職場とか、なにかのイベントとかでちょこっと親しくなって。
電話番号やメルアド交換したり、食事に誘われるほどの仲になったときに、こういわれることありませんでしたか? ――「わたしら、年賀状はやめておく?」って。電話でおしゃべりならいいけど、家の場所は明かしたくない。そんな思惑が透けてみえますね(田舎あるある~)。こんなクリスマス前の神経をすり減らすような(!)打ち合わせも、2024年を境にもう過去の風物詩になっていくのかもしれません。
12月5日付記事「年賀状の歴史がしぼんでいく」で書いた年賀状の件。
昨年末は体調不良でとうとう作成できず。年賀状じまいの傾向に諸手をあげて賛成だったものの、けっきょく今年は出すことにしました。いつもの気分屋の朝令暮改ってやつです。
理由はお歳暮をいただいた方のお礼状代わりに。
あるいは個人事業上の取引先で、地元局の取材をうけたり、自治体の広報誌などでのご活躍を知り、読みましたよ、の報告をするために。また業務上の相談でご教示くださった行政関係者などにも。
ひさびさに古いノーパソを引っ張り出して。
これがなかなか作動しなくてひやひや。年賀状作成アプリの住所録もうっかり削除してなくてよかった、よかった!
二年前だかにPCがうまく起動しなくて。
少数限定で手書きで出したことがあったはず。今回は20枚ほどなのですが、ややインクがかすれ気味だったものの、うまく完成。作業時間2時間ほど。やはり、パソコン作成が便利ですよね~。
年賀状は郵便局の絵柄入り(印字なし)のもの。
白紙は85円なのですが、この絵柄入りは寄付金つきで90円。ホームセンターやコンビニで買っていた絵柄と印字つきのゴージャスな市販年賀状は、いまだと一枚あたり100円超えちゃうでしょうね。
年賀状購入者がのきなみ減っているせいか、プレゼントキャンペーンのハガキまでいただきました、こちらの切手代負担で(笑)。郵政公社さんもなかなか厳しいようですね。
ウェブ上でも絵師さんがデザインした無料配布の絵柄が入手できたりしますけども。あまりファンシーすぎるものは相手先にそぐわないので、地味目な日本郵政標準イラストにしてみました。
今回の年賀状は、年賀状じまいお知らせのための年賀状。
お返事をいただくのはあてにはしていない。相手先に負担はかけたくないので、むしろ年賀状じまいの傾向は好都合。ご無沙汰しているけれども、いずれコンタクトをとりたい士業の先生方にもあてて。
個人事業上の取引先件数は10年ほど前に比べると、ずいぶん減ってしまい。住所登録をみると、鬼籍に入られた方や人事異動で担当が外れた方も。作成数が減ったはいいが、寂しくもあります。
学生時代のなじみで年賀状だけで近況を語り合う方もいましたが。
お引越しされたのか届かない事例もあり、おのずとご縁が切れてしまいました。それもやむなし。
年賀状じたいはやめますが、先々の心づけやら手紙やらのやりとりはしないとも限りません。私は電話があまり好きではないので、急を要すものを除けば文書でやりとりするほうが助かったりもします。
ところで、子どもの頃、もらった年賀状の数は。
きょうだいの仲では私が最低でした。人付き合いが嫌いで友だちが少なすぎたからです。最大で30枚以上も出したのは、大人になってから。まあ、それもビジネス界隈や親族知人友人が多い人に比べたら少ない方だったのかも。
年賀状の数、名刺の数、電話帳リストの数、SNSフォロワー数。
いずれも、社会と連帯していることを示す数字。所属している世界が複数チャンネルにわたるほど、付き合いも膨らみます。
仕事を辞めたり、新しくしたり、引っ越したり、家族関係が変わったりしたら。お世話になる人も、迷惑になる人も、増えたり減ったりします。
所属している組織を離れて、年明けに年賀状が一枚も届かない。
そんな日々で年を取っていくと、無人島に流罪させられているような感覚に陥ってしまうのかも…。ウェブがあるからさみしくないといっても、やはり、賀状だけはプレミア感があったはず。
年賀状を出す作業とは、つまるところ、本心では孤独を好む人間が、一時的な共同体感覚に同化していることに酔いしれるための、体のいい風習だったのかもしれません。年賀状がすたれても、あけおめメールなどでの年始の挨拶はあるのですが、一方的に送りつけるだけで、「あなたのことを今年も大切に思っていますよ、忘れていませんよ」アピールができるエフェメラで、年明けの気分を爆上げできるのならば、変わらず年賀状づくりにハマりつづける人はいるのでしょうね。
(2024.12.22)