「People start pollution, people can stop it
(汚染を始めたのは人間、止められるのも人間)」
というナレーションと一粒の涙が流れるとき、私の胸にはこみ上げるものがある。
それは、何度視聴しても変わらない。
「The Crying Indian」と呼ばれた1分間のテレビCMが、ひとりひとりの考えを、そして世界を変えた。
このコマーシャルでは、Iron Eyes Codyさん扮する1人のアメリカ先住民が、とても重苦しい沈痛な面持ちで、いくつものゴミが浮いた川を、船で下っている。
ふてぶてしく白煙を上げながら、両岸に立ち並ぶのは、川を汚している工場たちである。
沈痛な面持ちのままの彼が、岸に上がり、打ち上げられた、いくつものゴミの上を歩いて高速道路に近づくと、いきなり、車から無造作に投げ捨てられたゴミが、彼の足元に、落ちる。
そのとき、静謐な表情をしている彼の顔にひとすじの涙が静かに、流れ、「People start pollution,people can stop it(汚染を始めたのは人間、止められるのも人間)」
というナレーションが静かに、しかし、耳朶を打つように流れる。
このコマーシャルは大きな反響を呼んだ。
そして、今では、毎年世界規模で行われるアースデーの取り組みのきっかけになったともいわれている。
このコマーシャルを作ったのは、Keep America Beautifulという手放しでは賞賛は出来ない団体である。
確かに、
Keep America Beautiful は時代や時期に合った正しい目標を掲げ、観る者が考えさせられる優れた広告キャンペーンを効果的に打ち出している。
私たち一般市民に対する教育、プロパガンダ、行動を促す説得の上手さは、素晴らしいと思う。
例えば、「Litterbug(ポイ捨てをする人)」という軽蔑と嫌悪感を込めた新語を流行らせることによって、それまで、無意識にされていた「ポイ捨て」という行動を認識、自覚させた。
また、「Every Litter Bit Hurts(どんな小さなゴミも害になる)」
と謳った運動で、些細な不注意や配慮に欠けた行動を非難したのである。
しかし、道義上の矛盾が存在していることにも触れなければならないであろう。
Keep America Beautifulは、これまでも、そして現在も活動資金の一部を使い捨て製品を多く製造する、かなり環境に配慮などしていない会社たちから資金を得ている。
あぁ、ゴミ問題を解決するためには、こんな光が在れば闇が在るのか......(時代劇のナレーションみたい?)
ひとりひとりの意識を変えたことは、とても良かった。
しかし、ゴミになるものの生産量を減らす方が、スマートな選択だったのでは?とも思う。
やはり、説明のつかない多額のお金は、いつもどの世界でも、良いことの種を植えた畑の上をブルドーザーで踏み潰すような働きをしてしまうようである。
私たちも、ここの陰の面から、また最近の日本からも、ひとつの大きな教訓が得られる。
企業の参加を得ずに世界を変えられるというのは非現実的な考え方であるが、企業の善意をあてにするのも、また、甘い考えだということである。
結局のところ、自分はこの社会で何が出来て、何が出来ないか、を認識しながら、採るべき行動を考えるほかないのではないかと、私は、思っている。
ここまで、読んでくださり、ありがとうございます。
だんだん、毎回ですが、話の流れが、日々のニュースに対する愚痴に寄っていってしまうのは、なぜだろう?なぜかしら??と毎朝、思いながらも楽しく日記を描かせていただいたところです。
さわやかな朝だなあ( ^_^)
しかしながら、やはり今日も、寒いですね^_^;
今年もあと約1週間ですね。
体調に気をつけたいですね。
今日も、頑張りすぎず、頑張りたいですね。
では、また、次回。
そんなことなど1ミリも考えず、今日を生きてる爺さんは・・・ 深く反省しています。
素晴らしい内容の記事でした。
おはようございます。
コメントありがとうございます( ^_^)
tamajiiさんに、記事を褒められて本当に嬉しいでクリスマスです!!
いつも読んでくださり、ありがとうございます!!( ^_^)