おざわようこの後遺症と伴走する日々のつぶやき-多剤併用大量処方された向精神薬の山から再生しつつあるひとの視座から-

大学時代の難治性うつ病診断から這い上がり、減薬に取り組み、元気になろうとしつつあるひと(硝子の??30代)のつぶやきです

トランプを洞察する前に、トランプを選んだ世界を洞察する理由-私たちが直面していることについて考えるⅢ⑪-

2024-04-16 06:45:36 | 日記
2016年11月8日、大統領選挙でトランプが大統領になることが確実になったそのとき、ディストピア小説の名作6冊が、突如として、アマゾンのベストセラーランキングの上位に躍り出た。

その6冊とは、

ジョージ・オーウェルの『1984』『動物農場』、オルダス・ハクスリーの『素晴らしい新世界』、シンクレア・ルイスの『ここでは起こりえない』、マーガレット・アトウッドの『侍女の物語』、レイ・ブラッドベリの『華氏451度』である。

過去の回で、取り上げたこともある作品もいくつかあるが、いずれも、現代世界をきわめて正確に予測している面がある。

ハクスリーの予測に誤っているところがあるとするならば、それは、(人の心を操るのが政府か企業かという)
権力の所在と、「私たちの素晴らしい新世界」を創造するきっかけとなった動機くらいであろう。

ディストピア小説を描いた作品が人々の心を捉えるのは、現代世界の問題が解決策を圧倒し、過去よりも未来の状況が厳しく見えはじめたときである。

トランプは、アメリカ合衆国大統領、つまりアメリカの最高司令官に選ばれ、彼独特の言い回しで
「私は、偉大なるエイブ・リンカーン(エイブはエイブラハムの愛称である)を除いた誰よりも大統領らしくなるさ.....だってエイブはとても大統領らしかっただろう?」
と得意満面で述べた。

......。


しかし、トランプは決してトランプ以外の何者にもなり得ることはない。

アメリカの民主主義体制が、独裁的攻撃を前にして、これほど脆く見えたときもなかったため、トランプは非常に多くの人を不安にさせたために、ディストピア小説の名作6冊が、突如として売れた、というわけである。

しかし、トランプの台頭はまったく予測できなかったことであろうか??

さらに言えば、トランプの台頭は、表出してきた症状であり、その症状に起因する病巣は私たちが生きる世界の裡にあるのではないだろうか。

確かに、トランプは、唯一無二の例外的な人間であって、世界やアメリカの姿、ましてや私たちの精神を反映した存在ではない、と考えると、気休めには、なる。

フリードリヒ・ニーチェは
「狂気は個人にあっては、稀有なことである。
しかし、集団・党派・民族・時代にあっては通例である」
と述べた。

しかし、歴史を鑑みれば、彼の台頭は予測は出来たであろうし、私たちの精神を映し出したものであるように、私は、思うのである。

そもそも、なぜ、私たちは、トランプ大統領の再選を怖れる日々を過ごすことになったのだろうか。

それは、トランプが大統領になる前のアメリカに遡る。

アメリカが、最も進んだテクノロジーを持ち、多くのノーベル賞受賞者を輩出し、最高の映画を作り、最も政治的な自由があり、きわめて優れたアスリートを生み出していることを誇りに思っていたとき、アメリカ(アメリカ人)は、その偉大さ、優良さの両方において世界をリードしていると感じられたのである。

しかし、実際に今、アメリカ人は、そのような主張をしたり、率直に自らを誇りに思ったり、海外の友人の批判をかわしたりすることがますます難しくなっているそうである。

多くのアメリカ人、特に高潔な国から急速に堕落する状況を身をもって感じて生きてきた高齢者は、トランプの「アメリカを再び偉大に」というスローガンに心を震わせ、それをありがたくも感じていたようである。

多くのアメリカ人が不思議に思ってきたのは、自国のインフラ管理がきわめて杜撰なのにも関わらず、なぜ、海外での戦争やインフラ事業に何十億ドルも費やすのか、
また、自国で困っている人に目を向けないで、なぜ他国の困っている人々を援助するプログラムを支援するのか、
さらに、なぜ他国(例えば中国)が貿易協定においてアメリカよりも優位に立っているように見えるのかということなのである。

そんなとき、トランプは他国に対し、
「今日、この日から、アメリカ・ファーストただひとつ。アメリカ・ファースト」
と言ったのである。

色褪せたアメリカンドリームに傷つき、国を愛していても自分に見返りがないことに苦しんでいた一定数のアメリカ国民は、トランプをアメリカの救世主のように感じただろう。

そして、トランプは、再びアメリカを偉大に出来る、彼なら外敵からアメリカ国民を守り、国内の敵も一掃してくれる、と考えたのである。

これは、民主主義において危険な扇動的手法ではあるが、アメリカが味わっている屈辱にも、何も実現できない立法府の行き詰まった状況にも辟易している人々の心に響いているのである。

