ファンタジーの世界では、時間を自在に操る能力者がいたりします。
有名なのは筒井康隆原作の「時をかける少女」。古いSFファンならば、ロバート・ヤングの青春小説「夏への扉」などを思い浮かべるのでは。
時間を巻き戻して、あれやこれやをなかったことにしたい。
あの過去を葬りたい。未来をあたらしく作り替えたい。それは人間が願ったはてしなき夢。しかし、有史以来、昨日を記録し、明日をぼんやりと予想することはできても、人類が完全に時間をコントロールすることは不可能でした。人類ができたことは、一日を24時間60分60秒で分割し、暦におきかえて、時間を計っておくことだけ。
時間を数えることはできても、増やすことも減らすことも不可能。
けれども、一時間を無駄なぼんやり時間にするか、有意義なことができる時間にするか。体感の時間のボリュームを加減するのは、心がけ次第。そう気づいたのは30代になってからでした。
H.G.ウェルズの小説「タイムマシン」は恋人を失った青年が機械にのって過去をさかのぼるお話。
映画化もされ、その後のタイムパドックスものの先駆けともなりましたが。その結末で主人公は、地球の未来の姿を知ることになります。そこではもはや人類は地上の生命体の最上級ではありませんでした。
その昔のテレビドラマ「世にも不思議な物語」でも、タイムマシンを開発したふたりの科学者が相方を殺してマシンを奪い成功を勝ち取ろうとするストーリーがありました。何かの小説が原案だったのかもしれませんが、時間をさかのぼっては友人を陥れて、栄誉をかちとるも、なぜか足をすくわれる――という堂々巡りをふたりが繰り返したあとにどうなったのか。そのラストを覚えてはいないのですが、とにかく、なんども時間を巻き戻しても未来は思い描いたとおりにならないという展開に、子どもながらゾッとした覚えがあります。近作の映画でいいますと、「バタフライ・エフェクト」でしょうか。これに類する、著名な魔法少女アニメもありましたっけね。
休憩時間中にふと腕時計をみたら、時間がおかしい。
ほぼデスクワークでPCの時計を眺めているので、気付かなかったのです。翌朝は数時間も遅れてとまったままで驚き。その後、針を戻して様子見。
週末に、昨年電池交換したばかりの商店街のショップへ持ち掛けました。
いわく電池は電圧があって正常だが、本体の中身が金属部品などがサビておりもうすぐ寿命だとの診断。
はじめて関西で正社員職になったお祝いに、購入して十数年。
じつはしばらく使っていない時期もあって、ここ二、三年で再活用したもの。文字盤の色あいが気に入っていて、同じものを買おうにも売ってはいない。新しい腕時計を物色してみるも、食指はイマイチ動かずにお店をあとに。
自宅を調べたら、断捨離ライフ中にとっておいた古い腕時計のコレクションがありました。
私のものだけではなく、身内の置き土産もあり、なかなかセンスがいいものもある。これの電池交換をすれば活用できるかも、ということでひとまず安堵。
ケータイやスマホが登場してから腕時計が無用になったといわれますが。
腕に嵌めて気軽に時間を確認できるので、私は愛用しています。内部が傷ついてしまったのは、手汗や雨の影響、落としたりした衝撃もあったのでしょう。硝子盤にひびも入っていたりします。
はじめて腕時計を買ったのは、高校進学時。
最初は鮮やかな水色に。そのあとは真っ白なベルトに変えて。クラスメイトからはずいぶん珍しがられました。目立つ色にすることで、時間を見るたびに私は気分をあげていたのです。誰ともつるまないお昼の休憩時、あくびのでる授業。放課後の美術室で。しかし、私はその青春時代の時間に戻りたいとはもはや思わないでしょう。若さと引き換えに、幼稚な精神状態の自分に戻りたくはないからです。
この愛用の時計を買ったのは、このブログを開設したのとほぼ同時期。
私の人生の記録はいいことも、悪いことも含めて、ここに少なからず書きしるしてきました。もちろんぼかした部分もありますけども。
時計の針がとまったときに、止まった時より前に戻そうとすることはありません。
遅れないようにとかならず二、三分は早めに進めておくでしょう。大事な約束の、仕事始めの時間に間に合わなければ困るのですから。
わたしたちは、もはや時計の針を巻き戻すことはできません。
人生で積み上げてきた、酸いも甘いも苦いものもふくめて、自分の時間としてうけとめて、前に歩むしかないのです。なぜ自分の周囲にいる人は。あんな職場で。こんな仕事で。自分の置かれた環境を嘆いて、そこに行き着いたのは自分自身。だったら腹をくくるしかないのではないか。
そういった覚悟を決めるまでに、私はその腕時計を使いつぶすまでの時間が必要だったのです。
この腕時計は惜しくもありますが、過ぎ去った後悔の日々を忘れ去るためにも、動かなくなった暁にはいさぎよく廃棄しようと考えています。モノには想い出が宿る、けれども、それにとらわれ続けてはいけないのです。
失った時間をとりもどすために、今後の先行きを考えて行動したいものですね。
人間はそのために、時間という区切りを発明したのです。なにかをはじめたときの記念日を境にして、昨日よりは今日、今日よりは明日、という向上心を忘れないようにしたいものです。
(2023/06/10)