つけて耐震補強した。
つっかい棒も粘着パットも一応しているのだが、昨年の
3月11日を思い出すと、これだけでは足りないという気がしていたのだ。
一年前のあの日は鳥取県にいた。翌日、帰宅して大ショックを受けた。
うちはとにかく本箱が多い。それが、あるものは倒れ、あるものは
折れ曲がり、あるものは扉が開いている。
崩れた本の山で、部屋や押し入れの扉が開かなくなっていた。
もしあの時ここにいたら、あわてて本箱のどれかを押さえようとしてだろう。
崩れ落ちる本に直撃され、怪我をしていたかもしれない。
人に手伝いをお願いしてなんとか片付けた後は、連日、
茫然とテレビを観ていた。
することがない。仕事も会食もすべてキャンセルになった。
地震、津波、原発事故と、ニュースはどんどん悪くなる。
毎日泣いていた。よくもあんなに涙があったものだ。
被災地の惨状は、そりゃ惨いと思った。
日本の将来も自分の先行きも不安でたまらなかった。
でもそれ以上に、こんなふうに一人で泣いてる自分が
なんとも惨めで辛かった。
毎日のように連絡を取りあい、安否確認したり
励まし合ったりできるほど身近な相手が、私にはいない。
そんなことはわかっていたはずだし、普段は、家族が
いないも同然の身でよかったと、うそぶいてさえいる。
なのに、いざとなるとこのざまだ。
知人も友人も、いまは大事な人達と寄り添っているのだと思うと
そこへ電話やメールをすることさえはばかられた。
暇なのだから、若くて体力があればすぐボランティアに
駆けつけることもできただろう。
でも、こんな時、なにひとつ役に立たない私は、
テレビを観て泣き続けるだけ。
それも被災地を悼んでというより、自分の孤独に耐えかねて。
あれから一年たった。
私自身も私の状況も、さして変わってはいない。
世間では黙祷を捧げているというのに、私はテレビの特集も観ず、
本箱を補強している。
ほんとに補強が必要なのは、本箱ではなく自分のやわな心なのだろうが……。
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