いつもパソコン関連でお世話になっているO氏に
お願いして付き添っていただき、手続きに。
古いスマホと身分証明になるもの、クレジットカード
だけ持っていけばよい、と聞いていたので簡単にすむと思っていたが、
思いがけず、なんちゃらのパスワードが必要です、と言われた。
それがどうしたらわかるのか見当もつかず、私は大混乱した。
でもなんとか、あちらがプロだったので手続きを済ませ、
使いこなせるかどうかもわからない新しいスマホを持って帰宅。
そこからが、またたいへんだった。
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いや、大変だったのは私ではなく、新しいスマホの使い方、
テレビでアマゾンプライムやネットフリックスを
観るための機械取り付け、最近、パソコンで起きた
トラブル複数の解決を「これまとめてお願いします」
と押し付けられたO氏である。
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親戚同然に付き合ってくれてることに甘え、
パソコン関連から引っ越しの手伝いまで、
彼にはどれだけお世話になっていることか。
もちろん謝礼なし。
いつか出世払いで、などという空約束は
私の年齢で口にできるわけがない。
午後四時に落ち合って、深夜の零時近くまで
夕飯をとる間もあらばこそ、O氏はみっちり働かされ、
雨の中、車で都筑区の自宅へ帰って行った。
彼の娘たちの名付け親だというだけで、
ほんとうに長い年月、やっかいな婆さんに
なり果てた私を見捨てず、いまだに面倒を
見続けてくれている。
で、この日、種々の仕事をすべてやってくれたのだが
その間、「これのパスワードは?」「アカウントは?」という言葉が
何度となく彼の口から出た。
そのたびに私は絶望感にかられ、「え? また?」と溜息をつく。
パソコンを使っていると、こちらが願ってもいないのに、
パスワードだのアカウントだのを山のように持たされることになる。
ちょっとした設定や買い物にも、パスワード、アカウント、ID,
秘密の質問……もはや暗号地獄だ。
もちろん私は、逐一メモしているのだが、
いざとなると、あるはずのそれがどこにもなかったり、
「間違っています」と撥ねられたりする。
その頻度が、なぜか私の場合非常に高い。
ずさんな性格のせいなのだろうが、
「なんでよ、どこにそんなものあるのよ!」と
地団太踏み、疲労困憊する。
クーラーを入れてあるにも関わらず、汗だくになって
メモの一覧を見直しながら。「ええかげんにせえよ!」と
叫びそうになった。
叫びたいのはO氏のほうだというのに。
自分でなにひとつできないのなら、スマホもパソコンも
使わなきゃいいでしょ、と言われるだろうが、いまの
社会に生きてる限りそうはいかない。
20歳そこそこの頃から、コピーライター、児童読み物、
シナリオと、細々とではあるが物書きをしてきた。
小説を書くようになったのは三十代後半になってからだが
その長い原稿も、もちろん手書きだった。
編集者には手渡し。
ほどなくワープロというものが登場した。
字が下手で漢字にも弱い私は大いに喜び、
すぐさま導入した。
これはフリーズが多く、せっかく書いたものが
瞬時に消える、という欠陥もあったが、ともかく
画面上で直せるから紙の無駄もない。
嬉しかったのはここまでだった、と後で気づくことになったが…。
それからファックスが出た。手渡しだった原稿やゲラを
ファックスで送受信するようになった。
……と思う間もなくワープロはパソコンに代わった。
じかに仕事相手と会うより、メールでやりとりするほうが多くなった。
原稿もメール添付になり、ファックスの出番は極端に少なくなった。
そしてスマホの登場。
私が望んだのはワープロまで。
あとは社会が急速に変化し、私もそれについていくため、
仕組みもわからないまま、使わざるを得なくなったのだ。
私は昭和22年の生まれ。京都府宮津市に14歳までいた。
天橋立があり、観光地としても有名なところで
私が住んでいたところも田舎ではなく町場だ。
それでも幼いころの記憶は、風呂を沸かすのも
御飯やおかずを煮炊きするのも竈(かまど)。
薪を割って火を起こす。水道はあったが井戸もあった。
冷暖房なんかなく、夏はすだれと団扇、蚊帳、ぶっかき氷。
冬は着膨れて、炭火の炬燵に潜り込む。
テレビも電話も冷蔵庫も洗濯機もない。
停電、雨漏りはしょっちゅう。
戦後まもなくだったから、これが普通の庶民の暮らしだった。
それから急速にいろんなものが現れ、信じられないほど便利になった。
けど、見渡せば広くもない家の中は機械だらけ。
コードが這いまくっている。
どれかが使えないとなるとたちまちパニック。
原発反対を唱えながら、電力使いまくりという矛盾。
いまの若い人が聞いたら「なにそれ、原始生活?!」と
あきれるだろうが、私は、パスワードもアカウントもない
「あの頃」に、ときおりしみじみと帰りたくなる。
どこか山の中にでも行けば可能だろうが
哀しいかな体力がついていかない。
怯えながら生きてる野良猫みたい……と
自分のことを思う、今日この頃である。
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