トランプの「アメリカ・ファースト」の本質は、突き詰めれば、アメリカの軍事と貿易における自国優先主義である。

これによって、自主独立でき、同盟関係のしがらみや、国際条約および国際基準に従わなければならないという責任感から解放はされるが、各国が緊密に関わり深く依存し合う世界では、あり得ないほど自滅的な姿勢である。

また、そのように変容しているアメリカに対応出来ず、不安と恐怖を感じているのが、日本であり、世界であり、その中にいる私たちなのである。

しかし、直接的であれ、間接的であれ、またどんな経緯であれ、結果的に、私たちは、世界は、アメリカは、人類の未来を決めることが出来る者として、トランプを選んだことがあることは揺るがぬ事実である。

トランプは危機に瀕する世界に現れた症状のひとつであって、その唯一の原因ではない。

私たちが、抱える問題のすべてをトランプのせいにすると、あり得ないと思われた彼の出世を可能にした社会に根深く潜む病巣を見逃してしまうだろう。

問題をトランプせいにするとき、私たちは、社会に潜む問題との対決を避けているのである。

問題と対峙し、解決するには、トランプを洞察する前に、まず、私たちが自分自身を洞察しなければならないように、私は、思う。

なぜなら、簡単に言えば、トランプに問題があるのではなく、私たちのいる世界が問題を抱えているからである。

アインシュタインの名言は、狂気を
「同じことを繰り返し行い、違う結果を予測すること」
と定義した。

過去の文明はすべて、急速な成長を遂げては、突然崩壊するという同じ衰退のサイクルを辿ってきた。

当時、彼ら/彼女らが犯した悲劇的な過ちは、今、私たちが犯している過ちそのものかもしれない。

ここまで、読んで下さり、ありがとうございます。

今朝は、マーラーとアルマと交響曲第5番の予定が変わり、またまた、描きたい日記を描かせていただきました^_^;

本当にうろうろ、ふらふらしたブログですが、良かったらこれからも読んでやって下さいね(*^^*)

今日も、頑張り過ぎず、頑張りたいですね。

では、また、次回。

グスタフ・マーラーの交響曲第6番イ短調「悲劇的」が本当に悲劇的なのか??について(後編)

2024-04-15 07:41:30 | 日記
グスタフ・マーラー(1860~1911年)という精神は常に、具体的なものの背後に抽象性を見出さずにはいられないようである。

英雄ジークフリートのうしろに「英雄性」を見出し、
愛の歓喜のうちに死ねトリスタンとイゾルデの後ろに
「愛の死という普遍的な概念」を見出す。

そしてマーラーは、特定の個人、ドン・ジョバンニやフィガロが話し合い、動き回ったりした挙げ句に、とどのつまりは「死」に消える一場の具体的な舞台を作るのではなく、英雄性や愛の歓喜、過酷な運命といった抽象的概念が話し、歌う概念のオペラを作り上げたのである。

歌詞のない歌、歌声のない歌劇、それがマーラーの交響曲というものなのではないだろうか。

交響曲第6番の長大な第4楽章で、私たちが聴くのは、まさに概念のオペラである。

理念の闘争であり、人生という舞台の登場人物である、愛、困難、平安、笑い、卑劣、悲嘆などの諸概念が動き回り、最後に、「死」が登場して幕を引くのである。

交響曲第6番イ短調「悲劇的」には、象徴的な2つの楽器がある。

ひとつは、1、2、3、4楽章で用いられるカウベルであり、もうひとつは、第4楽章のみで3度用いられる巨大なハンマーである。

カウベルとは、マーラーがこの交響曲第6番を作曲したアルプス地方で、放牧牛の首につけておいて、牛の居場所が分かるようにするためのもので、カランコロン、と実にのどかな音を出すものである。

ただし、マーラー自身も注意を促しているように、カウベルは自然描写のために用いられているのではない。
具体的な自然そのものではなく、抽象的な自然性、あるいは人間の力をはるかに超えた自然の摂理を象徴するものとして理解すべきなのかもしれない。
カウベルは、人間的な世界を超えた世界の存在を告げ知らせる役割を持っていると言ってもよいだろう。

