姫千歌妄想をしていたら、うっかり「精霊の恋人」と打ちそうになった管理人です。
べつにシリーズ化するつもりはないのですが、これまでのところ欠かさず観つづけていられるので感想をば。だって、「篤姫」観てないんだもん。
人物の名前や世界観を予習しておきたいがためにウィキペディアを覗いていたら、うっかり結末を知ってしまったのですが(堪え性がないコですね)。それでも、毎回まいかい次回を期待させるようないいところで終わるので、楽しみなんです。あいかわらず、クオリティも高いですし、休日の朝からCMなしで観れるところがいいですね。こんなときばかり、国営放送のありがたさを感じてしまう管理人であります。
第二話にて、チャグム皇子を連れて王宮を脱したバルサ姐さん。さっそくですが、刺客に狙われて、深手を負わされてしまいました。そこを救ったのが、通りがかった二宮金次郎もとい、幼なじみの薬草師タンダ兄さんです。彼は、用心棒稼業をして危ない渡世をしているバルサ姐さんのことが、たいそう心配なんです。しかし、このひと、どうみても外見が兵馬俑みたいな男です。とりあえず、バルサ姐さんが倒れたときはいつでも側に寄り添ってくれそうですが。いくらなんでも、兵馬俑オトコに偕老同穴されたくはないでしょう(どキッパリ)
このアニメは、女性が主人公です。百合テイストも魔法ファンタジーもない、正当派な冒険活劇ですが、そこはお約束どおり女ハーレム状態。イケメンパラダイスじゃございませんが、いろんなタイプの殿方が登場なさって、彼女のピンチを救ってくれるようです。
バルサに瀕死の重傷を負わせた刺客を追い払ったのは、バルサの父の友人の男でした。バルサにいのちを助けられたというみなしごの出っ歯の少年は、なにかと姐さんを慕っています。しかもフットワークの軽さからいえば、たぶん兵馬俑くんよりはつかえる男でしょう。この彼も、成長したらあのふざけた顎の輪郭が、きりっとひきしまってですね、『北斗の拳』にでてくるバットみたいに凛々しく育ってくれるのかも(そんなん、どうでもいいわ)
今日みた第五話でも、あらたな助っ人ご登場。兵馬俑くんの粗末なハウスに隠れ住んでいたバルサ姐さんズでしたが、チャグム皇子補完計画を遂行する皇帝の差し金で、山狩りがおこなわれてしまうことに。頭のきれるバルサ姐さんは、兵馬俑くんを使いとして、人身売買のやくざの親分と手を組むことに。しかも、講じた策とは、その人買いの牢にとらわれている人びとを解放するというものでした。いったい、どういうことなんでしょう?山狩りを命じられた村民は、囚われの家族が帰ってきた嬉しさに湧く→お上からの任務放棄をもくろんだものでしょうか。次回がたのしみです。
この親分ってのが独眼でいかにも切れ者そうです。きっと、眼帯のなかには知恵袋として目玉のオヤジを飼っているんでしょう(ありえない)手下どもも、絵に描いたようなならず者たちで、ほんと笑っちゃいます。で、兵馬俑くんは、この親分をバルサ姐さんのところへ連れてくるためにパシリにされたのが、気に入らない模様。
「バルサ、お前な、もっと俺を頼れよ!」なんて捨て台詞吐いてしまいます。
なんというベタな台詞でしょう!!
やはり、思考レヴェルが兵馬俑です。これだからカビの生えたような古文書しか読めなさそうな連中はこまります。
そりゃ、しょうがないでしょ、あーたは戦力として期待されてないんです。従軍医師なんですから、バルサ姐さんも、そこんとこ踏まえて前線に出さないようにしたんでしょ?
