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陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

オトナの宿題(二)

2014-09-24 | 教育・資格・学問・子ども
私が他人の宿題を代行した経験はいくつかあります。
さきほど、申し上げたように、私はポスター制作が大好きでした。どれくらい好きかといいますと、自分でレタリングの本を買ってきて、毎日飽くことなくゴシック体だの明朝体だのがいかに美しく描けるかに血道をあげてしまうくらい。ですので、この私の性癖を知りつくしてるであろう、身内の一人がポスター制作を手伝ってほしい、と頼んできたのです。報酬はたしか50円のスナック菓子でした。(我ながら情けない…)

「〇〇ちゃん、宿題は自分でしなきゃ駄目なんだよ」と、いまならお子樣連中にもっともらしくお説教できる私ですが、当時はなにせ自分の好きなことがやらせてもらえるわけですから大歓喜でした。アホですね。歴史文化財保護ポスターだったかと記憶するのですが、私が下書きから彩色までほとんど手がけたそれは、入選して公民館で陳列されていました。しかし、それから先がおもしろい。その依頼主はその後、自分で自分の絵の腕前を磨き、高校生では大臣賞など華々しい受賞歴を重ねることになります。いっぽう、私はさほど絵に思い入れがなかったので、その後はさっぱりです。そもそも絵で仕事をしようとは思わなかった。

さて、もうひとつのプライベート宿題代行業。
それは大人になってから。私は当時まだ学生で論文を執筆していた身だったのですが、とある社会人の方から自分の身代わりにレポートを書いてくれないか、と依頼されたのです。ふだんはそのような書類を作成する職務ではないのだが、勤め先から急に課題のビジネス書を渡されてレポートを作成を言い渡されてしまった、どう書いてよいかわからない、というものでした。さっそく、私はその数冊の本を読み、さらには、その方のキャリアなども考慮して下書きを作成。本人が手書きにして清書したものを提出したそうですが、社内で評判が良かったそうです。報酬は1万円ていど。ちなみに上司から突っ込まれたときのために、ご本人にその本を通読して中身を頭に入れておいた方がいい、と申し添えました。でも、この場合は、本来ならば本人のためにならないとお断りすべきだったのかもしれませんよね。

宿題代行サービスを行われる方には、おそらく、子どもの宿題をやるのが楽しくて楽しくて仕方がなかった方なのでしょう。なぜって、子どもの宿題には営業企画書のようなノルマもありませんし、正解がわかりやすいし、ちょっと背伸びしたものならば褒めてもらえるのだから。30歳の大人が30歳ならば書くであろうことを書くのは当たり前です。でも、それを10歳の子どもの所業にすれば、とたんに価値が出る。大人は子どもの宿題という、ほんらいならば幼児退行的な仕事に携わって稼げるのですから万々歳です。かくして、精神性の近い大人と子どもの利害が一致したところに、このサービスは成立しております。

宿題代行サービスというほどではありませんが、「ほんらいならば自分がやらねばないことを他者の力を借りる」というサービスは、他にもいくつかあります。たとえば翻訳代行業。作家の海外本や製造品の技術翻訳ならばまだしも、本来ならば自身が確固たる語学力を鍛えて執筆してしかるべき学術論文でさえ、こうしたサービスに頼っていたりする。ただのネイティブチェックに留まらない範囲で翻訳されているであろうケースもあるのではと推察します。当然ながら翻訳者の名前などは論文の冒頭に掲げるわけがないのですから、質が悪いものです。俗にいうゴーストライターもそうですよね、創作者のクレジットを損なわせる行為です。匿名ライターの原稿料もそうです。

いうなれば、親が子どものすべき宿題を代行業者に押しつけているのは、この社会にいまやあまりに蔓延しきっているアウトソーシングそのものの構図です。また、彼ら彼女ら親は、学校の誰でも平均的にできる宿題はおざなりにして、難関校受験のための学習塾のタスクを最優先にしているわけですから、子どもたちに取り組むべき課題を絞って他は誰かに回すべき、というビジネスの「選択と集中」を学ばせているのかもしれませんね。おそらく、このようなことができる親は、それなりの役職者や経営者層であり、要するにひとを使って仕事をしている管理職なのでしょう。

でもね。でも、ですよ。
子どもに負担になることはアウトソーシングしてもいいんだよ、と教えることの危険性について、彼ら彼女ら保護者はあまりに無知ではないでしょうか。いまの大人たちが会社でひとにものを頼める立場になる前は、頼まれていた側でいかに与えられた職務をスムーズにこなすかを磨く基礎力を若い頃に身に着けたはずです。自分がどれくらい抱えて、どれくらいのパワーバランスでそれを仕上げたか、そういう管理能力を確認していくことで実績を積み上げていったはず。それがないまま、ただの年功序列で管理職に就いてしまった上司の元で働く部下は不幸です。なんでもかんでも仕事量を下へ下へどんどん押しつけてセーブできないのですから。

そして、子どもの頃に親にお金を払ってもらって自分がすべき課題を誰かに肩代わりしてもらった子どもたちは、そんな無茶ぶりな大人に育ってしまう可能性があります。なぜならば、学校の宿題ができないくらいの、多量の学習塾やらお稽古ごとやらで子どもに過大な期待と負担を押しつけていることそのもので、親は自分自身が宿題をきっちりこなせなかったという事実を証明してしまっているからです。実際に、子どもに過剰なほどの教育投資をする親というものは、幼児教育に狂信的に過信していて、その年齢ではあまりに負担であるような無理難題を子どもに解かせようとしています。これでは、小学校、中学校で優等生だった子どもは高校生ぐらいなると反発し、勉強嫌いになってしまいます。中学受験で中高一貫校に進学したら、内部で落ちこぼれてしまうのもそのせい。その結果、その後の人生のキャリア形成に重要視される「十八歳のときの学歴」(最初に入った学校歴であって、学歴ロンダリングした末の最終学歴ではないことに注意されたい)でつまづいてしまう可能性が高いのです。


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