不満を汲み取って、自らが救世主の再臨であるかのようなイメージを人々に売り込んだ。
つらい時代のなかにある人々は、不安と恐怖から、トランプを見はじめた。
そして、トランプに期待する人は増え、前回の勝利があったという側面は否めない、と思う。
ただ、社会∋有権者の心を利用する政治家たちに私たちはどうすれば良いのか、
また、政治家と有権者はどうあれば良いのかについて、確たる答えは出ないであろう。
しかし、精神療法のアプローチは役に立つヒントを必ず与えてくれると、私には、思える。(ので、次回に、続く。)
ここまで、読んで下さり、ありがとうございます。
私たちが直面していることについて考えるシリーズの中ですが、
精神療法家に政治家が学べること、というタイトルで、前編と後編で描きたいと思います。(中編はない、と思います......。)
いつもながら、ご存知の通り、私は、要領が悪いので、またまたややこしくてすみません......^_^;
良かったら読んでやっていただけると嬉しいです(*^^*)
今日も、頑張り過ぎず、頑張りたいですね。
では、また、次回。
お加減いかがですか?
今日はなんだかんだやることがあって読むのがこんなに遅くなってしまいました。
いろいろと勉強になることがたくさん書かれていますね。
政治家は辛い幻術を直視させずに有権者の理想に寄り添うというのは確かにそうですね。それが実現できるかどうかは別として。
天気予報を見ていないので明日がどんな天気かはわかりませんが、いい天気だといいですね。
明日も頑張りすぎずに頑張っていきましょう。いつも応援しています。
いつもありがとうございます。感謝感激です。
おはようございます。
読んで下さりありがとうございます。
コメントもありがとうございます( ^_^)
今日も、頑張りすぎず、頑張りたいですね(*^^*)
心配ありがとうございます。amocla91さんも、体調に気をつけて、良い1日を(*^^*)