また、ハンマーは、第4楽章の主役でもある。
ハンマーは、普通のオーケストラには常備されない道具であり、マーラーがこの曲のために特に用いた楽器である。

第4楽章では、ついに英雄が死を迎えるのであるが、
「英雄は3度の打撃を受け、3度目の打撃により、木が倒れるように倒れる」というのがマーラーの最初の説明であり、その打撃を聴覚的にも視覚的にも伝えるのがハンマーである。
のちにマーラーは3回目の打撃を削除している。さまざまな説があるが、マーラーによる直接の説明は残っていないので、真の削除意図は不明である。

さて、交響曲第6番を第1楽章から順にみてゆこう。

第1楽章は、低弦の逞しく戦闘的なリズムとともに、決然とした第1主題が展開される。
次に木管を中心に不思議な広がりを持つ音空間が形成され、突如として、喜びに満ちた第2主題が現れる。
愛する妻アルマの主題である。

この激しい戦闘が、静謐に中断され、愛の主題が生まれ出るという構造は、第1楽章のみならず、この交響曲すべてを貫く根本理念である。

この理念を聴衆に確りと把握させるためにマーラーは、珍しく古典的な反復記号を書き込んでいるほどである。

反復による2回目の愛のテーマが終わると、いよいよ展開部へと突入する。

ここでは、戦いは激しさを増し、悲壮感すら漂うのであるが、人間の力をはるかに超えた世界の存在を告げ知らせるカウベルが聞こえる。
悠大な自然の営みを思わせ、かつ人間の卑小さと儚さを想い起こさせるような雄大な音楽を経て、音楽は勇猛さと明確さを取り戻す。

英雄は再び力を得て、果敢にも困難へと突き進んでいくのである。

たしかに、戦いは高らかなる愛の勝利の凱旋によって華々しく帰結するのである。

第2楽章で、主人公は暫しの憩いを得る。

弦楽と木管が織りなす柔らかな主題ではじまり、牧歌郷に安らうがごとき平安が現れる。

しかし、その平安のなかにも「死」が潜んでいる。

オーボエが憂愁に似た旋律を奏でると、オーケストラは悲嘆と悲哀に沈んでゆく。
悠大な自然を前にして、いつかは死すべき身であることへ悲嘆と悲哀が不安を伴って胸に迫ってくるようである。

しかし、マーラーは、以前のように死を前に取り乱したり、悲嘆に暮れたりはしない。

なぜなら、彼は、愛するものの生命、受け継がれてゆくものの生命を知ったからである。

生々流転する自然の摂理は、荘厳な歓喜をもって迫ってくるのである。

しかし、優れた劇作家が知るように、真の劇的瞬間が訪れるためには、小さいながらもその前触れがある。

シェークスピアも、ロミオにいきなりジュリエットに恋させるのではなく、ロザリンデに恋をさせているではないか。

同様に(?)、先ほど訪れた不安からの転換は、真の感動の前触れに過ぎない。

今一度、深い悲しみが作曲家の心に襲いかかるそのとき、カウベルが聞こえてくる。

世界の苦しみは深いが、喜びはさらに深い。

やがて音楽はまどろみのように静かに終わる。

第3楽章では、ティンパニーによる激しい3拍子が、私たちをまどろみから現実の戦いへと引き戻す。
実際この音型は第1楽章の冒頭と似ており、まだ、戦いが終わっていないことを想い起こさせる。

