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曽野綾子氏の「トランプ大統領の就任式」について思うこと

2017年01月25日 | 日記

以下は毎日新聞の曽野綾子氏のコラム「透明な歳月の光」の本日のものである。
なぜ、毎日新聞かというと、電子版が読みやすきからである。
毎朝郵便受けに取りに行く必要はない。朝6時ころにはパソコンでもアイフォンでも
読めるからである。

曽野氏はどちらかというと現実主義者だと思う。歯に衣着せぬ発言が威勢がいい。

 

実は私もCNNの就任式のライブを見た。同じ理由である。日本のマスコミは通り一遍で
間違っていることが多い。
自分で直に確認する必要があった。
ただCNNはトランプもいうように完全にヒラリーに偏向していた。見苦しいほどはっきりしていた。
ので、見ないようにしていたのであるが、日本でアメリカの実況を見るとなると
やはりCNNしかない(ケーブルテレビで見ている)。

ヒラリーについて「誰も話しかけていない時にも、啄木鳥が気をつつくように、
自分一人で頷き続けている」
という箇所については、その通りではあるが,ずいぶん辛らつだと思った。
癖かもしれないし(人の話など聞かないのがヒラリーだが聞いているふりをしているうちに
人が話していないときにも聞いているかのように首をふる癖になった)、病気のせいかもしれない。
そんなことはどうでもいい。

要はトランプンの「演説の中の意外なまっとうさ」 である。理念や哲学や格調がなく、
就任スピーチではなく、選挙活動の延長だと批判されていた。
しかし、曽野氏も指摘するようにトランプは「現実主義、実利主義」なのである。
それを批判するのはおかしいと思う。理想的なことを言うだけで生の人間の生の生活、苦しみに
何もしなかった政治の反動だからである。
ポープもいうように「まずはトランプがなにをするかを見ようではないか 」ということであろう。
マスコミの対応は非常に残念である。
アンチトランプ、プロヒラリーのいわゆるハリウッドエリートなどの
ヒステリックな対応にもである。

曽野さんが見逃したという可愛いお嬢さんの国歌を聞きました。迫力がなかった。
盲目のイタリアのテノール歌手のアンドレア・ボチェッリが歌うというニュースがあったが、
殺すとの脅迫を受けてやむなく辞退したというが、私は聞きたかった。
素晴らしいものになったと思う。
民主主義の国でこういう脅しがまかり通ることに驚いてしまう。

曽野さんの頭にある「理想的人間である自分を売り込む」人が誰なのか知りたいものである。

そしてふと思った。
オマバのシカゴでの大統領としての最後のスピーチの締めくくり。それは
「We can. We did. 」だった。

ここで欠けているのは「何を」である。だから反対しようがない。
理想を売るだけで、具体的な現実行動がないのである。
実際は、同床異夢である。

トランプは「何を」を具体的にした。ということで、賛否別れることになっただけである。

人間はまずは生きることである。
何のためには、その次である。

みんなに叩かれながら戦い続けるトランプには「現実を見る勇気がある」と思う。

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