冬桃ブログ

罌粟(けし)の記憶

 今年も、ナガミヒナゲシの季節になった。
 こんな街中でも、路傍のそこここで見かける。
 


 五月のイタリアを思い出す。
 町から町へと車で移動する道の両脇を
この花がどこまでも彩っていた。
 オレンジの蜃気楼の中を漂っているような
不思議な気分になったものだ。

 もちろん、与謝野晶子の歌が脳裏をよぎった。

 ああ皐月(さつき) 仏蘭西(ふらんす)の野は火の色す
 きみも雛罌粟(コクリコ) われも雛罌粟

 イタリアとフランスの違いはあれど、
同じような風景だったのだろう。

 で、いつも思うのだが、ケシという美しい花に
日本人はなぜ、もっとそれらしい漢字を与えなかったのだろう。
 「芥子」「雛罌粟」「罌粟」という字があてはめられているが
「芥子」だと「からし」とも読めてしまう。。
 「からし」は「辛子」だけにしておいて欲しかった。
 なんでケシとカラシが同じ字なのか、謎だ。
 植物としても、科が違うのに。

 一方の罌粟だって、正体不明のややこしい字だ。
 読めるけど、書けと言われたら自信がない。

 仕方なくカタカナで「ケシ」と書くことが多いのだが
なんだかねえ、もったいないでしょ、あれだけの花に。
 ちょっと調べたら、ケシは桃山時代から江戸時代にかけて
中国から日本に入ってきたそうだ。
 平安時代あたりにあったらねえ、さぞかし妖美な字を
あてはめてもらえたのではないだろうか。
 藤や夕顔と並んで、光源氏の相手の一人に
名前が使われていたと思う。
 華やかではかなく、とびきり美しいのに
なぜか不幸を招く女人に。

 私が3歳から8歳までを過ごした家の脇には、ケシ畑があった。
 もちろんアヘンを採っていたわけではないが
赤やオレンジの大きな花の咲くケシで、群れ咲く様は
この世のものとも思われないほど幻想的だった。

 私は祖父母と一緒に、この家で子供時代の五年間を過ごした。
 振り返ってみると、あれが私の生涯で、一番幸せな時期だった。
 山も川も野もあった。自分の周りでなにが起きているか
どんな厳しい未来が待ち構えているか、何も知らず
ただただ、豊かな自然の中を飛び回っていた。
 ケシの花を見ると切なくなるのは、あの短い、幸せな時期、
決して戻ることのない時間を思い出さずにはいられないからだろう。

 祖母の小さな家庭菜園を手伝うのが大好きだった。
 いま、私にあるのはプランターのジャガイモと茗荷だけだが
葉が出てきたのが嬉しくて、一日に何度も観ずにはいられない。
 ああ、言ってもしょうがいないけど、あの家に戻って
あの世から祖母と犬と猫を呼び戻し、いまいる無愛想猫も一緒に
ひっそりと暮らしたい。
 小さな菜園を持ち、庭いっぱいにケシを植えて……。

 ジャガイモ


 茗荷


 メダカは元気だが、やっぱり蓮は出てこない……。



 
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