さて肝心のチャグム皇子。彼が父帝にいのちを狙われるわけは、彼のおなかのなかにありました。水の精霊に卵をうみつけられてしまったのです。その精霊は伝説では、建国者が退治した悪魔の化身であるために、帝の威信にかけて我が子を手にかけねばならないということでした。つまり、帝は兄宮かわいさにとか、我が子憎しではなく、涙ながらにチャグムを殺めねばならないのです。
第四話では刺客のひとりの偉丈夫が、生け捕りにせよとの命を無視して、皇子を直接手にかけようとします。彼は暗殺者になるまえにチャグム皇子から温情を拝していたことから、皇子が父に殺されるなんてしのびない。いっそ、自分こそがここで刃を突き立てて罪を背負えばいいと望んでいるのです。その下ろした殺意の一撃はからくも、バルサによって妨げられたのですが。
要するに殺す側にも、のっぴきならぬ事情があるということ。それはヒロインたるバルサとて同じ。彼女は幼なじみのタンダにも用心棒稼業から足を洗うように説得され、また、占い師のトロガイ(顔つきがだるまみたいなお婆さまですね(爆))にも、その皇子ひとり守るために、あと何人斬るのかと詰め寄られてしまいます。チャグムに寄生する妖精が孵化したら、国を滅ぼしかねない。そんな爆弾をまもるために闘っているんだぞと。そこはバルサ姐さん、たとえチャグムの護衛のために何人犠牲にしようと厭わないと、敢然と答えます。なかなか頼もしいお答え、連戦錬磨の強者だからこそ自信をもって語れるのでしょう。
このシーンを観たときに、思い出したのが最近話題になった某私大准教授の失言。光市の母子殺害事件の当時十八歳の被告に対しての死刑判決で、赤児のいのちは〇・五人とカウントしたと揶揄されたものでした。生まれたてのみどりごだろうと、長寿の高齢者だろうと、障害者だろうと、ひとりの人間に変わりはないわけで、要するに、この失言者の言葉には生産活動を営まない人間は一人前の人間とみなされないという前提があるのでしょうか?この女史個人への批判はネットで紛糾してますのでここでは控えます。
けっきょく、人にとっての命の重みはやはり違うのだということです。他人様の子どもと自分の子どもなら、どちらがかわいいか…それは明白です。
ところで、バルサはいまチャグムの命をいちばん大事に思っているわけで。しかし、それは彼がいずれ国を背負って立つ貴人であるからでもなく、払われた報奨金が大きいからでもなく。端的にいえば子を思う母妃の悲痛な思いにほだされてということになるのでしょうが。彼女自身自分のいのち自体を粗雑に扱っているふしがあり、だからこそ、この危険な仕事を請け負ったのでしょう。
このバルサの生き方と、腕っぷしのいい猛者に囲まれてたくましくなるチャグムの今後に注目ですね。
でも、こういう硬派なアニメは、ウケなさそうですよね。私もつっこみどころが乏しいので、レヴューの筆先も鈍るというものです。(歪曲しなくていいから)
べつにシリーズ化するつもりはないのですが、これまでのところ欠かさず観つづけていられるので感想をば。だって、「篤姫」観てないんだもん。
人物の名前や世界観を予習しておきたいがためにウィキペディアを覗いていたら、うっかり結末を知ってしまったのですが(堪え性がないコですね)。それでも、毎回まいかい次回を期待させるようないいところで終わるので、楽しみなんです。あいかわらず、クオリティも高いですし、休日の朝からCMなしで観れるところがいいですね。こんなときばかり、国営放送のありがたさを感じてしまう管理人であります。
第二話にて、チャグム皇子を連れて王宮を脱したバルサ姐さん。さっそくですが、刺客に狙われて、深手を負わされてしまいました。そこを救ったのが、通りがかった二宮金次郎もとい、幼なじみの薬草師タンダ兄さんです。彼は、用心棒稼業をして危ない渡世をしているバルサ姐さんのことが、たいそう心配なんです。しかし、このひと、どうみても外見が兵馬俑みたいな男です。とりあえず、バルサ姐さんが倒れたときはいつでも側に寄り添ってくれそうですが。いくらなんでも、兵馬俑オトコに偕老同穴されたくはないでしょう(どキッパリ)
このアニメは、女性が主人公です。百合テイストも魔法ファンタジーもない、正当派な冒険活劇ですが、そこはお約束どおり女ハーレム状態。イケメンパラダイスじゃございませんが、いろんなタイプの殿方が登場なさって、彼女のピンチを救ってくれるようです。
バルサに瀕死の重傷を負わせた刺客を追い払ったのは、バルサの父の友人の男でした。バルサにいのちを助けられたというみなしごの出っ歯の少年は、なにかと姐さんを慕っています。しかもフットワークの軽さからいえば、たぶん兵馬俑くんよりはつかえる男でしょう。この彼も、成長したらあのふざけた顎の輪郭が、きりっとひきしまってですね、『北斗の拳』にでてくるバットみたいに凛々しく育ってくれるのかも(そんなん、どうでもいいわ)
今日みた第五話でも、あらたな助っ人ご登場。兵馬俑くんの粗末なハウスに隠れ住んでいたバルサ姐さんズでしたが、チャグム皇子補完計画を遂行する皇帝の差し金で、山狩りがおこなわれてしまうことに。頭のきれるバルサ姐さんは、兵馬俑くんを使いとして、人身売買のやくざの親分と手を組むことに。しかも、講じた策とは、その人買いの牢にとらわれている人びとを解放するというものでした。いったい、どういうことなんでしょう?山狩りを命じられた村民は、囚われの家族が帰ってきた嬉しさに湧く→お上からの任務放棄をもくろんだものでしょうか。次回がたのしみです。
この親分ってのが独眼でいかにも切れ者そうです。きっと、眼帯のなかには知恵袋として目玉のオヤジを飼っているんでしょう(ありえない)手下どもも、絵に描いたようなならず者たちで、ほんと笑っちゃいます。で、兵馬俑くんは、この親分をバルサ姐さんのところへ連れてくるためにパシリにされたのが、気に入らない模様。
「バルサ、お前な、もっと俺を頼れよ!」なんて捨て台詞吐いてしまいます。
なんというベタな台詞でしょう!!
