生ゴミの堆肥作りをはじめて9年になります。赤旗日曜版2004年4月25号を読んだのがきっかけでした。最初だけ、買った腐葉土と米糠を醗酵籠に入れ、よく攪拌して2~3日醗酵させ糠床をつくります。我が家は一日、1kg程度の生ゴミが発生します。1週間で6~7キログラム(義母、妻と私の3人暮らし)くらいになります。よく水切りしておいてからこの1週間分の生ゴミを、糠床とさらに糠を追加してよく混あわせます。醗酵剤の米糠は街のあちこちに精米機がありますのでそこからいただいています。その後は1週間ごとに生ゴミと糠を追加して発酵を繰り返します。醗酵の籠が一杯になればコンポストに半分程度移します。残りは糠床として引き続き使います。後はこの単純な作業の繰り返しです。コンポストでは2年間寝かせ熟成させて畑で使います。ですからわたしの場合はコンポストは二つ用意しています。一年分の処理量では一個で十分です。冬場は醗酵力が弱いことと雪があるのでやりません。4月から11月までの7ヶ月程度です。それでも年間、150kg~200kgくらいの生ゴミを堆肥にしています。参考までに当時の新聞記事と我が家の生ゴミ堆肥作りセットの写真をご覧ください。この堆肥で今年もおいしいゴーヤやスイカ、野菜ができました。
今年80歳になる牛島のNさん、60年続けてきた建具屋を後継者がいないこと、仕事も大幅に減ったということで今年4月、店じまいしました。15歳で弟子に入り、20歳で独立、80歳まで頑張ってきました。建具技術をだれかが継いでくれればと続けてきたそうですが、その願いは届きませんでした。牛島だけで12軒あった建具屋さん、Nさんが店じまいして、いまでは残っているのはたった1軒だそうです。確かに今の住宅はプラモデルを作るように、建具も工場からの完成品をはめ込んでいく。大量生産、大量消費の規格化した商品があふれるこの社会、なんとも味気なく寂しくなりました。この牛島(ひらき)地域は昔あの中川利三郎共産党代議士のお母さんがリヤカーをひいて、青物売りをしていたところ。ご一緒してくれたSさんのこの話に、「ああ、ここだったんだ!」まぶたにお母さんの姿が浮かぶようでした。またまた、胸がジーンとなり、なんともいたたまれない気持ちになりました。
休耕田にサツマイモ、枝豆、かぼちゃ、とうもろこし、スイカ、ジャガイモなどをつくるようになって三年ほどになる。数年前からときどき周りの稲をたべに熊が出るようになった。協和にある我が家の休耕田に植えた桃、桃栗三年の通り、今年たくさんの桃をつけた。サーそろそろと思っていたらご近所さんから電話が入った。熊が全部食べてしまったと。山友達からの情報では、今年は橅(ブナ)の実が皆無だそうだ。食べるものなく、頻繁に里におりてきている可能性がある。危険だという事で熊捕獲用の檻がすえつけられた。一度入ったそうだが、柵を壊して逃げた。熊だって必死だ。このままでは殺されると思ってありったけの力で檻の柵を引っ張って逃げ出したようだ。再び檻がすえつけられた。出てくるなよ。腹が減っても山の中でじっとしておれ。スイカ、枝豆などご近所さんと我が家でみんなたべてしまった。我が家の畑にはもう何もないよ~だ。
恒例の水曜日白衣の朝宣は、12日南通大通り中通6丁目交差点で行い、リレートークで訴えました。そして今日14日は山形、福島、宮城、青森、岩手日本医労連東北地方協議会の佐竹ファンクラブ、佐竹を応援する医療の会、そして共産党北部センターや中央部センターなどから28名の応援をいただき、横山金足添川交差点で白衣の朝宣伝をおこないました。山形のOさん「こんどの総選挙は増税ノーの国民投票だ」、福島Tさん「原発、震災で県外に6万2千人、県内に6万が非難を余儀なくされている。生活の見通が全くみえない。今こそ政治の出番だ。」、宮城Mさん「大震災被災者では秋田からのたくさんの支援ありがとう。震災復興はこれから、今こそ人に優しい政治にかえなければならない」。通勤の車からもクラクションや手を振っていただくなどたくさん応援をいただきました。わたしも、いつにないバックからたくさん応援があったせいでしょう。ついつい演説にも力が入りました。