そして、最終楽章の悲劇を予告する役割を持っている。

この楽章は戦闘的な主題→微笑ましくも不安定な主題→クラリネットが奏する諧謔的な主題→を繰り返しながら、音楽は徐々に崩壊をはじめ、静かに、力尽きるように終わる。

第4楽章では、冒頭に「悲劇の主題」とも言うべき旋律があり、のちに2度ほど登場する。

重苦しい序奏部分では、これからはじまる主部のさまざまな主題、要素が断片的に現れては消える。

段々と英雄を示す管楽器のコラールが姿を現し、いよいよ英雄は目覚め、現実との戦いをはじめるのである。

主部が低弦の行進曲風リズムから始まる。

悲劇が始まるのだ。
主人公は、最後の戦いに出かけるのである。

激しい戦闘の合間には明るい旋律も見え隠れし、悲劇の主題の変形も姿を現すが、そうした争いを超越するかのようにカウベルが聞こえる。

すると、音楽が幸福感に満ちて前進し、英雄的な音楽が勝利の予感を漲らせて高揚してゆく、そのとき、第1撃目のハンマーが振り下ろされる。

しかし、英雄はここで怯んだり怖じ気づいたりなどしない。

苦難に出会ってはじめて人は、自分について本当に思索する、と、私は思う。

マーラーが描き出す英雄は、まさに自らが英雄であることと、困難と苦悩とを一身に引き受けて孤独に突き進まなければならない存在であることを知る。

音楽は戦い続け、行進は力強く進み、再び勝利がすぐそこまで近づいてくる、音楽は頂点へと進む、そのときに、第2擊目のハンマーが振り下ろされるのである。

英雄はこの打撃を耐え忍ぶのだが、ここで、2回目の「悲劇の主題」が現れ、主人公に加えられた打撃の深刻さを暗示する。

この楽章の冒頭と同じ構造が再現される。

しかし、カウベルが聞こえる。
主人公はしばしの、そして最後の休息を与えられる。

この休息では「アルマの主題」が変形して引用され、まるで、愛の記憶の中に束の間の安らぎを見出すかのようである。

オーボエと独奏ヴァイオリンと独奏チェロが、英雄と愛するものとのふれあいから再び過酷な現実と対峙する力を得る過程を描き出す。

そして主人公は最後の戦いに出かける。

熾烈でありながらも、音楽は喜びと勝利感に満ちてもりあがる。

そして愛の勝利を宣言するファンファーレが最高潮に達したとき、3度目のそして最後の「悲劇的主題」が姿を現す。

マーラーの最初の構想ではそして、3度目のハンマーが振り下ろされるのであるが、先に述べたように、後にマーラーは、3回目の打撃を削除している。

マーラー自身の直接の説明は残っていないので、真の削除意図は不明であるし、現在では、静かにハンマーを振り下ろす場合が多いかと思う。

しかし、私は、マーラーが幸福のなかでこの作品を描き出したことから、3回目のハンマーの打撃を削除した場合の方を好ましく思う。

皆さまは、どのようなラストがよいですか。

ここまで、読んで下さり、ありがとうございます。

皆さまの心の中にこの曲に対するそれぞれの素敵なラストがあると思います(*^^*)

次回、マーラーとアルマと交響曲第5番を描こうかなあ、と迷っています^_^;

相変わらず方向性が、優柔不断な私のブログですが、また、良かったら、次回も、読んでやって下さいね( ^_^)

今日も、頑張り過ぎず、頑張りたいですね。

では、また、次回。

グスタフ・マーラーの交響曲第6番イ短調「悲劇的」が本当に悲劇的なのか??について(前編)

2024-04-14 07:25:22 | 日記
グスタフ・マーラー(1861~1911年)というひとりの人間のなかに、20世紀初頭の時代精神、すなわち躁と鬱、葬送と祝祭、絶望と歓喜、ユーモアとペーソスが宿っているといったら、言い過ぎであろうか。

マーラーは、自らがヨーロッパの歴史と伝統の申し子であることを自覚し、死と頽廃と没落の瘴気を胸一杯に吸い込んでいたからこそ、彼は、自信を持って、
「やがて私の時代が来る」
と言えたのではないかと、私は、思う。

マーラーという人間の背景を考えるとき、ヨーロッパについても考えなければならない。
ヨーロッパについて、私たち日本人は、ともすると、華美で壮麗なヨーロッパ文化を思い描きがちであるが、それは、皮相に過ぎないのかもしれない。

そもそも、ヨーロッパ文化は「人間」という言葉に必ず「やがて死すべき」という形容詞をつけることを忘れなかったギリシャ人からはじまり、中世の「メメント・モリ(汝死を忘るることなかれ)」という標語や、モンテーニュの「エセー」に代表される死の省察、あるいは、土俗化したキリスト教の殉教崇拝、といった具合にもともと死の影が蔓延しているのである。

ルネッサンスの美術作品が端的に示すように、美や若さ、といったものを、ヨーロッパ人が求めて止まないのは、美術史家W・ペイターが指摘するように、それがすぐに失われ、やがては死に奪い去られることがわかっているからである。

そのようにして至り付いた19世紀末から20世紀初頭のヨーロッパ世界は、ワイルドが耽美主義を標榜し、ニーチェは「神は死んだ」と言い出し、ショーペンハウアーは「この世界は私たちの心が勝手に創り出した幻影に過ぎない」と説いていた。

......。
虚無感と刹那主義が社会を覆い、世界を収奪した白人達は、いよいよ戦争の準備を始め、小声ながら、西洋の没落か囁かれ始めていた。

このような背景の中に、マーラーは立っていたのである。

マーラーは妻アルマと共に、最も幸福と言える時間たちのひとつを過ごしている最中に、交響曲第6番イ短調「悲劇的」に取り組んでいた。

第6番目の交響曲は、この世で生きようと決心した人間に降りかかってくる、ありとあらゆる災難と苦難が描かれ、その圧倒的な困難を克服した勝利の喜びのうちにフィナーレを迎えるのではなく、打ちのめされてばったりと倒れてしまう、というプロットを持っているのである。

