陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

ひとを選ぶこと、選ばれることの難しさ

2018-02-02 | 教育・資格・学問・子ども

二月になりました。
毎年書いておりますが、二月は逃げるの月。あっという間に時間が過ぎてしまう月です。この時期、送られてくる自治体の広報誌は、先月の成人式の写真ばっかり。子どもの頃から着物を着ると気分が悪くなってしまい(締め付けで嘔吐してしまう)、成人式の日がセンター試験だったため参加しなかった私は、ちょっとウンザリです。

今月は国立大学の入試がある月。
先日、出願が締め切られたのですが、新聞掲載の出願状況を見てびっくりです。有名な大学の文系学部のほとんどが2倍、3倍。某大学の法学部なんて1.9倍です。弁護士が食えないと分かったからなのでしょうか。私大の法学部出ても、宅建士すら取得できない人もいますものね。私の受験時は5倍か6倍はあった母校の国立大学も3倍を切っています。

この数字、どう見るのでしょうか。
少子化だから入学しやすくなったのか。国立大学は就職活動に力を入れていないので人気がないのか。景気が回復しているから私大へ進学しやすくなったのか。受験生が受験科目数の負担を厭って国立を避けているのか。

倍率が少ない=学力の低い学生が入学してくる、という尖った見かたもできますよね。
でも、最近の入試は、私の頃と違って、教科書や参考書、過去問だけやりこめば解けるというのでもない珍問・奇問もありますし、一概に学生の質ばかりを問えないのでは。

むしろ、教える側の質の方が気になります。
最近も新聞の広告を見ていたら、東大教授を名乗る若手研究者の写真付きで著作が紹介されていました。失礼なんですが、パチンコ屋にたむろしてそうな茶髪の兄ちゃんみたいな風貌で。若者受けを狙ってはいるのだろうけれど、これが一流大学の学者さんか…と眉を顰めたくなります。民間企業のリーマンのほうが、よっぽど爽やかな外見してますよね。

つい先日、iPS細胞の研究所でデータ不正が発覚したばかりの京都大学で、なんと、大阪大学と同じく物理の入試問題で採点ミスが。不合格とされた十数名に、転部や転入学、そして慰謝料などの補償を検討するそうです。今回も指摘したのは予備校講師だったようですが、問題作成者は何回もチェックし、内部でも数人が関わったにもかかわらず見抜けなかったらしい。

このブログ記事において、センター試験の地理で物議をかもした「ムーミン事件」で、正答をまちがえた自分が言うと説得力に欠けますが、人間、これは正しいと思い込んだら、そうだと信じたいものなのかもしれません。とくに学究肌の人間たちは。

文系はいわずもがなですが、科学の真理だって、未来永劫正しいとは限りませんよね。
高校までの先生は答えが決まっている教科書を教えるのだけれど、大学の先生はいまの教科書を、常識だとされているものを、つねに覆す新発見をしたくて、うずうずしている人たちです。そういう人たちが、万人がかならずあるべき正解にたどりつくはずの試験をつくるということの危険性は否定できないでしょう。

文部科学省は今後、大学入試に際して外部からのチェックを厳しくする方針の模様。
でも、企業の会計監査をおこなう第三者機関が実際は、対象企業とつるんでいて甘い監査を行ってしまうように、なんらかのリベートがあったりして、正しく機能するのか、私は疑問です。

そうは言いましても、入試というのは必要ですからやめるわけにはいかないのですが…。
今後導入される記述式ですとか、人物を見るという面接にしても、先が思いやられますよね。企業が入社試験や面接を行うのは一緒に働いて気持ちいい人を採用するため。しかし、大学において、教職員が自分に都合のいい学生さんを囲い込むことには懸念を覚えます。教官のただイエスマンのだけの弟子ばかりになれば研究のイノヴェーションは生じないでしょうし、似たり寄ったりの学生ばかり揃っていては刺激もありません。

不備があった大学をなじるのはたやすいのですが、ひとを選ぶことの難しさを感じます。
これは、多くの企業や経営者にとっても共通の問題ですよね。いや、友達付き合いやパートナーもろもろについて言えることなんですけれど、ある一定の自分が正しいと思っている基準をクリアさいたからといって、では、その人物が有用か、無害なのか、それは付き合ってみないと分からないのです。面接でいくらでも自分をよく見せることのできる人もいますし、言葉巧み過ぎて騙されてしまうこともあります。それは選ばれる方も同じで、入ってから、一緒になってから、しまった! こんなはずじゃなかったのに! と思うこともあるでしょうね。

それはともかく。
今回表面化した大学を含め、受験に臨まれる皆さん。どうか、気持ち安らかに本領発揮して頂きたいと思います。いい春が訪れますように。

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