パスポートがこの夏で期限切れになる。
特にいま、海外へ行く予定はないのだが、
マイナンバー制度になって以来、写真付きの
身分証明を出しなさいと言われることが多くなった。
運転免許のない私は、これを更新するしかない。
山下町のパスポートセンターへ申請に行った。
切り替えだから、申請書といまのパスポートを
出すだけでいい。
簡単だと思ったら、一点で引っかかった。
「緊急連絡先が書いてないですね」
「身内が誰もいないので」
「友達とか知り合いに頼めないのですか?」
「迷惑をかけてもいいほどの間柄では……」
「でも、外国でなにかあった時、外務省が困ります」
なんで困るのだろう。
私の名前も住所も、このパスポートでわかるはず。
要するに、病気になったり遺体になったりした時、
引き取ってもらう人間が必要だということか。
国が引き取って日本に戻し(その分の費用は
当然、私から取れるはず)、適当な病院に入れるなり
遺体だったら荼毘にふすとかしてもらえないのだろうか。
文句を言う人間は誰もいないのだから。
尊厳死協会に入っているし、葬式はいらないという
遺言も書いてあるし。
「誰かに頼むなりして、もう一度いらしてください」
申請窓口の人は、きっぱりと宣言する。
なんだかいやな気がした。
緊急連絡先のない人間は、パスポートをもらえないのだろうか。
ねばろうかと思ったが、根性のない私は
混み合ったセンター内を見回してあきらめた。
忸怩たる思いで、名付け子のお父さんに電話をする。
彼はこころよく承諾してくれた。
その場で住所や名前を申請書に書いて完了。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/e3/87bbe0e990bb9ca6a66204b4e9561a1e.jpg)
その夜、久しぶりで木曜パトロールに参加した。
寿町にある教会に、毛布、石鹸、カミソリなどの
日用品、衣類、缶入りクラッカー、スープ、お湯
などが用意されている。
20時半頃になるとボランティアが集まってくる。
この夜は十五人くらい。
横浜国大の留学生だという外国人青年もいる。
荷物を台車に載せたり手に持ったりして出発。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/a9/38661f59933eb50922b38dca7c32d3d4.jpg)
寿町を出て、関内駅周辺とスタジアムのふた手に分かれた。
関内駅は前にも行ったことがあるので、私はスタジアムへ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/ee/541d7a580a8d87a7301c7fd833f738dc.jpg)
二階のテラスには、“路上の人”たちが何人もいる。
一人用のテント、ダンボール、それもなければ
コンクリートの上に新聞紙を敷いただけで寝ている。
木曜パトロールはその人達に「こんばんは」
と声をかけ、「必要なものはありませんか」と尋ねる。
無理強いはぜず、要求に応じるかたちで、
熱いスープや品物を渡し、「お気をつけて」と
言って去る。
あの人達は、どこにも緊急連絡先なんか
登録していないだろう。
事情は様々だが、独りで生きることを選んだ。
あるいは選ばざるをえなかった人々。
住所がないから生活保護も受けられない。
そうした、多大なリスクを背負って。
スタジアムを出て解散。
見上げれば、この冬一番だという寒気の中に、
オリオン座がくっきりとまたたいている。
とぼとぼと地下鉄の駅に向かって歩く。
私なんかちょっと意地をはるだけで
独りで生きる覚悟なんてまったくできていない。
それを思い知らされて、また忸怩たる気分になった。
特にいま、海外へ行く予定はないのだが、
マイナンバー制度になって以来、写真付きの
身分証明を出しなさいと言われることが多くなった。
運転免許のない私は、これを更新するしかない。
山下町のパスポートセンターへ申請に行った。
切り替えだから、申請書といまのパスポートを
出すだけでいい。
簡単だと思ったら、一点で引っかかった。
「緊急連絡先が書いてないですね」
「身内が誰もいないので」
「友達とか知り合いに頼めないのですか?」
「迷惑をかけてもいいほどの間柄では……」
「でも、外国でなにかあった時、外務省が困ります」
なんで困るのだろう。
私の名前も住所も、このパスポートでわかるはず。
要するに、病気になったり遺体になったりした時、
引き取ってもらう人間が必要だということか。
国が引き取って日本に戻し(その分の費用は
当然、私から取れるはず)、適当な病院に入れるなり
遺体だったら荼毘にふすとかしてもらえないのだろうか。
文句を言う人間は誰もいないのだから。
尊厳死協会に入っているし、葬式はいらないという
遺言も書いてあるし。
「誰かに頼むなりして、もう一度いらしてください」
申請窓口の人は、きっぱりと宣言する。
なんだかいやな気がした。
緊急連絡先のない人間は、パスポートをもらえないのだろうか。
ねばろうかと思ったが、根性のない私は
混み合ったセンター内を見回してあきらめた。
忸怩たる思いで、名付け子のお父さんに電話をする。
彼はこころよく承諾してくれた。
その場で住所や名前を申請書に書いて完了。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/e3/87bbe0e990bb9ca6a66204b4e9561a1e.jpg)
その夜、久しぶりで木曜パトロールに参加した。
寿町にある教会に、毛布、石鹸、カミソリなどの
日用品、衣類、缶入りクラッカー、スープ、お湯
などが用意されている。
20時半頃になるとボランティアが集まってくる。
この夜は十五人くらい。
横浜国大の留学生だという外国人青年もいる。
荷物を台車に載せたり手に持ったりして出発。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/a9/38661f59933eb50922b38dca7c32d3d4.jpg)
寿町を出て、関内駅周辺とスタジアムのふた手に分かれた。
関内駅は前にも行ったことがあるので、私はスタジアムへ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/ee/541d7a580a8d87a7301c7fd833f738dc.jpg)
二階のテラスには、“路上の人”たちが何人もいる。
一人用のテント、ダンボール、それもなければ
コンクリートの上に新聞紙を敷いただけで寝ている。
木曜パトロールはその人達に「こんばんは」
と声をかけ、「必要なものはありませんか」と尋ねる。
無理強いはぜず、要求に応じるかたちで、
熱いスープや品物を渡し、「お気をつけて」と
言って去る。
あの人達は、どこにも緊急連絡先なんか
登録していないだろう。
事情は様々だが、独りで生きることを選んだ。
あるいは選ばざるをえなかった人々。
住所がないから生活保護も受けられない。
そうした、多大なリスクを背負って。
スタジアムを出て解散。
見上げれば、この冬一番だという寒気の中に、
オリオン座がくっきりとまたたいている。
とぼとぼと地下鉄の駅に向かって歩く。
私なんかちょっと意地をはるだけで
独りで生きる覚悟なんてまったくできていない。
それを思い知らされて、また忸怩たる気分になった。