こういうライブにお招きを受け、友人三人を
誘って出かけた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/02/3ab7974de0ed1ff36df955eddbd57097.jpg)
懐かしのゴールデン・カップス。
私と同年代のグループサウンズだった。
「天使はブルースを歌う」という
ノンフィクションで彼らを取材させていただいた。
あれから25年。
カップスのメンバーだった人たちが
次々と亡くなった。
デイブ平尾さん、マモル・マヌーさん
ルイズルイス加部さん、一時期のメンバーだった
柳ジョージさん、良き仲間だったジョー山中さん。
いまも健在なのはエディ潘さんと、後に
ゴダイゴのメンバーにもなるミッキー吉野さん。
この日の催しはエディさんとミッキーさんによるライブとトーク。
まずは中華街で早い夕食。
春節で振替休日とあって、人をかき分けなければ
前に進めないないほどの混雑。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/83/67c4a987a00fa3e85fb2372cf238ea8e.jpg)
で、関内ホールには開場の30分も前に
到着したというのに、屋外には長~い入場待ちの
行列ができていてびっくり!
すべて自由席だから、そこに並ばなければならない。
列はその後もどんどん長くなるのだが、
なぜか開場もどんどん遅れ、6時に入れるはずが
結局7時に。
聞いたところによると、その前の時間に
開催されていた人気落語家の回が「押した」のだとか。
私たちの行列は圧倒的にシニア層が多かったが、
みんな文句も言わず、一時間以上も屋外の立ちっぱなしで
待っていたのだ。暖かい日で良かった。
しかしカップスの二人しか出ないというのに、
この人気は凄い。これはもう東京などにはない
「横浜愛」とでもいうべきものだろう。
関内大ホールは満席!
久しぶりに顔を見る知人友人も多い。
エディさん、ミッキーさん、それに高橋マコトさん
というギタリストを加え、待ちに待ったステージが開幕。
エディさんは何度か入院された身なので心配していたのだが、
まったくの杞憂だった。
二時間余りのライブで、トークも歌も八割がた受け持ち、
声は、いまが絶好調なのでは、と思えるほど伸びやか。
持ち前の高音が冴えわたる。
さりげなく補佐するミッキーさんのキーボードがまたいい。
中盤には大物ゲスト、俳優の藤竜也さんが登場。
80歳前半だそうだが、最近も映画の主役をつとめ、
ジーンズが似合う大スター。
「横浜ホンキー・トンク・ブルース」は
作詞が藤竜也、作曲がエディさん。
お二人はもちろんのこと、いまは亡き
原田芳雄、松田優作といった人たちも歌っている。
その歌が誕生した時のエピソードなどを
二人のトークで楽しく聞かせていただいた。
ゴールデンカップスの音楽ドキュメンタリー映画
「ワンモアタイム」は2004年の制作だが
その際、映画の制作会社がカップスを再結成させ
映像をいろいろと撮っている。
それの一部であろう映像もスクリーンに映し出された。
懐かしく見入っていたのだが、あるシーンで
飛び上がりそうになった。
え? ライブハウスの一画で体を揺らしてる女性、
あれ、もしかして、ひょっとして私?
