祥子さまのセーラーを湿らせてはいけない。
少し身を離して涙に濡れた面を上げようとしたら、祥子さまは「いいのよ」と優しい微笑みをくださって、さらに強く抱きしめてくださった。
白くうつくしい手指が、祐巳の涙を拭ってくれる。
霞がかった視界のなかで映るお姿は幻想的にみえて、つかの間に消えてしまうように思われて。祐巳は祥子さまの腕にいっそう縋りついた。
祥子さまはそんな祐巳の収まりきらない感情を受け止めて、しばらく抱き合ったままでいてくださった。
「私は探していたのかもしれない、自分の心の鍵を預けられる人物を。祐巳がそうだった…マリア様の前でタイを直したとき、一瞬だけ貴女の首に鍵型のロザリオが見えたのよ」
ただ、慰めるだけじゃない。
いま祥子さまの胸で甘えているのは祐巳なのに、その心を頼ったのは自分の方だと告白される。強く格好良いお姉さまにそう言われると、途端に祐巳は勇気づけられるのだ。どうしていつもこのお方は私の胸にときめきを与えてくださるのだろう。
涙がすっかり乾いた顔で、祐巳は少し鼻声気味に答える。
「…それは、マリア様のお見せになった幻だったのでしょうか?」
もちろんお姉さまの眼の錯覚なのだと疑りたかったわけではない。
祥子さまに一目で見初められるほど、自分が大それた資格をもっているなんて信じがたかった。謙遜とちょっとファンタジックなはぐらかしに、いつもの祐巳らしい明るさが戻っている。
ひときわ凛とした祥子さまのお声が、落ち着きはじめた心に響くように届く。
「さあ、それは分からない。でも、たとえそれがマリア様のご加護でなかったとしても…つまり姉妹としての形でなくとも、私は祐巳と絶対に出会えていたと信じたいの」
人の縁(えにし)は不思議なもので。
良きにつけ悪きにつけ人生上に仕組まれているような運命的な出会いを感じることがある。あの日、祥子さまに呼び止められなかったならば、祐巳の高校時代は何の変哲もなく過ぎたであろう。祥子さまとお逢いしなかったならば、先代薔薇様方の知遇を得、由乃さんや志摩子さん達との友情を結ぶこともなかった。下級生に慕われることもありえなかっただろう。
そして祥子さま繋がりで、目下のところ祐巳の心を大きく占める存在といえば──松平瞳子ちゃんだ。
【目次】マリア様がみてる二次創作小説「ままならない貴女を開く鍵」