冬桃ブログ

消えない記憶

 9年前の今日、私は鳥取県庁にいた。
 友人のまちづくりプロデューサー、
福井功さん経由の仕事で、ある会議に
参加していたのだ。
 会議が始まってしばらくたった頃、
ゆっくりとした横揺れが始まった。
 地震だな、と思ったが、みんな落ち着いていた。
 日本人にとって地震はけっこう日常茶飯。
 まあ、いつものあれだろうと思ったのだ。
 
 ところが、揺れはなかなか収まらなかった。
 しかも揺れ幅が異常に大きい。
 東京からパソコンで会議に出席していた人は
いつの間にか画面から消え、その後出てこなくなった。
 私の隣席にいらしたのは鳥取大学教授の野田邦弘さん。
 彼のご自宅は横浜にある。
 さすがにおかしいと思われたのか、スマホで
横浜に掛けておられた。
 が、通じない。

 なんとなく不安な気持ちのまま会議は続いたが
終わったとたん、みんな、テレビのある部屋へ。
 そこで東北地方に大きな地震が発生したことを知った。
 まだその程度の情報しかわからなかった。

 私はその日のうちに兵庫県佐用町へ移動して一泊。
 目的はここで開催されるまちおこしイベント。
 地元に伝わる陰陽師塚を使ったこのまちおこしは
もとはといえば福井さんの知識、発案によるところが大きかった。
 佐用町出身で横浜市役所職員の友人もこの日は一緒。
 なにより地元の方達の熱意が高まっている。
 翌日、イベントは何事も無かったかのように
楽しくスタートしたが、私は内心、心ここにあらずだった。
 宿泊先のホテルで、地震だけではなく大津波が発生し、
東日本一帯に影響を及ぼしていることを知ったからだ。

 不通になっていた新幹線が、午後になって開通。
 横浜に着くまでの長かったこと!
 さらに、うちに入ってその惨状に立ち竦んだ。
 食器戸棚やタンスの引き出しが、
泥棒に入られたあとのように開いている。
 大きな絵は壁から落ちている。
 たくさんある本箱が幾つも倒れ、
作り付け本棚のある書庫は、雪崩のように
落ちた本でドアが開かなくなっていた。

 テレビは、現在の新型コロナ騒ぎ以上に
連日、震災、津波、さらには原発事故を報道していた。
 数日後にはバラエティ番組などが消え、
もう、それ一色になった。
 日本全土が恐怖と絶望に染まっていた。

 3.11に一緒だった福井功さんとは
長い付き合いだった。
 彼のおかげで、さまざまな人と知り合った。
 人と人をつなぐ名人だった。
 そうすることで自分が利を得ようなどとは
まったく考えない人だった。

 その福井さんが昨年、突然のように亡くなった。
 今月、命日を迎える。
 春は出会いと別れの時。
 去来する思いが多すぎて、
心がなかなか鎮まらない。

 福井さんが誘ってくださった
糸魚川・翡翠さがしの旅にて。

 


 
 
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「雑記」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事