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早乙女真琴は激怒していた。
秋の夕陽の流れこむ白い病室のベッドで、重く白く固められた不自由な右脚を嘆いて。
不遇の事故に巻き込まれて、栄光の道を塞がれてしまったことに。
やり場のない怒りを、いちばん傍にいてほしいお見舞いの親友にぶつけてしまったことに。
寮を破壊され、その親友と親しく過ごしていた生活を奪われてしまったことに。
その親友がいつのまにかあの宮様と親しい間柄で、その豪邸に居候していることに。
お見舞いにきたその彼女ををなんども門前払いにしていたことに。
自分の才能を惜しんだ先輩や、宮様とのお近づきを妬んだクラスメイトによって姫子がいわれなき中傷に晒されていることに。その渦中の姫子を、救えなかった弱い自分に。
早乙女真琴は激怒していた。
彼女は復活の走者だった。姫子に対する悪意には、ひと一倍敏感だった。
かならず自分の足で彼女を救ってみせる。そう決意していた。
真琴は千歌音より先に姫子に親しい友人だった。「生まれてきてごめんなさい」と世界に向かって身を竦めていきている来栖川姫子の、女の子としては最初の理解者だったかもしれない。
第九話。
最愛の拠り所をうしなった姫子は、そのひとの影をもとめて、過ぎた幸福の時間をなつかしんで、下校する生徒の流れにさからって、陽の落ちる前の薔薇園へと急ぎます。その前に立ちはだかった巨大な悪意の足。イズミたち宮様の親衛隊員たちです。憎悪の囲みを破って姫子を連れ出し、追いすがる非難の声も一蹴したのは、片杖をついた痛ましき俊足のランナーでした。
一話を思いだしてください。
寮を襲ったロボットから逃げ惑う生徒の流れを無視して、姫子はたいせつな秘密の贈り物を取りに戻ってしまう。避難を促した真琴とつないだ手がはなされ、落盤によって真琴は足を負傷します。そして、襲われる姫子。巨大な掌からすべりおちる姫子をうけとめたのは、姫宮千歌音の華麗な両腕。
オロチ襲撃の日を境に、姫子と真琴の距離は離れ、太陽のこころは月の少女に近くなります。入院している間も、真琴はおそらく彼女たちの親密ぶりを、口さがない噂によって知っていたのではないでしょうか。いつも間近にあった姫子の笑顔も温もりも、遠ざかってしまった。そして、なにより思うがままにならぬ身体と、退屈な入院生活。走ることがなにより好きな彼女にはとても辛い日々だったでしょう。
しかし、早乙女真琴はそこで挫ける女の子ではなかった。
不自由な身体に鞭打って、辛い苦しいリハビリを続けていました。そして、やっと仮退院。松葉杖に頼りながらも外出できた彼女が、いちばんに足を運んだのは、姫子のいる場所。
毎日毎日、歩行訓練を重ねていた病院の廊下の窓から、見ていた山上の学園。
真琴はそこをめざしてからだを鍛えていたのです。早乙女真琴にとって、来栖川姫子は夢の挫折点であり、しかし友情のゴールでもあった。
日頃は二段、三段飛ばしで勢いよく駆け上がっていけた、傾斜の厳しい階段は、いまの真琴にとっては、おそろしい地獄の関門でした。きっと、すさまじく長く険しい道のりに映ったことでしょう。
しかし、姫子に会うために、会ってもういちど話をするために、病院でのしうちを詫びるために、真琴は必死な思いでそれを昇ったのでしょう。
そしてこの九話で、真琴は一話のリヴェンジを果たしたといえるのです。真琴は、自分の腕で姫子を護れなかった弱さと、自分では敵わない存在びとに姫子を奪われてしまった(あくまで恋愛というよりは友情の範囲だと私は思います)に、唇をかみしめていたでしょう。武力を誇り、なんのためらいもなく姫子に好きと言える性別の大神ソウマに対してコンプレックスを抱いていた千歌音のように。
第九話の英雄は、まちがいなく早乙女真琴です。
彼女は姫宮千歌音のように命を賭して犠牲になったわけでもない。大神ソウマのようにオロチの呪いをかかえ、実兄にさえも抗って、地球を救ったわけでもない。ただ運動神経のすぐれた一般的な女の子。そんないち市民の彼女が、世界をすくうための儀式にのぞむ女の子を勇気づけた。何気ないことだけれど、すごく感動できます。
千歌音の純粋な想いにくらべたら、一度でも姫子との友情を疑った真琴は批難されるべきかもしれません。でも、私はあまりにも美化されすぎている姫宮千歌音に比べれば、すごくリアリティのある行為だと感じられるのです。
本当の英雄とは、どんな武器をももたず、どんな拳をも用いずに、ひとのこころを動かすことができる者ではないでしょうか。だとしたら、早乙女真琴はこの作品において偉大なる凡人にして最愛の友人たりえるのでしょう。
【その2につづく】