陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

オトナの宿題(三)

2014-09-25 | 教育・資格・学問・子ども
なぜ親が学校の宿題を軽視するかといえば、教師への尊厳を失っているからであり、さらには授業料の無料化(公立だけですが)のせいで、高いお金を払っているのだからその分を取り戻そうと、受験塾の課題の方に熱心になってしまうからなのです。人間というものは、悲しいことに、お金をかけないことには必死になりませんし、横暴になります。でも費用対効果から考えたらおかしいのです。だってお金と時間のかかる教育で、頭が良くなるのなんてあたりまえなんですから。当然の投資の元が取れているだけです。

私は高校時代、予備校にも塾にも通わなかったので、学校で出していただいた宿題はありがたいと思って、すべて提出していました。担任にすべてやってきたのはあなたぐらいのものだ、と笑われたぐらいです。他の子たちはとにかく学校外で出される宿題に忙しかった。でも、思うんですが、テストのお勉強のほかになにか楽しくワクワク学べるようなことを持っているならば、学校の授業と家庭学習だけでしっかり勉強する時間を確保すればよかったのです。でも、いまの学校教育はかつてほど授業の質が安定していません。思わぬ事故や災害、病気の流行で授業が進まなかったりもします。クラス崩壊もありますし、子どもたちを誘惑するネットやケータイ依存ぎみの人間関係もあります。

「宿題は自分でするもんだろ、なんて言うのは、机の上のお勉強だけができる輩の言い分だろう」という声も聞かれます。そういう人は学校で与えられていた、あの勉強を、ただのテキストを開いて文字を書き込むだけの作業だと馬鹿にしているのです。それも一理ありえます。でも、学校の勉強や試験でなるべく早く答えを見つけるという、一見不毛に思えることの作業が、社会に出ていく上でとても大切であること(もちろん大切ではあるが、それだけが一番ではない)を理解されていません。情報を整理して明晰に話せることや、自分で責任を引き受けてわざわざ面倒なことをこなす忍耐力、課題を解決する主体性、手早く判断し決断する力、などを得ることが宿題をこなすことで求められる能力です。

親は子どもの宿題をする機会を奪うことで、みずからが成長して幸せになるために必要なスキルをわざわざ殺いでいるにすぎません。親がすべきなのは、塾と学校の宿題が両方できるように子どもに時間管理を学ばせるか、すべてが無理なのであれば、どちらか一方の負担を和らげるように子どもといっしょに交渉すること、ではないでしょうか。たいへんな宿題を抱えた子どもといっしょになって、どうすれば解決できるか考え、悩むことであって、学校への体裁をつくろうために、お金を出して子どもの労力を取っ払ってやることではないのです。

私はお金さえ払えば、なんでもサービスを受けられる、というこの世の中を否定したいのではありません。実際、私たちの24時間には限りがあって、自分ができないことの恩恵を、誰かが働くことによって受け取っています。水道だって電気だって、誰かが働いてくれた労働のおかげであり、そのために私たちは料金を払っています。私たちは労働した所得を誰かに回すことで、誰かの労働力を得ています。そうして社会は成り立っていますよね。

でも、子どもたちは? 
子どもたちは自分の代わりにやってくれた業者に、自分たち自身が働いて得たところの代価を渡したわけではありません。子どもたちは自分の労力が取り除かれたことを、親が働いて得た賃金から払ったことなど、知る由もありません。ただ、誰かが代わりに面倒なことをやってくれたんだな、ラッキー、という無責任な快感だけが残るにすぎません。おそらく、このようなご家庭では、お子さんに家事を手伝わせたりしないので、大きくなって独り暮らししても部屋が汚いままか、いつまでも親に家事をさせているか、結婚しても伴侶に任せっきりになるか、でしょう。だって、学校の成績さえ良ければ、いい学校やいい勤め先に行くためのだけの勉強さえしてれば、あとは何も躾けない、教えない子どもに育てるというのはそういうことなんですから。自分が育ったのは他の人の労働のおかげなんだと理解している子どもは、大人になっても、その労働を返そうとしますし、ちゃんと年金も税金も払うのが至極当然と思う大人になります。

「大人だって、仕事をアウトソーシングしてるでしょ。僕たちがやって何が悪いの」という口答えをする子どもに育ててしまうことは恐ろしいことです。面倒なこと、自分が好きじゃないことは自分がしなくてもよい、誰かに丸投げしてもよい、と思っているわけです。障壁をとりのぞいてくれる親が生きているあいだはいい。でも保護してくれる大人がいないまま、自分だけが大人になったらどうでしょう。世の中が悪いと他責的になるだけの、いつまでもコドモみたいなオトナもどきができあがるだけです。

夏休みの宿題代行業者をめぐる是非が行き着くところは、子どもの宿題を論じる前に、まず大人たちの宿題について論じ合わねばならないということです。すなわち、子どもにしかるべき生きる手だてとルールを教える、そのための良い見本になっていくことが、オトナたちの課題なんですよね。

よく言われることですが、「子どもは大人の言うことはしない。大人のすることをやる」ですね。子どもを学ばせるには、まず自分が学ばないといけないのです。そして、この子どもにさせたくない悪い行いはひたすら親だけの責任にされますが、そもそも社会全体の大人が責任を持ち合わないといけないものです。


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