ボエティウスによって提示された三つの音楽の種類。
中でも中でも三番目の「Musica instrumentalis」は
私達が現在音楽芸術としているものです。
彼らにとって、道具の音楽は学問としては位置の低いものだったのかもしれません。
音楽は芸術ではなく、あくまで知識の対象であり
音楽とは理性と感覚によって音の響きの多用な高低関係を調べる学科でした。
ゆえに、彼らにとって真の音楽家とは
歌手でもなければ、音楽という営みの本質を理解せず
本能的に歌を作りあげるだけのもでもなく
哲学者、批評家であって
「音楽のための、音楽に即した理性的思索に従って判断する能力を有するもの」でした。
彼らの音楽観は一見・・・現代の音楽観とあまりにも隔たりがあるように見えます。
音楽は何のために存在するのか。
そして、私達は何故演奏するのか。
その答えの一つがここにはあるような気がします。
演奏するとき、音楽に携わるとき・・・心は神聖でなければなりません。
中でも中でも三番目の「Musica instrumentalis」は
私達が現在音楽芸術としているものです。
彼らにとって、道具の音楽は学問としては位置の低いものだったのかもしれません。
音楽は芸術ではなく、あくまで知識の対象であり
音楽とは理性と感覚によって音の響きの多用な高低関係を調べる学科でした。
ゆえに、彼らにとって真の音楽家とは
歌手でもなければ、音楽という営みの本質を理解せず
本能的に歌を作りあげるだけのもでもなく
哲学者、批評家であって
「音楽のための、音楽に即した理性的思索に従って判断する能力を有するもの」でした。
彼らの音楽観は一見・・・現代の音楽観とあまりにも隔たりがあるように見えます。
音楽は何のために存在するのか。
そして、私達は何故演奏するのか。
その答えの一つがここにはあるような気がします。
演奏するとき、音楽に携わるとき・・・心は神聖でなければなりません。