お子様向け夏休みの末に観た金曜ロードショーは二週連続ジブリの「天空の城ラピュタ」。「となりのトトロ」「風の谷のナウシカ」ともども宮崎駿監督の初期作にしてスタジオジブリ作品の最初にして筆頭格。言わずと知れた名作。
1986年の公開ですから、およそ40年近く前の作品になります。
私が小学生の頃なのですが、当時の私はドラゴンボールなどのわかりやすく派手なテレビアニメが好きで、ジブリは絵が世界名作劇場みたいに古くさくて。お行儀のいい、大人の押しつけた教育アニメといった思い込みがあって、あまり好きではありませんでした。
金ローでは何回も放映されていますし、私もあらすじを知っているので、じつはこれまでけっこう流し見が多かったのですね。しかし、拙ブログの記事を漁ったら、なんとレヴューを一度もしていない! 今回はノーカット版ですし、私も時間に余裕があったので、じっくりと観賞することができました。以前はいろんな局の深夜の映画を見まくっていましたが、今は地上波放送の映画といえば、金ローぐらいなのです。
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鉱山で働く孤児の少年パズーはある日、空から降ってきた謎の少女を救う。彼女シータはムスカ大佐などはじめとする軍部によって飛行船に監禁されていたが、空中海賊のドーラ一味の奇襲のどさくさで逃げ出したのだった。
シータが首から下げていた不思議な飛行石は、彼女と伝説の城ラピュタをつなぐ手がかり。ラピュタは冒険飛行家だったパズーの亡き父が発見した幻の王国で、父の汚名をそそぐために辿り着きたい悲願でもあった。軍人たちや海賊に追われるシータを守って逃避行をつづけるパズーだったが、捕獲されて要塞に連行されてしまい、さらにはシータからはラピュタ探索の夢をあきらめるように説得されてしまう。ムスカ大佐に脅迫されていたからだった…。
このアニメの面白さが増すのはまさにこの後から。
なんとラピュタを狙うドーラ一味とパズーは共同戦線を張ることに。ラピュタのロボット兵器の暴走で救い出されたシータも海賊船に厄介になり、荒くれ男たちのお姫様扱い。ドーラおばさんもパズーとシータを一人前に扱うし、子どもだからって甘やかしたりもしない。海賊船内で役割をあたえてしっかり働かせるんですよね。もともと、この子たち、孤児だからもちろんしっかり動くわけで。
偵察用グライダーで竜巻の中心こと天空の城ラピュタへ迷い込んだふたり。しかし、そこにムスカ大佐たちもなだれこみ、海賊一味も捕まってしまう。飛行石を手にしたムスカ大佐の野望はラピュタ王国を復活させ、世界征服をすること。その野望を阻止するために、パズーとシータは滅びの呪文を発動させて…。
大人になってから何度も見直してじわじわしみこんでくるこの作品の魅力は語り尽きることがありませんが。
まずは少年パズーの勇気とタフさ。
まさに少年漫画ものの王道。特別な能力があったりするわけでもなく大人には力負けする12歳だけれども、正義感にあふれて、機転もきく。ついでにトランペットも演奏できて、機械工だけども礼儀正しい。両親が健在であれば、いい教育をうけられたと感じさせる要素があります。なのにひねくれていない。
シータもまさに守られヒロインなのですが、行動的で明るく、泣いてるばかりじゃない。ラピュタの脅威を知り、破壊の決断をするあたりはまさに人命を尊ぶ王の威厳を感じます。「人は土を離れては生きられない」はこの年の子が叫ぶとは思えない名言ですね。おさげ髪を銃で跳ね飛ばされていたのに動じないあたりも、神々しさを感じます。
さらになんといっても、年々存在感を増すのが、あのドーラおばさんです。お金にがめつい意地汚い老婆にみえる外見と裏腹に、気風がよくて、暗号解読もできるなど頭もいい。風の谷のナウシカよりもなお先に、戦う女の原型なのではないでしょうか。しかもジブリアニメにはおなじみなのですが、異常に元気ですさまじいご老体の方々がでてくる。ドーラの「40秒で支度しな!」は私がいつも何かをめんどくさがるときに、自分を叱咤激励するためのまじないにしています。監督の母親がモデルらしいのですが、いかにも戦前戦後を生き抜いた肝っ玉母さんという感じですね。
ドーラの息子や子分たちも最初は悪役だったのに、ひょうきんで頼もしい味方になって、最後はちょっかりお宝をせしめるあたり、ほほえましい(マザコンだけど…)。このドーラ一味は、「ふしぎの海のナディア」の三人組を思い出しますね。
パズー役の田中真弓さんが「僕は海賊になりたくない」とこぼすシーンは、後年の「海賊王に俺はなる!」のあの国民的アニメが頭に浮かんで、いつも吹き出してしまいます。
ムスカ大佐の「見ろ、人がゴミのようだ」は狂気の台詞。
協力した将軍たちや腹心の部下までも見捨てて、独りよがりな王国を築こうとした傲慢な自称王様は、子どもたちにあっけなく滅ぼされてしまいます。自分にしたがってくれる国民がいないのに、人を慈しむこともできないのに、どうやって王様になれるのか、と。宮崎駿の痛烈な皮肉をにじませたヒールキャラですね。まちがってもムスカのような卑劣漢は政治家でも、経営者でも、教師や軍人など、とにかく支配者にしてはいけない人物です。目がつぶされただけで、その最期が正確に描写されなかったのが謎めいています。けっきょく空中に消えたラピュタのなかに閉じ込められたまま、孤独な引きこもりのように生きる罰が与えられたということのなのかもしれません。
ラピュタは廃墟なのですが、花畑はあって、ロボット兵がお墓参りをしているという。まさにいま現在の、ひとが離れていった限界集落を予言しているかのよう。ロボットのデザインもシンプルなのに、ガスマスクみたいな顔面のせいか、ものすごくインパクトがありますよね。
私が大学院生のころ、当時通っていた社会人向けの英会話サークルで、年上の女性が「ラピュタは傑作」と熱弁ふるっていたのですが。当時の私は線の多い鮮やかな色彩のアニメが好きだったので不思議でした。しかし、四十路を迎えたいまになってみるに、たしかにこれは子どもをもつぐらいの年代になったほうが得るものが多い作品といえます。胸に迫る言葉や名場面が多くて、ファンが多いのも頷けるのです。久石譲さんのノスタルジックあふれるテーマ曲も名曲で、不思議な郷愁にかられてしまうのです。
ちなみに金ローの翌週9月6日放映のディズニーアニメ「ベイマックス」はジブリの「トトロ」と「ラピュタ」に影響された作品らしく、宮崎アニメが世界で愛され、多くのすぐれたクリエイターを輩出してきたのでしょう。「ラピュタ」自体はジョナサン・スゥイフトの『ガリバー旅行記』を下敷きにしたものらしく。宮崎監督が小学生時代に考えた架空の作品なので、今でいうところの二次創作めいたものだったのでしょう。この年代の創作者は古典に親しんでいる方が多いので、何十年経っても色褪せないヒューマニズムある作品を生み出せるのだな、と。子どもの頃には児童文学だとか、海外の古典だとかを見向きもしなかった私にはこの面白さがわからなかったはずですね。
(2024.09.06)