やはり、思考レヴェルが兵馬俑です。これだからカビの生えたような古文書しか読めなさそうな連中はこまります。
そりゃ、しょうがないでしょ、あーたは戦力として期待されてないんです。従軍医師なんですから、バルサ姐さんも、そこんとこ踏まえて前線に出さないようにしたんでしょ?
さて肝心のチャグム皇子。彼が父帝にいのちを狙われるわけは、彼のおなかのなかにありました。水の精霊に卵をうみつけられてしまったのです。その精霊は伝説では、建国者が退治した悪魔の化身であるために、帝の威信にかけて我が子を手にかけねばならないということでした。つまり、帝は兄宮かわいさにとか、我が子憎しではなく、涙ながらにチャグムを殺めねばならないのです。
第四話では刺客のひとりの偉丈夫が、生け捕りにせよとの命を無視して、皇子を直接手にかけようとします。彼は暗殺者になるまえにチャグム皇子から温情を拝していたことから、皇子が父に殺されるなんてしのびない。いっそ、自分こそがここで刃を突き立てて罪を背負えばいいと望んでいるのです。その下ろした殺意の一撃はからくも、バルサによって妨げられたのですが。
要するに殺す側にも、のっぴきならぬ事情があるということ。それはヒロインたるバルサとて同じ。彼女は幼なじみのタンダにも用心棒稼業から足を洗うように説得され、また、占い師のトロガイ(顔つきがだるまみたいなお婆さまですね(爆))にも、その皇子ひとり守るために、あと何人斬るのかと詰め寄られてしまいます。チャグムに寄生する妖精が孵化したら、国を滅ぼしかねない。そんな爆弾をまもるために闘っているんだぞと。そこはバルサ姐さん、たとえチャグムの護衛のために何人犠牲にしようと厭わないと、敢然と答えます。なかなか頼もしいお答え、連戦錬磨の強者だからこそ自信をもって語れるのでしょう。
このシーンを観たときに、思い出したのが最近話題になった某私大准教授の失言。光市の母子殺害事件の当時十八歳の被告に対しての死刑判決で、赤児のいのちは〇・五人とカウントしたと揶揄されたものでした。生まれたてのみどりごだろうと、長寿の高齢者だろうと、障害者だろうと、ひとりの人間に変わりはないわけで、要するに、この失言者の言葉には生産活動を営まない人間は一人前の人間とみなされないという前提があるのでしょうか?この女史個人への批判はネットで紛糾してますのでここでは控えます。
けっきょく、人にとっての命の重みはやはり違うのだということです。他人様の子どもと自分の子どもなら、どちらがかわいいか…それは明白です。
ところで、バルサはいまチャグムの命をいちばん大事に思っているわけで。しかし、それは彼がいずれ国を背負って立つ貴人であるからでもなく、払われた報奨金が大きいからでもなく。端的にいえば子を思う母妃の悲痛な思いにほだされてということになるのでしょうが。彼女自身自分のいのち自体を粗雑に扱っているふしがあり、だからこそ、この危険な仕事を請け負ったのでしょう。
このバルサの生き方と、腕っぷしのいい猛者に囲まれてたくましくなるチャグムの今後に注目ですね。
でも、こういう硬派なアニメは、ウケなさそうですよね。私もつっこみどころが乏しいので、レヴューの筆先も鈍るというものです。(歪曲しなくていいから)