幸福にあるひとが、不幸を描き、不幸にあるひとが、美しい幸福を描き出すという、芸術の不思議は、ある程度は天才の不可解な精神活動に帰属するかもしれない。

しかし、それでも、ある程度は、その人の性格や背景にも揺らぐことのない人生への確固たる態度、終生不変の眼差しからも解明できるのではないだろうか。

マーラーという人間を特徴づけるものは2つあるように思う。

ひとつは、その出自と環境である。

現在のチェコ(当時はオーストリア領ボヘミア)の村で生まれ、指揮者としてウィーン宮廷歌劇場の芸術監督となったユダヤ人である彼は、自らのことを
「オーストリアにおいてはボヘミア人とみなされ、ドイツにおいてはオーストリア人とみなされ、そして、どこに行ってもユダヤ人とみなされる。私は、世界のどこからも歓迎されないのだ」
と述懐している。

20世紀初頭のユダヤ人を取り巻く環境は、現代からは想像を絶するほど過酷なものであった。

物価が上昇しても、失業率が上がっても、他国に領土を奪われそうになっても、いつでもどこでも、ありとあらゆる悪いことはユダヤ人のせいにされたのである。

こうした反ユダヤ主義はあまり表立って現れることはあまりなかったものの、表出しない感情は、人々の心の奥深くへ根を張り巡らし、ひとつの前表で突然荒れ狂い、噴出したのである。

それが、ドレフュス事件であり、後のナチス台頭であった。

マーラーの周囲にもこのユダヤ人指揮者の成功を羨む人間は大勢おり、社会的な意味においてもマーラーの人生は戦いそのものであったのかもしれない。

さらに、敵は、マーラーの内部にもいた。
幼少期から、身近にいて、何の前触れもなく、1番失いたくないものに狙いを定めて、家族や友人を奪ってゆく「死」である。

マーラーは、幼くして病死した弟エルンストや同じ作曲家を志した弟オットー、そして才能溢れる友人フーゴー・ヴォルフを亡くしたつらい経験から、常に喪失の不安に怯え、何かを手に入れると、手に入れたそばから、もうそれを喪うことを想い、蜜を収穫しながらも、それを知らない人のように、死に追い立てられ、ひたすら死から逃走するのである。

マーラーの第1交響曲から第4交響曲までは、まさに死からの逃走であった。

救いを最後の審判や天国での楽しい生活という宗教的幻影に求めることはもはや不可能な時代でもあったのである。

検死官ニーチェは、神の死亡診断書を書き散らし、不安に生きる大衆は第2第3のドレフュス事件を探していた。

もはやシューベルトやシューマンのように、憧れと共に天国を幻視する時代ではなかったのである。

その一方で、マーラーの内面の変化もあった。

20歳近く年下のアルマとの結婚をきっかけに、マーラー自身が逃げることをやめ、確実に訪れる死に、決然と対峙することを決めたのである。

マーラーは初めて、誰の身にも訪れる死を見据えようと決心した。

なぜなら、あの世のものでなく、この世のものに愛を抱く以上、いずれはこの世の愛するものと別れなければならないことは明白だからである。

喜びが激しければ激しいほど、ますます強くその歓喜の終焉を意識せずにはいられないのがマーラーという人間なのであろう。

マーラーという人間を特徴づけるものの、もうひとつは、彼が卓越したオペラ指揮者であったということである。

正確にいえば、卓越したドラマ演出家であったにもかかわらず、オペラを作曲しなかったのである。

声楽が嫌いだというわけではなく、むしろマーラーの本領は歌にあるといっても過言ではなく、彼はオーケストラ伴奏付の巨大な歌曲集「子供の不思議な角笛」「リュッケルトによる5つの歌」「亡き子を偲ぶ歌」などを作曲し、第8交響曲や「大地の歌」など自作の交響曲にも声楽をたくさん取り入れている。

歌曲とオペラの距離は、抽象と具象の距離でもある。

オペラでは、特定の状況にある特定の個人、例えば、愛する娘を永久に炎の山の中に閉じ込めざるを得ない神ヴォータンの嘆きが歌われるが、歌曲においては、我が子を亡くした親の普遍的な嘆きが歌われる。

マーラーという人間の精神は、常に具体的なものの背後に抽象性を見出さずにはいられないのである。

交響曲第6番の長大な第4楽章で、私たちは、まさに概念のオペラを聴くのである。

それは、理念の闘争であり、人生という舞台の登場人物、すなわち、愛、困難、平安、悲嘆、卑劣、笑いなどといった諸概念が動き回り、そして最後に、「死」が登場して幕を引くのである。