おかっぱの髪、細身のワンピース。
ウエストの細さが服を通してわかる。
いまや、丸いおなかのどこがウエストなのかも
わからなくなったが、確かに50代はこうだったのだ。
「天使はブルースを歌う」を書いた時、
もっともお世話になったのがミュージシャンの
中村裕介さんだったが、この日、奥様の馬晶さん
と一緒に来てらして、まさに50代だった頃の
懐かしい写真をいただいたばかり。
中村裕介さんと。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/af/0097b637787b56f447babf50171a35cc.jpg)
ちょっと髪型を変えた頃。
裕介さんとバイク乗り集団ケンタウロスの
ボスだった故飯田繁男さんと。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/4d/4d0311f69686c77b8ce753f1b9652720.jpg)
年月は容赦なく過ぎていくが、豊かな「過去」と
また別の世界で充実した思い出を創れそうな「現在」が
あることに、あらためて感謝した一夜であった。
誘って出かけた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/02/3ab7974de0ed1ff36df955eddbd57097.jpg)
懐かしのゴールデン・カップス。
私と同年代のグループサウンズだった。
「天使はブルースを歌う」という
ノンフィクションで彼らを取材させていただいた。
あれから25年。
カップスのメンバーだった人たちが
次々と亡くなった。
デイブ平尾さん、マモル・マヌーさん
ルイズルイス加部さん、一時期のメンバーだった
柳ジョージさん、良き仲間だったジョー山中さん。
いまも健在なのはエディ潘さんと、後に
ゴダイゴのメンバーにもなるミッキー吉野さん。
この日の催しはエディさんとミッキーさんによるライブとトーク。
まずは中華街で早い夕食。
春節で振替休日とあって、人をかき分けなければ
前に進めないないほどの混雑。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/83/67c4a987a00fa3e85fb2372cf238ea8e.jpg)
で、関内ホールには開場の30分も前に
到着したというのに、屋外には長~い入場待ちの
行列ができていてびっくり!
すべて自由席だから、そこに並ばなければならない。
列はその後もどんどん長くなるのだが、
なぜか開場もどんどん遅れ、6時に入れるはずが
結局7時に。
聞いたところによると、その前の時間に
開催されていた人気落語家の回が「押した」のだとか。
私たちの行列は圧倒的にシニア層が多かったが、
みんな文句も言わず、一時間以上も屋外の立ちっぱなしで
待っていたのだ。暖かい日で良かった。
しかしカップスの二人しか出ないというのに、
この人気は凄い。これはもう東京などにはない
「横浜愛」とでもいうべきものだろう。
関内大ホールは満席!
久しぶりに顔を見る知人友人も多い。
エディさん、ミッキーさん、それに高橋マコトさん
というギタリストを加え、待ちに待ったステージが開幕。
エディさんは何度か入院された身なので心配していたのだが、
まったくの杞憂だった。
二時間余りのライブで、トークも歌も八割がた受け持ち、
声は、いまが絶好調なのでは、と思えるほど伸びやか。
持ち前の高音が冴えわたる。
さりげなく補佐するミッキーさんのキーボードがまたいい。
中盤には大物ゲスト、俳優の藤竜也さんが登場。
80歳前半だそうだが、最近も映画の主役をつとめ、
ジーンズが似合う大スター。
「横浜ホンキー・トンク・ブルース」は
作詞が藤竜也、作曲がエディさん。
お二人はもちろんのこと、いまは亡き
原田芳雄、松田優作といった人たちも歌っている。
その歌が誕生した時のエピソードなどを
二人のトークで楽しく聞かせていただいた。
ゴールデンカップスの音楽ドキュメンタリー映画
「ワンモアタイム」は2004年の制作だが
その際、映画の制作会社がカップスを再結成させ
映像をいろいろと撮っている。
それの一部であろう映像もスクリーンに映し出された。
懐かしく見入っていたのだが、あるシーンで
飛び上がりそうになった。
え? ライブハウスの一画で体を揺らしてる女性、
あれ、もしかして、ひょっとして私?
おかっぱの髪、細身のワンピース。
ウエストの細さが服を通してわかる。
いまや、丸いおなかのどこがウエストなのかも
わからなくなったが、確かに50代はこうだったのだ。
「天使はブルースを歌う」を書いた時、
もっともお世話になったのがミュージシャンの
中村裕介さんだったが、この日、奥様の馬晶さん
と一緒に来てらして、まさに50代だった頃の
懐かしい写真をいただいたばかり。
中村裕介さんと。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/af/0097b637787b56f447babf50171a35cc.jpg)
ちょっと髪型を変えた頃。
裕介さんとバイク乗り集団ケンタウロスの
ボスだった故飯田繁男さんと。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/4d/4d0311f69686c77b8ce753f1b9652720.jpg)
年月は容赦なく過ぎていくが、豊かな「過去」と
また別の世界で充実した思い出を創れそうな「現在」が
あることに、あらためて感謝した一夜であった。