陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

アニメ「ユリ熊嵐」

2015-04-10 | 少女革命ウテナほか関連作

美少女戦士セーラームーンクリスタがもう順調に放映を重ねて、二十話に迫るいきおいですけど、しばらく空いたのでレヴューが追いつかなくなりました。いやはや、毎週ちゃんときっちりレヴューしてた頃って、ほんと、なにも迷いなかったんだなって思います。

さて、2015年1月から3月に放映されていたアニメ「ユリ熊嵐」について、さらっと覚え書き。
ちょっとだけネタバレ気味です。要注意。

第一話から三話あたりまで意味不明な展開の連続でしたが、四話あたりから、熊っ娘コンビの狙いが明らかになってきましたね。個人的に感動回は、五話、六話あたりのヒロイン紅羽の親友の遺した手紙のくだり。これぞ百合の醍醐味ってもんですね。

四話のるるの過去エピソードは、「ピンドラ」の縦ロールお嬢さまのお爺様暗殺計画ともどもコメディ回だったのでしょうが、自分的に幼児虐待の度が過ぎて笑えなかったりして。でも、当初はおつむがユルいと思ってたるるが、最後にはあんがいいい働きっぷりでした。

ラストは銀子の想いがかなってめでたし、めでたしなんですが。
陰謀と誤解で訣別→銀子ダークサイドへ→銀子、紅羽救出に向かって狙撃されて…そのあとの、銀子と紅羽のやりとりが二転三転した感じで、ちょっと納得感が薄いかも。

熊と人という、種別を超えたものどうしの愛情をテーマにしてるわけで、百合というより、学校や組織の排除志向だとか、差別だとか、もっと社会的なテーマを扱ったのかな。OPからして描写がえぐかったですね、見る人をふるいに掛けてました。

「クロスアンジュ」もそうだったんですが、旧世代のいびつで身勝手かつ未熟な愛憎劇の波及を受けて運命を狂わされそうになるも、正しくのりこえて未来のために愛情を築く新世代という、対立構図がよく利いていました。あの先生こそまさにクレイジーサイコなんとか、と言うべきなんでしょうが。しかし、もののみごとにオトコが排除されていた(裁判官トリオのぞく)アニメでしたね。

EDの熊ダンスがなかなか可愛かったのと、OPの歌声が妙に癖になります。あと随所で入る「ゆりだぁ~く」とか「くましょーっく」とかの珍妙なエコー。やはりイクハラ演出健在といったところでしょうか。

しかし、獣耳なのに、どうしても人間の耳がついているのが、気になってしかたありません。コレジャナイ感がね…。

銀子とるるだけが、「透明になった」娘を襲うときだけ判事の許可を得ていたのか気になっていたのですが(いちいち変身シーンもあったりして(笑))、紅羽の願いのおかげで、半分人間になりかけていたから? 他の熊っ娘はなんで自在に人と熊を行き来できたのか、そのあたりは気にしたら負けなんでしょうかね。

差別って、差別される側は差別する側に同化したがるか、もしくは差別する側をされる側に引きずり込もうとするのが、それがなくならない本質。差別される側にも特権があるので、いつまでも被害者でありつづけようとする。一人だけの愛情ならばいいけれど、そこに地域や家族や背負うものがもろもろ絡んできたら? 現実はキレイゴトでは片づけられないんですよね。

紅羽がとった行動(彼女はもはや天涯孤独なので、思い残すことは無い)は「全世界を否定して、二人だけの彼岸に逃げる」という、百合アニメにありがちな美しいラストですけど、本当はこれじゃなにも解決しないのだろうな。物語としてのおいしいところはそこへ持っていったとしても、名前も無い女の子が見せた優しさが、この作品が生きるのに厳しい現実に何を問いかけたいかを訴えているように思います。



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