ここまで、今回を「前編」、続きを次回を「後編」として、マーラーの交響曲第6番イ短調「悲劇的」について、さらに掘り下げて描いていこうと思う。

ここまで、読んで下さり、ありがとうございます。

今回の続きになりますが、次回もよろしくお願いいたします( ^_^)

今朝も、綺麗な晴れで、なんだかうれしいです(*^^*)

今日も、頑張り過ぎず、頑張りたいですね。

では、また、次回。

「アメリカ人の個人主義」とは何か-私たちが直面していることについて考えるⅢ⑩-

2024-04-13 07:18:50 | 日記
「デューク」の愛称で親しまれた映画俳優のジョン・ウェインは、50年にわたって169本の映画に出演し、競争心のある一匹狼の一面を見事に表現している。

映画の中の彼は常になんだか偉そうで、押しが強く、タフ、自信過剰で人と打ち解けず、我が道を行き、誰の助けも必要としない。

その姿は、アメリカを象徴するヒーローの典型のひとつであった。

しかし、それは、愛される人間の典型ではなかったし、アメリカ人の本当の姿を最も正確に表現しているわけでもなかったようである。

多くのアメリカ人が、毎年クリスマスなどに家族で見たいと思うのは、それとは別の典型であり、もっと親しみやすいアメリカ人像である、そうである。

例えば、ジェームス・スチュアートが出演した映画『素晴らしき哉、人生!』に見られる、公共心にあふれたコミュニティ精神、隣人の思い遣りの素晴らしさ、人々が助け合うことの喜びを高らかに讃えるようなアメリカ人像であり、愛される人間の典型である。

映画『素晴らしき哉、人生!』の幸せな結末は、町中の人々が勝ち取った町全体にとっての勝利であるし、誰にも頼らないひとりの人間の戦いが報われたことではない。

(他国に今さら言われなくとも)実は、アメリカ人こそ、国のみならず個人個人が、映画であれ現実であれ、
「幸せな結末は、誰にも頼らない、ひとり(の人間)の戦いが報われたことではない」
と理解しているようにも思えるのである。

個人主義は、アメリカ人の意識のなかに脈々と生き続けてきたようである。

個人主義は、アメリカの建国神話の中核をなし、近年の政治プロパガンダにおける主要な謳い文句として生き残っている。

実際に、財をなし、新世界で自らの信仰を実践し、旧世界での外圧から自由になった最初の入植者を、アメリカ人は、自由を愛する者として崇拝している。

その象徴となる姿は、ハリウッドの西部劇の孤独なカウボーイにも見てとれる。

自分自身の機転、度胸、銃だけを頼りに、悪者や牙をむく自然と対決する人間である。

そのあとに、 個人主義と登場したのは政治家である。

ハーバート・フーバーは、「強固な個人主義」という言葉をはじめて使った。

これは、1928年の大統領選挙における勝利を後押しし、その後、世界大恐慌の苦難に対しては、彼の消極性を明らかにした言葉でもあった。

フーバーは、
「私たちは強固な個人主義というアメリカの体制と、それとは正反対の父親的保護主義や国家社会主義というヨーロッパ的哲学のいずれかを選択することを迫られた。
後者の考えを受け入れたら、中央集権化を通じて自治は崩壊することになっただろう」
と述べている。

彼は、政府による援助が「アメリカ人の自発性と進取の気性」を損なうと信じていた。

しかし、フーバーは間違っていたようである。

徹底した(共和党の)個人主義は、世界大恐慌に対する経済的・人道的対応としては悪く、本来あるべき状況よりも、ずっと悲惨な状況を招いてしまったのである。

これに対し、フランクリン・ルーズベルトのニューディール政策は、雇用を創出し、経済の回復に貢献し、政府以外に支援を受けるあてのない人々に対する打撃を和らげた。

......ニューディール政策に組み込まれた一般市民のための保護をなくそうとしているトランプは、現代のフーバーなのかもしれない。

誰が大統領になるにせよ、日本人は、未来の日米関係を過大にも過小にも恐れないためにも、アメリカ人の個人主義に関わる歴史を見つめてみる必要があるのであろう。

アメリカ人の生活は、概ね、競争よりも協力を拠り所としていた。

初期の入植者は、非常に固い絆で結ばれた共同体に住んでいた。

なぜなら、集団の外で生きることはほぼ不可能で、皆の承認なしに皆の承認なしにやっていくことは出来なかったからである。

さらに、映画とは違って、昔の西部都市の住民は、多くの大都市の住民より礼儀正しく、協力的で、暴力に訴えることはきわめて少なかった。

例えば、幌馬車隊は、西部を目指す前にさまざまな決まりに同意し、鉱山の町には土地所有の主張や採掘権を定める厳しい規則があった。また、牧場主や自作農民は土地管理の組合を作り、土地の所有権や境界に関するもめ事の解決に当たったのである。

