陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

「さくらんぼキッスは尊い」(三)

2020-07-25 | 感想・二次創作──神無月の巫女・京四郎と永遠の空・姫神の巫女

媛子の部屋に通された千華音は、落ち着かない様子で周囲を見渡した。
あまり、じろじろと他人のプライベートを覗くのは失礼かと思いつつも、やはりチェックしてしまう。どうしたって瞳は正直だ。恋は盲目というが、好きな相手の暮らしを深く眺めてしまうのも恋の仕業。敵を知り、己を知れば、百戦危うからず。歴戦の猛者の視界は、鳥よりもかなり広い。見ないところまで感じる洞察力は伊達ではない。何が変わっているか、変わっていないのか。一番に目がいってしまうのは、やはり――飾り棚のうえの写真立て。

私たちのツーショットが増えている――。
その事実に、千華音はなぜか安心してしまう。学校で友だちがいないわけではなかろうに、媛子は千華音以外との誰かの写真を飾らない。遠慮しているのだろうか。それとも、人間関係を知らせないため、無関係の民間人を巻き込まないためか。親しい知人は弱点にもなろう。人質にもできるのだから。だから、皇月千華音は学校でもバイト先でも、どんなに慕われても他人とは淡泊に接していた。ただ、「このひとり」だけを除いては――。

媛子はひょっとしたら、他に好きな相手がいたりするのかもしれない。
その可能性は考えなくもない。ガールズトークに恋話は定番だ。しかし、面と向かって尋ねたこともなれば、聞かれたこともない。でも、そんなこと、今となっては千華音にはどうでもよかった。バイト先の同僚に好きなタイプはなんて聞かれても、「誰か」の顔しかもはや思い浮かばないのに。

千華音と媛子のふたりがいる空間、いま、ここがそれであれば、よかったのだった。
古びた習わしが支配する島育ちの自分には家族との想い出など無きに等しく、写真などを撮ったこともない。カメラを向けられて恐れたことなどないが、失踪した御神巫女探しで複数の学校を渡り歩くには、身分証に証明写真が必要だった。写真の中の自分はいつも仏頂面で、感情が見えない仮面のようだった。誰かのために笑みをつくろうこともない冷めた顔、自分をそうだと思っていた。媛子の撮る写真には驚きがあふれてくる。こんなに自分が笑顔咲かせるなんて、知らなかった。なんだか、温かいものでくるまれた気分になってくるのだ。

ことり、とテーブルに置かれたティーソーサーに、千華音は視線を真下へと落とす。
お揃いで選んだものだった。千華音の住まう殺風景なアパートには似合わないから、媛子の家に預けている。お盆をかかえて、媛子がくすくすとささめき笑っている。カップに猫をあしらった飾りものがくっついているのだ。可愛らしい。千華音が指先でちょん、とくすぐる。ネット出品しているお気に入り雑貨ショップで買いもとめたのだろう。

湯気のほんわかと薫るカップの中身はカモミールティー。働くカフェで学んだ千華音が煎じかたを教えたものだった。
お茶請けには、帝国ホテルのクッキー。バイト代をはたいて、背伸びして千華音が購入した。媛子はそれを内緒で食べたりはしないのか、いつも偶数個ぶんだけ余っている。次に千華音ちゃんが来てくれるときの楽しみだからと惜しんでくれるのだった。千華音も心得たもので、いつのまにか手土産を欠かさなくっているし、それは買い置きだけではなく、丹精こめてこしらえた手料理の品もあった。食料がなくなったら、野生の鳥でも食べる術を身に着けた千華音にとってはただの栄養摂取にすぎない食事も、今やずいぶんレパートリーが増えた。媛子といれば、人間らしい生活をつつがなく送ることができるのだ。

ぱすん、とふかふかのソファに埋もれながら、媛子が千華音の隣に座る。
爽やかなカモミールの中にまぎれた匂いを千華音はまさぐるように吸いながら、「ありがとう」と礼を述べた。媛子もえへへ、どういたしまして、とそつなく笑う。いつものありふれた風景だ、だが――。

「あっ! 千華音ちゃん、これ、どうしたの?!」

媛子が尋常ならざる驚き声をあげたのは、千華音の指が血で汚れていたからだった。
千華音が美しい瞳をゆがませて、しまった!という顔をする。ひっこめようとした手を、目ざとい媛子ときたら逃さなかった。

「ここにくる途中で、野良猫にひっかかれてね…」
「そう…なんだ」

千華音はそれ以上語りもせず、媛子もそれ以上聞くこともない。
猫の爪にしては、太い針でしつこく突き刺されたような傷口だったし、ただれ方が普通ではない。火傷もあった。その傷口には思い当たるふしがある。媛子の顔が曇ってしまう。

救急箱をとりだした媛子は手早く、消毒をして、ていねいに包帯を巻いてくれた。
沁みるからね? きつくない? 痒くない? といちいち世話焼き女房のように甲斐甲斐しい。戦いで負傷しても無口で、自分の痛みを訴えるものではない、それは敵に弱みを教えるものだ、と武術指南の九頭蛇たちに叩き込まれた千華音は、こんなとき、ほとほと困惑してしまう。だから、あいまいな苦笑いをこぼすしかない。

「ありがとう、媛子」

今日は二度目のありがとう、なのね…なんて思っていると、千華音の手はなんとはなしに媛子の頬に触れた。羽を扱うかのようにふわりと優しく。媛子が持ち上げていた。包帯のうえから、手の甲をなでなでする。

「ごめんね、千華音ちゃん。痛かったよね」
「いいえ。別にそんなに手当てが悪いわけでは…」
「ううん。そうじゃなくて…その傷は」

千華音がはっとする。ああ、やはり、一度帰宅して、自分で手当てしてから出直してくればよかったのだ。でも――媛子のほうが襲われているかもと思ったら、気が気ではなかったのだった。

「貴女が謝ることなんかないのよ」
「でもね…ごめんね。わたし、日乃宮のおうちには手を出さないでとお願いしたのに。千華音ちゃんと約束したのに…すべて、ふたりですべて決めるって。儀式までは自由にしていいって。でも、わたしの言いかたがよくなかったのかな」
「今日のは、私がしくじったのよ。油断したから、怪我をしてしまっただけ。媛子が気にすることはないの」

媛子はちょっとしたことで気持ちがぐずついてしまう。
今だってもう、瞳がゆるゆるで溶け出しそうだった。浮かんだ涙の玉を指ですくって、慰めて、笑顔に戻していく。鞄にはいつも清潔な予備のハンカチ。眠くなったら、肩でも胸でも貸していい。そうしたら、お陽さまのような明るい笑顔が舞い戻ってくる。それは、千華音のいつもの役目だったのだ。

案の定、元気を取り戻した媛子は、思い出したように、手のひらをぱんと合わせる。
思い付きの両手のひらは、そのまま、可愛らしくお願いのポーズになった。

「あのね…、千華音ちゃん。今から、脱いで」
「…え?」

日乃宮媛子の上目遣いなおねだり目線。千華音は戸惑いながらも、そのまなざしに逆らえるはずもなく…。



【目次】姫神の巫女二次創作小説「さくらんぼキッスは尊い」





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