冬桃ブログ

生麦事件のことを知るなら

 横浜開港から3年たった文久2年(1862)、
現在の鶴見区生麦で凄惨な事件が発生した。
 この日、薩摩の島津久光が400人もの供を従え
生麦村を通りかかった。
 大名行列だから、日本人なら道の端に伏して
通り過ぎるのを待つだろう。
 ところが折悪しく、この日、行列に遭遇したのは
4人のイギリス人だった。
 アメリカ人経営の商店に勤めていたクラーク、
生糸商人マーシャル、その従姉妹で、香港から
横浜観光に来ていたマーガレット、そして、
上海からやはり日本観光に来ていた商人リチャードソン。

 行列を軽く見たのか、馬を上手に操れなかったのかは
わからないが、4人は馬ごと、行列に割り込んでしまった。
 島津藩士達も身振り手振りで、道の脇へ避けるようにと
必死で伝えたらしい。
 しかし両者の意志伝達はうまくいかず、馬はついに
久光の籠近くまで踏み込んでしまった。
 イギリス人達もさすがに馬首を巡らそうとしたらしいが
そのあわただしい動きが、島津側には粗暴に見えたのだろう。
 刃がひらめき、まずはリチャードソンが斬られて落馬した。
 藩士がそこへとどめを刺す。
 マーガレットを除く二人も斬られて深手を負うが、
なんとか当時、アメリカ領事館があった本覚寺へ逃げ帰った。
 ヘボン博士の手当を受け、命に別状はなかった。

 この事件は、長い鎖国を解き、開国したばかりの日本に
とって、はかりしれない影響を及ぼした。
 なにしろ相手は、中国をアヘン漬けにし、アジア各地に
植民地をつくっていた大国イギリスである。
 だが、プライドの高い薩摩藩もなかなか折れず、
ついに事件は薩英戦争へと発展した。

 このあたりの顛末は詳しく書かないが、その後の日本を
大きく変えた大事件だったことは間違いない

 横浜には、この事件を深く掘り下げ、私財を投じて
「生麦事件参考館」をつくられた浅海武夫さんという方がおられる。
 1000点に及ぶ資料を自分で収集された。
 吉村昭さんが小説「生麦事件」を執筆された際も
足繁く浅海さんのもとへ通われたという。
 昨年は生麦事件から150年。テレビ出演や講演依頼が
引きも切らず、凄まじい忙しさだったようだ。

 私は何年か前、友人達と生麦事件参考館を訪れた。
 その際、浅海さんからていねいな解説をしていただき
感動した。
 その後、一緒に食事もさせていただいた。

 そしてこのたびは浅海さんからお誘いをいただき
歴史好きの友人二人と一緒に食事会。
 戦時中の思い出話なども伺い、とても楽しいひとときだった。
 なんたって浅海さんはお話がうまいのだ。
 
 「私も歳ですからねえ(80を超えておられる)、集めた
1000点余りの資料がどうなるのか、心配なんです。
 引き受けてくださっても、たまにしか展示されないのでは
意味がない。常設してくれるところがあるといいんですけどねえ」
 
 ないわけではないらしいのだが、浅海さんほどこの事件に
関して語れる解説者がいない。
 悩ましい問題である。

 ともかく、近いうちにまた参考館へ伺い、貴重なお話を
聞かせていただこうと思っている。

 生麦事件参考館はこちら。
 浅海さんが留守の時は開いていない。
 必ず、予約が必要。
http://www.kanagawa-kankou.or.jp/seeing/area-yokohama/yokohama/post-3.html
 
 
浅海さんを囲んで。

コメント一覧

冬桃
忘れずに
http://members2.jcom.home.ne.jp/noa411/
酔華さん

 そうです。早めにいらしてください。
 そして必ず、予約を忘れずに、です。
酔華
ここに行こう行こうと思いながら、いまだに行ってないのです。
あちら方面に用事があるときに、なんて考えていたらだめですね。
その気になって行かないと。
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「雑記」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事