今日、隣人を助ければ、明日は、隣人が自分を助けてくれるという開拓者の伝統があるのである。

また、努力や天性と同じくらい運が人生で大きな役割を果たすこと、分かち合うことは逆境や不運に対する保険となり、集団の中で個々のリスクと負担を分散することだと皆がわかっていたのである。

アメリカ人の祖先が強固な個人主義を掲げてアメリカに上陸し、それぞれが自分だけを頼りにして道を切り拓いたなどというのは、偏った映画を観すぎた人間が作り上げた、根拠のない神話である。

ほとんどの場合、まずひとりが先にアメリカに来て、同じような境遇の人たちと助け合い、いくらか貯蓄して、徐々に兄弟姉妹や両親、近親者を呼び寄せたのである。

だからこそ、皆は共に分かち合う精神を持ち、他者に対する責任感を持っていた。

キケロは「おのおのが自分を愛するように他者を愛するなら、多くの人々はひとつになる」
と表現している
「E Pluribus Unum(多数から成るひとつ)」
は最初のアメリカ合衆国独立記念日である1776年7月4日にアメリカのモットーとなった言葉である。

アメリカ合衆国の独立から、228年後、オバマは、
「リベラルのアメリカ、保守のアメリカというものはない、あるのはアメリカ合衆国だ。
黒人のアメリカ、白人のアメリカ、中南米系のアメリカ、アジア系のアメリカというものはない。あるのはアメリカ合衆国である。
共和党系の赤い州も民主党系の青い州もない。あるのはアメリカ合衆国である」
という
「E Pluribus Unum」と同じくらい心を揺さぶるスローガンを掲げた。

個人主義といえば、文脈は違うが、
「根本的には自力で作り上げるほかに、私を救う途はないのだと悟ったのです」
ということばをふと思い出した。

本当に大切なことや核心(Core)は、変わらないのかもしれない、と、私は、思った。

ここまで、読んで下さり、ありがとうございます。

今朝は綺麗な晴れで嬉しいです(*^^*)

今日も、頑張り過ぎず、頑張りたいですね。

では、また、次回。

レーガンが人々を魅了した理由を考えるときに-私たちが直面していることについて考えるⅢ⑨-

2024-04-12 07:00:49 | 日記
三島由紀夫は『天人五衰』のなかでも、身についていない優雅に対して、自分が怒ったり、悲しんだり、苦しんだりしていることを主人公に投影している場面があるように思えることが、私には、ある。

例えば、まだ、黙りがちに透と慶子がクリスマスの食事をする場面で、ナイフやフォークの捌き方一つ一つを途中から教えれた透が慶子をみたとき、

「見れば、強々(こわごわ)しいバロックの銀の大燭台の向こうで、老婦人の編み物を思わせる手つきで、放心したような静けさと丹念周到な指の動きで、慶子が操るナイフとフォークは、およそ子どもの時から、彼女の指先がそのまま成長してそれに化したような、じかにその爪から繋がっている感じがした。」
と、慶子と比べて自らの卑しさを再認識し、怒りを覚える場面を、ふと、思い出した。

あとから入念に教えられたものと、そもそも自ら身につけたものでは、やはり、見え方も伝わり方も違うのであろう。

今朝、起きてみると、総理が、アメリカ議会の上下両院合同会議の演説を終えていた。

報道によると、総理は、この演説をするにあたり、1980年代にレーガン氏のスピーチライターをしていた方を活用していたようである。

前回、結果的にレーガン氏に負けるきっかけとなったカーター氏の演説(「A Crisis of Confidence」)について描いていたので、今回はこのような(?)流れから、レーガン氏の楽観的戦略とそれがもたらしたものについて、考えてみたいと思う。

1980年代(の特に前半)、アメリカはレーガンに魅了されていた。

レーガンは、アメリカ例外主義の善い側面と悪い側面のすべてを、ほぼそのままに体現した人物であった。

レーガンは、質素な生活をする家庭に生まれ、家族がトラブルを抱えることもある中、レーガンはあらゆる困難を乗り越えて、アメリカで最も華やかなふたつの職に就いた。

ひとつは、ハリウッドの映画スター、もうひとつは、ワシントンの政治家である。

彼の大統領としての評価はさまざまであるが、アメリカ国民の間に広がったレーガンの楽観主義と「心配ない、幸せになろう」というメッセージは、皆を激励し、国全体の士気を高める奇跡的な役割を果たした。

レーガンが引き継いだ国は、(相手をあまり見ずに)真実を口にするジミー・カーターの悲観主義がもたらした不安にとらわれていた。

レーガンは、すぐに国民を元気づけはしたが、アメリカは全世界の羨望と尊敬を集める「光り輝く丘の上の町」のまたとない化身だ、と、ジョン・ウィンスロップの願いを日々かなえるかのようなアメリカ像と「丘の上の町」神話をアメリカ国民に吹き込み続けたのである。

レーガンは、幻想を作り上げる達人であったが、それをアピールするのはもっと巧かった。

たぶん、それは、レーガンが、自分が作った神話をかなりの確信を持って信じることが出来ていたからであろう。

レーガンは、映画スターとしてのキャリアに行き詰まると、テレビの西部劇シリーズのホスト役を務め、番組提供会社の石けんを売り込むセールスパーソンとしてのスキルを極めた。

また、ゼネラル・エレクトリック(以下GE)社提供のテレビドラマシリーズでも、長年に渡ってホスト役を務め、
「幸せな生活は考えられ得る限りの家電製品で成り立つ」ことを視聴者に巧く納得させた。

このようにして、レーガンは、現代アメリカの大量消費主義の象徴となり、最も説得力を持ってエネルギーの浪費を推進した人物となったのである。(→ここにもレーガンの現実離れした楽観主義が垣間見える)

1954年から1962年の間、レーガンは、全米の小都市を回り、GE社の139施設で延べ数十万人の従業員に向けて、GE社の福音を広める感動的なスピーチを行った。

このことは、彼個人の政治的傾向を劇的に変え、間もなくアメリカ全体の政治を大きく変えることになるのである。

レーガンは、当初、GE社の広報部門が作り上げた世界モデルを宣伝していた。

しかし、新たな生活観を長く懸命に売り込んでいると、自分を売り込むようにもなってくるものである。

特に、レーガンのような優秀なセールスパーソンならばなおさらであろう。

彼は、相当リベラルな民主党員だったのであるが、最終的にはGE社の信条の中でも極端な右派にまで転じたため、会社では彼を使えなくなっしまった。

レーガンは、明らかにごく普通の映画俳優およびテレビタレントとして熱弁を振るい始めたのであろうが、最終的には、ルーズベルト以来の堪能な政治演説家といっても過言ではない人物になっていたのである。

長年にわたるGE社での実地訓練を通じて「偉大なるコミュニケーター」に変貌したのだ。

レーガンは、アメリカ国民が聴きたいことを把握し、くだけたわかりやすい言い回しを練り上げ、自らの政治的能力を売り込んだ。

レーガンはGE社のセールスパーソンから共和党の新星へと急速に姿を変えた。

これまで身につけてきたものが集約され、集大成としてのかたちを現してきたのである。

そして、1964年、共和党全国大会で有名になった
「A Time For Choosing(選択のとき)」
と題したゴールドウォーターを応援する演説でゴールドウォーターより目立ち、大きな政府への反対や、共産主義に対抗する必要性を人々の心に残るかたちで訴え、
1967年から1975年まではカリフォルニア州知事、
1981年から1989年までアメリカ合衆国大統領を務めたのである。

確かに、その後、アメリカ例外主義の現実離れした楽観的戦略は、それが続いている間は心地よいものであったであろうが、決して長く続くものではなく、アメリカ国民は、レーガンが語った、ウィンスロップの願いを日々かなえるアメリカ像や「光り輝く丘の上の町」のまたとない化身としてのアメリカという夢物語から、予想外に早く、現実に引き戻されたのである。

アメリカ国民はレーガンの大統領としての(特に経済と外交の)失策による重い後遺症に苦しむことになった。

アメリカ例外主義の現実離れした楽観的戦略は、続かなくなったとたん、これまで蓄積された負債すべてを返済しなければならない現実が国民を蝕み始め、いまだに、アメリカ国民はレーガンの影響から逃れられていないようにもみえる。

しかし、スピーチライターはもちろんいても自分の言葉でアメリカ国民を鼓舞したレーガンの実績は、消えるわけではないし、さまざまな経験から、国民の聞きたいことを把握し、くだけたわかりやすい言い回しを自ら練り上げ、自らの政治的能力を売り込んだレーガンは偉大であると思う。

冒頭で、三島について触れたが、三島も自らが描き出す優雅が、本当に優雅なのか、晩年は悩んでいたように、私は、思う。

そうでないのに、そう見せかけることほど、空虚なことは、ないのかもしれない、とも、私は思うのである。

ここまで、読んで下さり、ありがとうございます。

総理、演説お疲れさまです。
総理が、帰国してからどのような言葉を国民にはかけてくれるのでしょうか......^_^;

今日も頑張りすぎず、頑張りたいですね。

では、また、次回。